ホーム

日々雑感

爺爺

18 and 19年目

 

2021年1月23日

快調である。

知るを、一部、しるとひらがなで書いた。文言はかえていない。

書いている面積は、昨日より小さいものの、今朝の方が、見やすく感じる。

 

 

2021年1月23日

この紙の場合は、なんとなくここに落ち着いてきた。

 

一筆で書いている、文字の大きさも前と同じ程度になった。

再開して、2週間を要した。紙は前の方が面白みがある。

墨をすり、書き、筆の後片付けをするまでで約30分。

おおむね、言葉も、筆の動きに合わせて出てきてくれる。

文章も、ほぼ落ち着いたと思うが、一部、漢字をひらがなにかえたりするかもしれない。

 

 

 

 

 

 

2021年1月22日

今朝も、筆先は快調であった。

昨日は、一部すっぽりと抜けおとして書いていた。

今朝は、いくつかのところでつかえたが、概ね気もちよく書いた。

漢字は、パット見てわかるのが良いと思ってきたものの、ただ、筆先に無理がかかるところがいくつかある。隷書的な書き方で無理を和らげることはできるが、やはり、すこし見た感じが合わない。

そして、近頃思うのだが、ひらがなは、ちょっとしたところで、見分けることができ、「うつろ」など、かたまりで見るとパットみて分からないこともない。

そして、筆先にむりがかからないような書き方を、工夫することで見つけることもできる。

 

そんなことで、ひらがなにしたいと思うところも、でてきている。

 

 

 

 

 

2021年1月21日

墨をするところから、書き終えるまで、30分弱で書いた。ワープしたような感じで、時間を感じなかった。

書いたものをチェックしていないものの、言葉が、書くのに合わせて出てきてくれた。

紙が少し前までと違うものの、このような日もあるのだろう。

書き終えた後の筆の洗い具合が、次の書きここちを決めるということがわかりつつある。

ただし、洗い方も、日々の筆先の調子に合わせてかえるというように工夫を要する。いつも今朝のようになるとはかぎらない。

 

 

 

 

 

2021年1月15日

再開六日目。紙は違えど、一筆で通すことができた。紙は、一番使い慣れたものだ。書いた跡の感じもそんなにわるくはない。

墨のすり方も、日々継続していないとむずかしくなってしまうが、今朝の、昨日までとの違いは、力加減だ。文字も小さくなってきた。

 

 

 

 

2021年1月11日

通し2本目の筆は、思いのほか早くに使えなくなった。一筆で書くことができていたのに、何回も筆に墨をつけながら、白恵波羅密田を通した。

墨の使い方、そして、筆先の整え方が、とどのつまり、書のおもしろみだ。

これが、きまれば、これを忘れ、おもしろいように、筆が進み、考えも進む。そうでないと、泥の中で、縄にからまりながら、もがいているような気もちになってくる。

少し前まで使えていた。そして、1本目は、はるかに長く使うことができた。やはり、筆先の整え方になにかできることがあると思う。1本目の筆もなにか工夫をすればまだ使えるかもしれない。

試してみる。

 

 

 

2021年1月10日

久しぶりに、朝に書をすることができた。

世界がガラリとかわってしまっている。一筆どころか、何十回も、筆に墨を含ませながら、とにかく白恵波羅密田を通した。一番小さく書いていたとこと比べると、面積で、4倍程度大きい。

少し前まで使っていた筆を使いこなせなくて、別な筆にしたこともあるのであろうが、とにかく違う。

まあ、以前していたところにもどるのではなく、この際だ。通せなくなることを思い、控えてきたこと、特に体の使いで、追い込むことをなおざりにしてきたことについて、いろいろと試してみる。

どの辺りに落ち着くのかは分からないが、前と同じようなところへもいけるようにはなりたいものだ。

 

 

 

 

 

2021年元旦

朝に、筆をとれずにいた。白恵波羅密田を書くことも、ひと月と少しあいた。

今朝は、いつもと比べ、2倍の大きさの紙に書いて見た。

書きににくいということはなかったものの、だいぶ大きく書いていることになる。

あとで読み返すのでこのあたりの大きさでも良いとは思う。

ここ、2、3日のことであるが、ボールペンを調べている。

文房具店で試し書きをしてみて、勘で、カランダッシュの小ぶりのボールペンを選んだ。そして、これを使ってみて、再び、文房具店で、書き味を比べてみた。

どうも、国産のものはどれも、ペン先のボールが、ゴロゴロと回転していることを感じてしまう。

それに比べ、カランダッシュは、ゴロゴロが、遠くの方でわずかに感じられる程度である。インクの出もスムーズである。

ボールペンなど硬質の筆記具で書くと、自分でも後で読むのに苦労するような形でしか書けいのであるが、このカランダッシュのボールペンでは、だいぶとましになる。

手持ち無沙汰の時に、ちょっとものを考えることに使うことができそうだ。

この際なのでもう少しボールペンについて調べて見る。

 

 

 

 

 

 

11月24日

今朝も、続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月21日

今朝は、小さくなった。これでもこの方が書くこと樂である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月21日

今朝の白恵波羅密田、ローマ字化されたサンスクリット語prajna paramitaの訳である。

 

いま、ブッタのおしえを、読んでいるところであるが、どうも、この彼と我のやりとりで表れるうつつには、虚ろが含まれて・・という考え方は、おしえをまとめたものではなく、もうひとつの大切なおしえという感じである。

今、力を入れて読んでいるところのブッダのおしえの大きなテーマは、欲しがることからどのように逃れるかである。

当方は、いまも、ものを欲しがる気持ちからすっかり離れているわけではないが、いっとき、特に、韓国の古い陶磁器や、美濃の古い陶磁器などなどに入りこんでしまったことがあるので、その頃を思いながら、おそらく深く入りこんで読んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月17日

少し考えてみた。

彼岸という言葉はあまりよろしくないと思う。

彼岸は、我の心の中の境地であるにも関わらず、なんとなく我と別なところに、そのような地があるように思わせるものがある。

さらには、ブッダが、あるともないとも言っていない死後の世界であるが、なんとなく、そのような世界があると思わせるようなところも含んでいる。

あくまでも、我が、現を、我のなかに刻むなかであらわれる境地である。しかも、あの世とはなんら関係がない。そういった意味で、彼岸は、白恵波羅密田と元にもどすことにする。

 

 

 

 

 

11月16日

今朝は、少しばたばたしたため、それが、文字の並びにあらわれている。

現は見方によって姿をかえるという表現だが、原典を少し復活させるような感じで、言葉を加えた。

漢訳般若波羅蜜多であるが、、サンスクリット語原典prajna paramitaについて書かれている:

http://ayatorigami.sakura.ne.jp/wk111.html

と比べていただくと、その原典からの飛び出し具合がよくわかると思う。

このような辞書的な訳はありがたい。当方もいくつか、ネットや本で見ている。これらがあれば、

後は、聞いてわかるところまで、言葉の選び、意味するところを変えないようにして文にしてゆけばよい。それが自分が理解しているprajna paramitaである。

このように、書く、そして思う、考えてみて、また書く、そして読む、思う、また考えるという回りを繰り返して、て分かってきたのは、音読みの熟語は、少し考えて見ると、とたんになにを言いたいのかおぼろに思われてくる。

むすかしいと思わせてしまうのか、なにか深遠なことが書かれていると思わせて人を引き付けてしまうのかということで、そういう意味でも般若は般若であるが、知れば知るほど、怯え惑うものがある。

結局、これを抜け出すには、自分がどのように分かっているのか知り、そして、知ったところを、ブッダのおしえなど、できるだけ、ブッダが話されていた言葉に近いものと比べてみて、その知り方で良いのか悪いのかを分かることのみであろう。

ということで、今、主に『スッタニパータ』と大乗の道 石飛道子

という本で、学んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月15日

いつもと同じような小ささで書いているつもりであったが、あやうく書ききれないところであった。

この朝も、てにをはを少しかえたところがある。もう少しこのままでゆき、ことばをかえなくても良いと思えれば、皆覚えて、書くのにあわせて、すらすらとことばが現れるようになればよい。

近ごろ思うのだが、能の謡のことであるが、本を見ないで、女郎花という謡で、ほぼ45分の長さの謡を謡えるようにならないかと思いながら、稽古をしている。

すこし前まで、仕方が分かっていなく、なんでこんなにも覚えられないのかと、自分を強いて、間違えるところを、何度も繰り返して謡うようなことを日々繰り返していた。

しかし、このようなことをするよりも、書くのと同じような感じで、気持ちを落ち着けて、この場合は、体のなかの音の押す力を感じて、それに負けないように押し返すように丹田あたりから力を出して、謡うと、今は一日一度であるが、それでも、少しずつ、本を見ないで謡えるところが長くなってゆくことに気づいた。

いわゆる記憶することはあまり得てではないと思ってきたが、このような気持ちの落ち着け方ができていれば、記憶することは得てになっていたように思う。

これって、使いようによっては、洗脳に用いることができそうだ。こういうことを分かれば洗脳されにくいと思うものの、無意識でこのような気持ちの落ち着け方ができる方は、洗脳に類するところにも意を配った方が良いように思う。

本からでも人からでも、虚ろなところに悪い心根を隠したことばを強く記憶してゆくことにでもなれば、自分の考えで、そのようにしていると思いながら、実は悪い心根の本や人の言うとおりにことを行うということになるというところだ。

つまり、そういったことはお釈迦さまが望んだことではなく、あるところからは自分で皆知るをひらかないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月14日

昨日よりも、筆先のまとまりが良くないものの、通すことができた。墨の濃さか、一番先にある筆毛と周りの筆毛とのやりとりの調べが変わったもようだ。これは、日々かわるのでこのようなところはその他の工夫でなんとかするのみである。

昨日がうまくゆきすぎていた感じだ。

白恵波羅密田は、てにをはの見直しをおこなった。

 

 

 

 

 

 

 

11月13日

これくらいで書けるとあまり言うところがない。

毎回このようにいくように常日ごろそなえておくようにする。

禅語、仏語など、書くべきことばを探していたが、これからは余り、探さなくともよさそうだ。

白恵波羅密田のように、古典を学び、自分なりに知る中で、書きたい言葉が現れてくる。

それにしても、仏教用語は要注意である。辞書で調べ、自分なりにこなしてゆくことをおすすめする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左の方は、江戸時代の能の謡本である。本の高さ13cmであるが、少し前まではずいぶん小さく書いていて、これを筆で書けるのかという感じでみていた。

今、比べて見ると、当方の方が、だいぶ小さく書いている。

聖武天皇の雑集の漢字であるが、中国を含めて筆で書く漢字の姿としては、山の頂にあると考えている。ここから、ひらがなを進めていたら、いま当方が書いているような今のひらがなの書体にだいぶと早くに、いきついていたと思う

ただ、能の謡本のような文字の姿は、情にうったえるようなところがある。もう少しなんとかしないと、今朝の当方のような姿で書くと、色けもなにもなさそうだ。

ん、だから、白恵波羅密田には向いたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月12日

今朝は、先割れせず、快調である。

白恵波羅密田の方のことであるが、だいぶと自分が分かるようになってきた。

明らかなところを増やし、虚ろなところを減らしているところだ。

漢訳の般若波羅蜜多に対して、和で知る白恵波羅密田。

書くことの良いところは、なんとなく現実離れしないことと感じている。

紙と筆のふれているところが、現実と我がふれているところといっしょのような感じだ。

したがって、おおむねは、紙と筆のふれあいのように、現実とふれあい、それを墨の跡として目で確かめることができる。

かなり小さく書いているが、今朝は、読めるところが多く、読みやすいものがある。

もともとのおしえが言わんとしているところを明らかにできてきているのだろう。

なんとなく、満ち足りた気がしている。

 

 

 

 

11月11日

紙をもとに戻して、いつものように書き始めたが、先割れである。後始末の際の、筆洗いがわずかに、足りなかったようだ。

新しい筆を使ってみたが、いつもの大きさではとても書けない。考えてみると、一番使い込んだ筆の寿命がきてからは、なんとも、すんなりとはいっていない。書き心地がよい状態を知っているので、押して続けることができにくいところではある。

ということで、

あの世はあるのかどうか、白恵波羅密田を元にして、少し考えてみた。

あの世は、もちろん、自由に行けるところではない。当方は行ったことがない。

ご先祖の霊はなんとなく身近に感じるものの、もちろん、ふれたことはない。

ということで、明らかではない。白恵波羅密田から考えると、あの世は、虚ろにある。そう、明らかに感じることができない知ることはできない。なにも得るものがないとなる。そうであれば、あの世のことで、心をくもらせないことである。怯えない、惑わないぞである。そう、すっかりくつろいでいれば良い。むかしの過ちで脅され、高い壺など購入するのはお釈迦さまのおしえるところではない。カルマとかなにか、暗い響きをもった言葉には気をつけることだ。はっきりと分からないものは、とりあえず、やり過ごすことである。はっきりと分からないことについては、知るも知らぬも、知らぬも知るもないという感じで、なにかよく分からないということで、やり過ごすぞである。

お釈迦さまも、あの世のことについては、あるともないともふれていないとのことだ。白恵波羅密田から言えばそのはずだ。サンスクリット語から訳したり、漢訳と比べたりなどしていて、身についた感じ方から言うとそうなる。

お釈迦様が、あるところまで、ご一緒してくれる。もちろん、白恵波羅密田を通してであるが、暗い気持ちから離れ、くつろぐ方へ向かへば良い

 

ただし、やっかいなのは、催眠、洗脳などである。自分の知らないところで、自分をコントロールされる。この場合、自分の虚ろなところを知る必要がある。

まあ、知っているところでは、催眠、洗脳につながる方法の例は、テレビなどのニュースの流し方、コマーシャルの作り方、漢訳である般若心経とサンスクリ語からの和訳との差など、常日ごろ、目にすることができる。

なにか過去のことを考えさせると、暗示にかかりやすい状態に移行する模様だ。コマーシャルの前になぞなぞなど、なにか、考えさせるようなところにもっていき、現実からいったん離れさせて、コマーシャルを流すというのも、この応用なのだろう。

また、コマーシャル自体も、にこにこと幸せそうな顔で、なにかを使って夢のような生活をしているシーンを写すというのも、良い手に思える。

結果として、とにかく、理由はどうあれ、それを購入してしまう人がででくる。という感じだ。

なんとなくではあるが、現実から遠ざけると、暗示にかかりやすくなるということは催眠というのか洗脳というのか、その世界では根としている方法のような気がする。

NHKに関わらず日本のニュースの流しは、洗脳の極めつけだ。今、とても良い例がある。

米国の大統領選挙である。今まだ、選挙の結果は確定されていない。実際はバイデン側に不正が疑われるため、調査しているところだ。一部では票の数え直しをしている。

遅くとも来年の1月中頃にまでには、大統領は決定されるが、それまでには、不正の調査がなされ、裁判がなされ、それでも、決まらないときは、こう、それでも、決まらないときは、こうとか、後、3段階か4段階か、決定するための方法が、法で定められている。

日本のマスコミは、バイデンで決定されて、すでに、そのようにして大統領として振る舞っているかのような報道を、みなさん揃って、し続けている。

これでは、なにげにニュースを見ていると、バイデンで決定しているように思えてしまう。少し考えてみると、これは、バイデンになってほしい、トランブが大統領になった場合でも悪いことをしてなったかのような印象を与える、米国であればトランプ側にあきらめさせるなどと、トランプ側にとってはよろしくない片寄った行いだ。報道の枠から飛びだしている。これはなになのだろう。

悪いことであろうが、それとなくその方へもってゆくという感じだ。これは、大切なことを知らせないことで、己の目指す方へ人を連れ去るお手本になっている。

白恵波羅密田では、知ることをとても大切なこととして、なんども、そして強くあらわされている。

とりあえずは、なるべく虚ろをなくすように、皆知るの士になり、すっかりくつろぐことができるようになりたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月10日

昨日と同じ紙であるが、墨をすいとるので、ひと筆で書けない。昨日は遊んだので、今日は、ひと筆で書くことがなつかしくなり、そのようにしたが、すこし苦しみながら書いた。

白恵波羅密田を訳しているが、分かりやすくを心がけている。

しかし、般若波羅蜜多のことが今日はやけに思い浮かぶ。

色則是空を少し考えてみる。色といわれてまず思い浮かぶのは、絵の具の色など色のことだ。空と言われて、まず思い浮かぶのは、からっぽ。したがって、絵の具の色が、からっぽ。からっぽは、絵の具の色となる。読経のあやし声とあいまって、なんとも不安な気持ち、落ち着かない気持ちになってくる。そこで、呪文が唱えられる。ぎゃーていぎゃーていである。

しかし、当方が書きながら読みながら調べ、考えてみたところでは、物や事、自分のことには、はっきりしているところと、虚ろなところがある。したがって、それぞれの虚ろは、それぞれがもっているものだ。

そして、呪文のぎゃーてい・・は、進み進んで、彼岸へ進む。・・・・となり、覚られた方のあたたかな励ましのことばである。

少しだけ催眠のことをしらべてみたが、この般若の調べを用いると、とても高い壺を売ることができそうな気になってくる。

月に一度、写経の会で写経をしているのだが、ここまで、はっきりと分かってくると、これは困ったことになった。どう考えても、近づかない方がよさそうだ。困ったことになった。龍安寺など整ったところを思い出して、呪文を振り払おうするも、龍安寺には近づくが、般若へは近づくことができそうにない。困ったものだ。

お釈迦様の言葉には近づきたいものがあるので、整ったところなどは、そのあたりのありがたさから来ているような気がする。そうか、ありがたいをあの言葉と取り換えた方が良い。明日の訳はそうしてみる。

そのようなことを考えつつ、なるようにしてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

11月9日

書くことに気をとられずに書くことはむずかしいので、とりあえず、楽しんで書くようにした。

今朝の白恵波羅密田であるが、考えを進め、昨日よりもはっきりとしてきた。

さて、白恵波羅密田を学んでいる古典書法の士からのメッセージとしては、こんな感じである。

 

 

 

 

 

 

 

11月7日

ものを考えるために、筆をつかっている。おもしろいことに、なるべく書くことを意識しないで書く方法を探っていることになると思う。虚ろなところを追っているが、そのうちに実をむすべばよい。

今は、白恵波羅密田の中身を分かろうとしている。彼は我である。我は彼であるというように、同じ言葉を、繰り返すのも良いが、なにか、おぼろに分かるのではなく、中身がしっくりと分かる言い方がないかと探っている感じだ。

ちなみに、

ブッタのおしえ 新訳・スッタニパータ 前谷彰 訳・解読

を読み始めている。宗教になる前の、ブッダ自信が話された言葉にいちばん近いと思われるまことの言葉が書かれている。

仏教にひかれるものがある方は、この本から始めることをおすすめする。ただ、いま、新しい本では手にはいらないもようだ。古本か図書館の利用になる。

成り行きで進んでいるが、自分としては、白恵波羅密田の中身をよく知ることにつながってゆくのだろう。

 

 

 

 

 

11月7日

ないの代わりに、まぼろしという言葉を見つけた。

不とか無とか、連続させると、意味が虚ろになってくる。たしかにそうかいてあるのかもしれないが、この教えは、お釈迦さまの直接のお言葉ではないので、自分がより分かる言葉をえらんでゆく方が実になる。

漢字の和語への取り込み方を自分なりに考えてみている状態だ。自分の分かっているつもにの中にある虚ろなところをけしゆくことに相当する。

 

 

x

 

 

 

11月6日

質を、ところとし、複素数という考えを使わずに書いてみた。

こちらの方が聞きやすいと思われる。

なお、思うという言葉は、感じるのうちと考えて使用。

 

 

 

 

11月5日

ブッダのおしえをよんでいると、話しているので、わかりやすい。比べると、ここでは、質とか、縁とかつかっているが、少し考えてみると、やはり、分かるようでわからない。考えた末、複素数的なところへ進んだものの、分かりやすい言い方ができるはずだ。

やはり、今の時点で、よく分かっている言葉を、よくよく考えて選んで、使った方がよさそうだ。その方が、自分自身の実になる。板につくという感じだ。

おしえがあり、おしえからうける感じがあり、感じをもとに、よく考えて、書いたり、調べたりして、分かる。分かったおしえがあり、おしえからうける感じがあり、・・・

この巡りを、どこかで止めて出来たと感じたとしても、調べたところ、考えたところが、変化するので、また、おしえからうける感じが変化する。

どこかに落ち着くというのではなく、変わってゆくことが分かった。

したがって、白恵波羅密田については、今朝の分かりということにしておいた方が、気が楽だ。

 

 

 

11月4日

書いているとき、考えが振れるところがあるものの、今日の書いたもの辺りでよさそうだ。

これで、文が、書くのに合わせて、出てくるようにして、何度か書くうちに、完となるのかならないのかというところ。

お釈迦さまの教えから学ぶという感じになったもよう。

 

 

 

 

 

 

11月2日

 

今朝は、いくつか言葉をみなおした。

それから、ルビは0.5mmのボールペンを使った。リズム的に最後に振ることになるが、ひと筆で書いた後だ、間があると、筆の先がすぐにかわく。おそらく書けないことはない。

 

昨日、散歩がてら、図書館へゆき、後の世ににかかれたお経ではなく、ブッダの言葉がかかれている本をしらべ、よい本がみつかった。手配をしたので、到着が楽しみである。

図書館でざっと見たところで思うに、白恵波羅密田とよく応じている。

本を書かれた方々の訳がわかりやすいこととあいまり、なにか懐かしい気持ちがする。ああ、これはできていないなどと思う言葉もある。

 

 

 

 

 

11月1日

 

今朝は、見た目は草稿だが、かなり進んだ。

言葉を吟味したものの、複素数のくだりを除いては、意味をそのままにして訳している。

なにか、複素数はすでにサンスクリット語の白恵波羅密田が書かれたときには発見されていたのではないだろうか。要は、式になっていないだけのこと。複素ピースを入れると、意味がとおる。

漢訳は、意味が真逆で悩ましい。また、サンスクリット語の白恵波羅密田を、漢字、仏語を多用し、直訳しても、なにをいっているのかどうにも分かるようで分からない。わにとっては空ろ。

和のことばで訳し、複素のピースを入れると、雲がはれるようだ。しかし、見えてくるのはお釈迦さまの苦悩。浮かぶお姿は広隆寺の菩薩さまか・・、なにか、表したい気持ちがする。

書であるが、見た目はあまりかわらないものの、この筆はやや苦行である。

 

 

 

 

 

10月31日

 

今朝も、草稿状態だ。サンスクリット原典訳の文章の中に、複素数的なところを挿入しても、もとの内容と矛盾することがないことの確認をしている。

 

 

筆であるが、やはり、先日極まったものは、書き心地がよい。

また、同種の筆を使い込んで、同じような書き心地にしてゆく必要がある。

 

 

 

 

 

 

10月30日

複素空間的にものを考えていることを、それと分かるかるように、漢字を変更し、文を追加してみた。

気づきのポイントは、 空 → 虚ろ である。

サンスクリット原典の内容に変更を加えたつもりはない。

お釈迦さまのお言葉として、とてもふさわしいものと思う。

言うならば、白恵波羅密田の願い

 

ちなみに、これはひと筆書きだ。途中で墨を含ませていない。

今朝も、草稿状態だ。

 

 

 

 

 

 

 

10月29日

音写にこだわると、読みづらくなり、意味が分からなくなる。

さらに、漢訳は、知れば知るほど、困ったものである。というのは、内容が、ますます見えなくなる。

今朝は、空をうつろ-虚として、音写を避けて、見直してみた。

だいぶ、シンプルに、言っている内容を理解できるようになった。

なんとなく、複素数で、複素平面をイメージして、複素平面に、例えば、物を置いてみるという感じがよさそうだ。

認めることができるのは、実数の方である。対象が、虚数軸にのみあれば、実数は零となり、認めることができない。対象が消えたわけではない。

ただし、上からみれは、その状態はよく見える。

という感じだ。

内容を見直してみると、この時代まだ、複素数の概念は明確になっていなかったのであろうと感じる。ただし、朧ではなるが、その概念の兆候は認められる。

これは、言い方を複素数の概念に合致させるように見直せば、今でも、さらに活用できる。

繰り返すが、彼岸に至るなどと境地ではあるが、通常、場所的に表現する。当方もこれにならい彼岸を場所的に訳している。

彼岸には山があり、彼岸に至るというのは、彼岸の山の頂に到達するイメージだ。

お釈迦様には、彼岸まで、ご同行いただける。お手本をお示しになるので、よく学ぶことである。

知恵を鍛え、彼岸の山の頂に上るのはあくまでも自分自身である。見渡す限り複素平面に、過去の現が、現を構成する事物、感じる、考える、行うぞ、識るが配置されている。

自分が見ている実数にあたる実が良く見えるではないか。

さらに、他からは、何を見せられてきたかも良く見えるではないか。

これは、今、必要な知識である。

漢訳では、容易に洗脳につながる。

お釈迦様のお誘いである「ガテイガテイ・・進み進む、彼岸へ進む。彼岸へ進む、彼岸へ共に進もう。さあ、そして知全をひらこう」が、

なぜに、ギャーテイギャーテイという呪文になるのかという問題である。

サンスクリット原典で、導こうとしているのは、漢訳とは真逆の方向だ。苦しみをしずめるため考え方として示しているが、その核しんは、自分でよく縁起を考えて、見えていないところ、見せられているところを含めて、全てを知るように努力することだ。呪文を唱えることではない。

 

 

 

 

 

 

 

10月28日

やはり筆先が割れる。もしかしたらこのあたりがこの筆の極みか。はじめの頃に使っていた筆にかえて、書きなおした。

サンスクリット語の音写の工夫をしてみた。

ボーデン 菩提 → 母田

サッタ 薩った → 擦田 これは要検討

シャーリプトラ 舎利子 → 捨利歩徒羅

ニルバーニャ 涅槃 → 根波無 これは明日に修正

ブッダハ 仏 → 撫ッ田波 これはやめた方がよさそうだ

 

彼岸にいたった境地を、波羅密田と地に例えているので、音写と音写に使った漢字の意味と、原典における意味とのリンクが軽くとれているといえばとれている。

知全を意味する菩提は、母なる田で母田、波羅密田を耕して特別な田である母田とするイメージだ。

母田で咲く花がハス。

 

 

 

 

 

 

10月27日

今朝は、筆先の割れは改善されたものの、墨を少し濃くすりすぎた。

筆圧の許容範囲が、大分と広く、硬筆と同じ程度強い筆圧でも書ける。

ただ、筆圧がかすかでも強くとも、線がカスレ気味となる。

訳の方は、漢字とかなの使い分けの調整をして、ところどころ見直した。

 

内容でおもうのだが、この中には、確かに、苦の因をけす方法はないとも書いてある。そちろん、それも空へだが、空は実へ、さらに実感では実が実であるものもある。これは、どこまでいってもこのようなことになる。努力が足りないのではなく、なにがおかしいのかというと、これは言葉の限界であり、言語にもよらない。   と考えているというか実感している。

しかし、意識してかそうでないかは別にして、般若波羅蜜多の考え方を応用する人の中には、思えばなんでもできる。できないのは思いが足りないからという言い方で追い込む人もいる。

当方は、これには注意すべきという立場だ。もっと言うと、あまりきつくその考えで追い込む場合はそこから離れるべきである。

書を添えるのは、そういったところ、今の限界など自分の実を実感するためでもある。

 

 

 

 

 

 

 

10月26日

今朝は、筆の調子が悪く、筆と硯を替えた。

調子が悪くなっった筆は、お湯で筆先に付着している墨を、時間をかけてきれいにおとした。明日どうなるかだ。

 

訳の方は、

道を法に変更した。苦の因をけす法はないと変更。法は、方法という意味だ。その他、漢字の使い方の見直しを主におこなった。

 

法という漢字の使用方法であるが、漢訳にとらわれると、白恵波羅密田の核しんを、理解するのにだいぶと時間がかかるようになる。

それから、維摩経であるが、おもしろそうだ。

なお、維摩は、主人公の音写であり、経は創作である。

内容としては、聖、在野にあって知全をひらいた方のお話だ。

仏門にあり、知全をひらくことを祈願する者が、近づくと教えさとされるので近づけない様子のところまで読んだ。

白恵波羅密田の核しん、つまり、

実そして感考行識五素の縁で起こる現、そして現を空に、空を新たな現にすることを中心にして、筋が展開される。

なお、法身は、白恵波羅密田のことである。

白恵波羅密田は、白がねのような知恵即ち白恵をもって、現を波がつらなるように密に積みかさねる地(境地)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月25日

今朝は、書きながら思いついたところで修正。微調程度。

修正しない方がよかったところもある。

この白恵波羅密田のような基本的な考え方元に、仏教がどのように展開されていったのか興味があり、維摩経について調べている。

金持ちの長者が、仏教の専門家に、白恵波羅密田を教えるような筋のようだ。

漢訳は注意が必要で、実際に分かり難いところがあるので、サンスクリットから和訳したもので見始めている。いずれにしても、菩提あるいは智慧は白恵、法は現などと読みかえながら、読み始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月24日

今朝は、漢字の使い方を見直した。例えば、実受想行識は、実感考行識とした。

色は、もの・ことの元という感じで、実

受けるは、考える

想うは、考える

パラミタ、波羅密多は、波羅密田。イメージは訳の中に記載。

その他、明示していないが、少し前からの変更を含めると

ボダイ、菩提は、意味を重視し、知全。

ボダイサッタハ 菩薩は、意味を重視し、知全の祈願者。

ダルマハ 法は、ものあるいは存在という意味があることおよび、文意を考慮し、実と感考行識の相互干渉によって現れているという感じで、現。

マントロ 呪は、直訳:真言・呪文であるが、全文から見て、まことの言葉+真言という意味で、ま言。

ニルバニャハ 涅槃は、意味を重視し、安心。

そして、マントロ自体は、ガテイ ガテイのところであることがわかるように訳を記載。

などである。

書の方であるが、少し太くなっているところ当たりから、墨の調子とあいまって手指がよく動き出し、無造作に書いたことによる。

−−−−−−−−−−−−−−

 

筆と硯をかえて、書いてみた。筆は、小さな字を書き始めた頃に使用していたものだ。硯は、新参。

慣れが必要であるものの、使えそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月23日

今朝は、原典の意味と音、漢訳の無理のあるところから離れるとことと、読み上げやすさとのバランスを探った。

訳の完了は、なにか、もう少しだと思っている。が、1箇所でも修正があると、関連するところ多いため、かなり後ろに戻ることになる。

原典の方には無理を感じない、理づめであり、理づめの限界も知り、苦しみを和らげるための、願いも感じる。

過保護ではなく、入口まで沿ってはくれるが、あとは、自分の足で歩く。そして、白慧をもって、行い、惟う、惟い、行うの繰り返しだ。

うつつは、5素の干渉であらわらる。実である対象はあるが、それに近づき、感じ、思い、なにかを知るのは、自分である。過去のうつつは、今のうつつと干渉させて、よいようにかえられることもある。プラチナのような静かに永遠に光る白慧がたよりだ。

白慧も、うつつの積み重ねの中で自ら研いでゆく。

白慧の核心は、うつつ即ち現は5素の干渉の中に現れるということだ。

波羅蜜多の直訳は、彼岸に至る。彼岸は自分の心の中に境地の一種だ。

自分とはいうと、今の現と過去の現からなる。

そして、過去の現は、今の白慧と現をもって、よい方向へかえることもできる。これが、白慧波羅密多の核心である。

原典の音マントラは、まことからの言葉である。そして、それは、苦しみを静めるため、全てを観ずることの入口までこの白慧波羅密多の核心をもって、ガイダンスするので、さあ、その先へ進みなさいという言葉である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月22日

今朝も、原典の音に沿うように修正。

原典と漢訳とのリンクをはかり、波羅密多を復活。

時間の流れであるが、

過去は、今のうつつ現と過去の現が干渉し変わってゆく。

さらに、書くことを継続することを目的としている。

してみると、現が積み上がるのみで、先のことはあまり意識する必要はない。

 

あまり意識する必要がないというのは、書をしていると、このようにいつまでになりたいという目標が意味をなさないということを、経験上知っているからだ。

ただ、遠くの方に、こんな風になったらよいだろうなくらいの気持ちはあるにはある。

それは、例えば、渓流の地のような、油土塀にあうような、書くことをあまり意識することがなく書くとか、である。

こういった気持ちも積み上げたうつつから現れているのだろうし、つまるところ、過去のうつつは後にどうにかできることもあるので、今のうつつに集中すればよい。

結局、自分のこととしては、流れとして時間を意識する必要はなさそうに思える。

あらましき方向、目標?、現、もうすこし、あらまし気方向の位置づけについて、考えてみる必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月21日

今朝は、原典の音に沿うように修正。

仏教用語をなくしてゆくと、原典の音から離れてしまう。

法則のところは、意味を重視し、苦しみを静めるためのところは、原典の音を重視した。

ただし、観という字がなくなったので、菩薩も察しがたくなった。

筆先の調整がまずく、先割れが発生しやすく見にくくなった。

法則のところであるが、長年、開発にたずさわってきたので、空から実の方向はなんとなく実感できるものがある。

目的があって、頭の中に考えが生まれ、設計図を書き、物として実験を通して、世間で使用できるように実現してゆく。

空から実が実感をともなったのは最近のことだ。となると、逆の方向、実から空の方向も、できるようになったところもある。

例えば、いやな気持ちを鎮めたいのであれば、その後に新たな経験もしている今の時点から、過去に下りながら、このようにも考えられるという感じで自分にとって良いように過去の実を解釈をしなおす感じだ。過去に実と考えたことは空へ。

過去には、頭の中では自由にゆけるので、時間は未来から過去に流れ、今から出発して、未来となるようなところも、少し実感がでてきている。

空から実へ、実から空へである。

過去の行いが未来を決めるのではなく、今の積み重ねが未来であると考えた方がよさそうだ。

自分との約束事は、1つだけで、書を続けることだ。このように般若心経を訳してみて気づくことを楽しんでいることも、その約束に対する報酬と思えている。

興味深いのは、原典を知らないことを利用し、原典とは少し異なる訳をして、原典の意図とは逆の方向へ導いてしまえること、そして、その変えた訳を使い、原典の意図するところへ、よりよい方向でより多くの人を導いてしまえることである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月20日

今朝も、原典に沿うために、ひらがなの力を借りて、なるべく仏語を使用しないように修正した。

心を含めて、科学的に観察して、考え抜いて得た法則を元に、苦しみを静めるためにその法則を使って書いた文である。

いわゆる心理学と科学的な態度と哲学とが一体となった思想である。

これに気づけば、洗脳で苦しんでいる方は救われる。

漢訳は、これを悪用すれば洗脳に使用できるようにそっと原典を変えてしまっている。

漢訳であってもうまく使えば、京都にたくさんのこっている神社仏閣や、仏はご先祖様、心は感謝の気持ちとなる。

多くの方がそうであると思うが、般若心経をそこまで気にして読むこともない。ギャーテイは、なんとなく深淵である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月19日

今朝も、少し多めにひらがなの力をかりて、原典になるべく沿うように修正。

言葉の定義がどうしても入ってくるが、サンスクリット語の音を残して、原典の内容に沿おうとすることによる。

 

 

 

 

 

 

 

 

10月18日

今朝も、原典になるべく沿うように修正。

原典の音写である仏教用語をなるべく残し、理解のため少し説明的な言葉を追加した。

この本質は、宗教、あるいは哲学というよりも、世の中のことをよく観察してその結果を適切な言葉で表したもの、今の言葉でいえば、物理学に近いのではないだろうか。

達摩と空で観るという基本法則があり、それを人々の苦しみを鎮めるという観点で、展開したものと見える。

観全菩薩が、苦しむ人を、白慧の原の入口に導き、そして、自分でハスの華をさかせるように、気持ちを整理するようやさしく背中を押されているイメージである。

観全菩薩の像をほりたい気持ちがする。

 

 

 

 

 

 

 

10月17日

今朝も、原典になるべく沿うように修正。

仏教用語が少なくなってきた。とすると、哲学的な雰囲気がし始めた。

 

観自在は、原典直訳で全てを知ること。

般若は、原典の音訳ではなく、今となっては、イメージ的に原典から離れてしまうため、サンスクリット語の音プラジニャとその意味智慧から、音が似ているプラチナつまり白金、白金が理知的にさびることなくひかり続けることから、白金+智慧=白慧(びゃくえ)えという言葉を作りあてた。

音訳波羅は彼岸を意味しているが、さすが、これを彼岸とすると、雰囲気がなくなるため、これはそのままとした。覚り悟りを意味する音訳:菩提もそのままとした。

おおきな困難にあい苦しみにあるときに、この教えに導いていただき、最終的には、全体の中で、どのように関連するのか、空間的時間的にも、達摩と空によって自分でよく考え、ハスの華のように考えをまとめてゆくという教えに読める。

真言はまことであり、そしてまことは、進み進んで波羅へいたる波羅へ共に進み、さあそして菩提をひらこうというありがたい言葉のことである。彼岸つまり白慧の原の入り口まで導いていただけ、そして背中を押していただける。

聖なる方は、広隆寺の弥勒菩薩像のイメージだ。

原典は、漢訳から受ける印象とはだいぶと離れたところにあるように思われる。

漢訳を悪用すると、大きな困難にある方をさらに暗い気持ちに落とし、ある人に全面的に依存するように、洗脳し、意のままに操るというように使えてしまう。その極まったところがオウム事件だ。

白智の原で、達摩と空を使い、起こったことを自分で、ハスの華のような考えにまとめてゆく。背中を押してくれているのは広隆寺の弥勒菩薩像である。宗教から遠ざかりたいのであれば自分の母親でもよいだろう。

それから、白慧の原のイメージは、龍安寺でよい。

弥勒菩薩像が、池のある広い庭のどこかの大きな岩に腰掛けて思惟している。

 

 

 

 

 

 

 

 

10月16日

今朝も、原典になるべく沿うように微調した。

原典に沿って、聞いて意味を理解できるような訳にしたいと考えてのことだ。

サンスクリット語の音プラジニャ=漢訳般若=ここでは智慧としたが、なにかよい言葉がないか考えている。プラチナと素早く言っているように聞こえないこともない。理知的に永遠に光るのでイメージ的には良い。

 

しろがねの波羅蜜多あるいはしろがねのお彼岸。

それから、サンスクリット語マントロ=真言=お釈迦様の言葉がけ=「進み進んで波羅にいたる。波羅へ共に歩み、菩提をひらこう」である。これもなにかもっとやさしさを含んだ言葉がないかとか探している。

 

やさしい言葉=やさしの言葉あたりが良いとは思う。

やさしいと言うと簡単という意味を含んでしまうためだ。

 

高みから見るように観ずることができるようになるハスの華を求めお釈迦様は、かって、深く深い白がねのお彼岸で惟い惟い・・・

となり、なにか昔話風に変えることができる。

いったん、今行っているところの延長で訳を終えることができた後に、昔話も試行してみる。

 

 

 

 

 

10月15日

今朝も、訳の変更は微調程度。原典に近づけようとした。ただ、最後の訳としては、おわりという感じが原典からはよいと思うのだが、わが気持ちとして合掌とした。

波羅蜜多は、漢訳から流用した音訳である。

こころの境地のことなので、気持ちとしては、パ−ラミタ=パラダイスがしっくりきている。

今朝は、記録を見ずに、思いだしながら書いた。それもあり、誤りが何か所かで発生。

筆先の調整がうまくゆかず、一度、墨を新たに磨るところからやり直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月14日

今朝も、訳の変更は微調程度。

これを名付けするとすれば、般若はイメージがあまりよろしくないため、達摩の教えとでもとらえておいた方が良い。

本来の教えのイメージは、蓮の花、苦しみに寄り添ってくれる広隆寺の弥勒菩薩像。良く考え、自分も自分の足であるくこと。

苦しみから逃れるために、さらにおどされ、だれか特定の人にすがるよう強要されるような言葉はどこにもみえず。

進み進んで、蓮の花のような境地へいこう。共にあゆみ蓮の花を咲かそうと、お釈迦様が真心のこもった言葉で、やさしくお誘いされている。

一番肝心な真言のところを、あえて訳さずに、しかも、調子を若干変えて原典はガテイ、ガテイと聞こえるところを、ギャーテイ、ギャーテイと、悲鳴にも聞こえかねない。

また、達摩は、濁りなく清むであるが、濁りもない、清むもないという感じにかえ、般若は、鬼のイメージである。原典にはないところで苦と厄という漢字を追加、まごころの言葉に呪という漢字をあてている。

 

これは、なにか本来の内容から意図的に変えているように思える。

こういった悪用の極まったところにオウム事件が位置する。洗脳の仕方は大昔から確立しれている技法なのだろう。

というようなことで、これまでこのお経になんとなくイメージしていたところからは、なんとも離れたところに進む。

 

ただ、写経することもあまり特殊なことではなく、お経を大切にし、目に見える形としては京都のお寺として、よいように文化を育むことができていることに感心する。

 

 

 

 

 

 

 

10月12日

訳の変更は微調程度。

繰り返しているところは原典に合わせるようにしているが、読み書きやすさを優先させて省略したところが少しある。

今朝は、墨の磨り方がうまくいった。始めから終りまで、墨の調子を一定にできた。

こういう日もある。

色であるが、普段はできるのであるが、今朝は少し太くなった。これは、書けるかなという恐れみたいな気持ちがわずかに湧いたままにして書いたことによる。

気力が一番充実している時間帯に書いているので、自由に書いてはいるがこれは清書である。できるといろまでしかできないのだから、本来、手指にまかせておけばよいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月12日

思わず般若と書いてしまったが、昨日から智慧と訳している。

こうしてみると、般若心経からは、広隆寺の仏像が現れてくる。

その当たりは良くできるので明日にでもそのようにしてみる。

このようにして考えてみると、漢訳に導かれると、違う方向へ進んでしまうのではないだろうか。

特には、呪という漢字の使い方と、ギャーテイという音訳あたりに、そのようなところを感じる。

ここでは真言としているが、まことの言葉といっても良い。また、

菩提は悟りでもよいが、音写なので菩提としてハスの花を思い浮かべてもよい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月11日

漢訳で、原典のサンスクリット語の音写になっていないところを見直した。

ここで、般若は消えて智慧となった。

般若心経、名づけとして困ったことになるが、やはり原典に近づこうとすると、避けられない。

さらに、極力、原典の沿うような訳に替えてみた。

おもしろいことに、サンスクリット語の声音調に訳を読む上げることも可能だ。

文字が小さいが、使いこんだほうの硯を使うとこのようになることが多い。

すこし墨を濃くすりすぎ、最後の方、筆が割れぎみだ。

 

 

 

 

 

10月10日

訳の微調をしている。ただ、一箇所、検討の途中。

今朝は、文字が小さいが、

見渡せるからか、視認性はあまり変わらないような気がする。

般若心経は、こんな範囲に書くことができるのかという感じだが、広大だ。歴史があるので漢訳を尊重しているが、やはり原典があってのものだ。

言葉と論理とその限界と、目的の深い追及。

これもまた、枯れることのない泉。

筆を、柔らかく保持して書くこともまた泉である。

ちなみに画数の多い漢字は、とにかくこの漢字と指定すると手指が自動的に動いて書いている。自分のことながらおもしろい。

 

 

 

 

10月09日

舎利子を抜いたのは良いが、すわりが悪い。

原典を確認すると舎利子は入っている。そうか、原典を優先してたのか。となる。

という具合だ、原典を、再度、調べ初めている。

書いたり、読んだりしながら、訳していると、自ずと、気になるところがでてくるのだが、多くの場合、そういうところは、やはり、それなりの事がある。

何冊かの本、インターネットの情報に当たりながら、進めている。

なるべく、原典に沿って、見やすく、もれがないと都合がよいのだが、当たり前のことで決定版は見つかっていない。

 

−−−−−−−−−−−−−−−−

漢訳になじんでいるので、それを生かしたいのだが、進めてくると、変えざるをえないところががでてきてしまう。

般若と波羅蜜多はサンスクリット語の音写であるが、これはなじんでいるのでこのままの方がよさそうだ。心の中の境地であるので、意味は同じと考え、場所として訳している。

個々の単語については、必要により別途、イメージを持っていただくと良いと思う。

書き慣れてくると、同じ文字ではあるが活字とはべつものになってくる感がある。

このように読み書きしていると、文字として書かれていないことについても、これを教えたいのだろうなと感じるところも自ずとでてくる。

そうなると、冗長なところも原典に沿った方が良いことになる。

今朝は、その方向で訳してみた。

 

 

 

 

 

 

 

10月08日

目でみるはないまぶたにえがくはないを抜かしてしまった。舎利子を削除したところで、誤った。

ただ、手指はよく動いたので掲載。

 

やはり、今の時点では、文の記憶のために、前日に時間を使わないと誤りなく通すことができないということだ。

 

記録をたどると、9月12日から般若心経の訳をし始めた。順調の内。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月07日

般若心経を訳していて、気にいった言葉を書いてみた。

 

紙と筆共にそれぞれ異なる。ほとんど雰囲気が同じ。こういったことをする場合は、この文房具を使用すると決めてみたいのだが、あまりこだわる必要がないのかなどと迷う。

 

 

 

 

 

 

 

10月07日

紙をもとにもどす。

昨日の紙は、線質が変化に乏しく見える。

今朝は、訳を変えていない。

が、舎利子が1つ多すぎることに気付いたので明日に修正する。

訳をしてみて思うところは、流布している漢訳は、音も含めてだが、平坦に感じる。

 

サンスクリット語での読みではそのようなことはないのだが。

訳としても、五蘊の縁である達磨の清をまずは否定しているところと、最後あたり、訳さずにぎゃーていぎゃーてい、と原典に近いのだがふしぎな調子で読むためにどうしても、やさしさとは無関係になりがちだ。

−−−−

あるようにしか感じられないものをこれだけ、はないはないとされると、逆に爽快で暗さがやわらいでゆく。やはりありがたいやさしさなのだろう。

そのように感じると、広隆寺の弥勒菩薩像は般若心経でもある。

三蔵法師の漢訳や、なんとなくであるが禅宗から受ける感じとは少し異なるものがある。なにか目的が違ってしまっているようにも思える。

 

 

 

 

10月06日

紙をかえた。かすかに触れる程度で墨がのる。書いているというよりも、なでている感じだ。こちらの方がよいかもしれない。

今朝も、訳を少しかえている。

なお、墨は日本のものだが、紙と硯と筆は中国製。

これら好みに合った中国の文房四寶から感じることに関して言えば、ちょっとというのか、あまりにもというのか、道具であることを中心とした追求の仕方が深い。

細部といっても皮膚感覚も含めてなので目には見えない微妙なところまで妥協がなく、創造的だ。自然の素材を利用して作るのでもちろん手仕事になる。見た目というのか漂う雰囲気もただならぬものがでてきている。こういったものそしてそれを生み出すことができることを文化というのだろう。もちろん文章を書く道具なので、文化だろう。

自然と手にとり、日々使う、ことの喜び。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月05日

今朝は、4筆目に書いたものを掲載。

筆をリセットする方法がわかってきた。少し前までは2筆目からは快適ではない状態で書いていた。

今朝は、達摩の説明のところだが、誤まった状態で訳がでてくる。そこは訳をかえなかったが、他のところで訳をかえたところがある。

また、昨日話題にしていた最後の般若心経であるが、原典から言えば般若波羅蜜多心経が良いのだが、般若心経でわかるので、そのままにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月04日

今朝は、最後のひらこうのところを除いては、書くペースで、訳が頭からわいてきた。

ただ、ひらこうよりも、般若心経のところをもう少し咀嚼したいと考えている。

般若心経は、仏が説くとなっているものの、やさしさのある方がお話になっているという感じだ。

 

なお、菩提、波羅密多、達摩は、サンスクリッドの音から来ていることが容易に理解できる。

般若は、?若?という感じで、サンスクリットの音との関係はゆるい。

 

 

 

 

 

 

 

10月03日

 

書くのに合わせて、訳を思い出すことはできるので、落ち着いて書くことができる。

時に、書き間違いをする。が、そこは訳がこなれていないことが多い。

今朝は、書いては誤り、訳を見直しては書くを繰り返した。

それにしても、般若心経を訳していて思うことは、やさしさである。

中論、時には禅問答に感ずるような理とはかなり離れている。言葉でわけてゆくことの限界みたいなところによりそう。

 

1番目と2番目は今朝使用したので、第3番目の筆を使用。これはまだ筆先がこなれていない。書くことはできるものの、書くことにだいぶと集中が必要だ。

 

10月02日

今日は、少し訳を見直した。訳は、原典をもとに、三蔵法師の漢訳を参考にしている

漢訳、不生不滅不垢不浄、今朝の訳は、不生。不滅。濁ることなく清む。減るはない。増えるはないとした。

原典に沿って、清むを否定しないことにした。少し後の方で、空的に否定されているため、、意味への影響は軽微であるが、五蘊の縁である達磨の印象がガラリとかわる。

 

 

 

 

 

 

1回目 筆東方先生用

 

2回目。筆調和体用

 

 

10月01日

原典を見て、無知を復活、得る、智るの順番変えた。順番はどこでなにを思いこのようにしていたのか・・また、達摩の説明を復活など。

 

訳を思い出すことが容易になり、書きやすくなった。

般若心経は、日本語に訳して見ると、やさしい。

 

 

 

 

 

 

 

9月30日

訳を何か所か見直した。

よりわかりやすく、読みやすく、スムーズに訳を思い出すことができるようにと考えてのことだ。

 

ただ、1か所迷っているところがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

9月30日

前回とほぼ同じ。

訳は、盡くすをつくすとするか、全てを削除するか迷いあり。

 

 

般若心経的なところで思うのなら、

色:墨蹟
受:筆と紙と手指の触れ合いの感じなど 
想:訳 
行:書くこと 

識:墨蹟から我を識るなど

そしてこの場合、空から色へ、そう訳を取出す

さらに、すでに、おぼろ、少し遠くから眺めると、この色は空、つまり、

的だ。

しかし、これは、いわゆる

的。

−−−

 

暗くすると実体は消えてゆく。書の方は、大きくすると、昨日と同じ程度には読むことができることが理解できる。

色即是空空即是色

 

日付誤り。実際は9月30日に書く。訳を固定できれば、音読も取り入れて文をもう少し実用的な状態で頭にインプットする必要あり。

 

 

9月29日

今朝は、1筆で2回書いてみた。1筆で3回ほど書くことができるかもしれない。

訳を思いだす方が、いまひとつであるが、すらすらと思いだすことができるところは、テンポ良く書くことができている気分である。

案外、波羅密多は快適で、力が抜けると爽快だ。

訳は、ひとつ変更した。咲くをひらくとした。

「ひ」の方が気持ちが解放されるような気がすることによる。

 

般若心経的なところで思うのなら、

色:墨蹟
受:筆と紙と手指の触れ合いなど 
想:訳を思い出すこと 
行:書くこと 

識:墨蹟を見て自分がしようとしていることを知ることなど

そしてこの場合、空から色へ

さらに、遠くから眺めると、この色は空

 

しかし、今、いわゆる

的な、気分だ。

 

 

 

 

 

 

9月28日

文字が小さくなった。が、これは意図したものではない。

自分でしていることであるが、雑念にはなるものの、これはなぜかと書きながら考えたこととしては、文を思いだすことと書くことのリズムをテンポよくリンクさせようとしている模様だ。

こうなると、画数の多い漢字はつらい。ひらがなは、このくらい小さく書いているためか、連綿にしなくとも今のところテンポは保てている。

ただ、草書を使うのはなにか抵抗がある。

また、訳文は、すらすらと記憶から出てこないところがあり、時に、前回書いたもので確認する状態だ。当然、間違えて出てくる場合もある。

東方先生は、一度で憶えてそらんずることができるのであるが・・

能の謡いでもそうである。されている方と比べると、足下にも及ばない稽古量であるものの、なかなかである。昨日はできたところが今日はできなくなりつつ、行きつ戻りしながら少しずつ進む。

般若心経の書の方は、文房具の使い方、書体、筆使い、訳、音読の具合などとも、リンクさせながらなので、記憶がこんな具合なのは、良いといえばちょうど良い。

書の方は、一番気が充実している時間帯を使っているので、稽古量としてもこれで十分と考えている。

なお、訳は変えたつもりがないので変わっているところは誤りだ。漢字をひらがなにしたいところがでてきているものの我慢している。

 

 

 

 

9月27日

訳は変わらず。

文字が小さくなった。筆は東方先生用。

・・・

書き誤りあり。

 

・・・・・

 

夕方に書いたものを掲載

紙が波打っているところから書いたこともあり、最初の1行目の漢字が大きくなった。このあたりを除くと文字はやはり小さくなっている。

これは、ひらがなが筆の弾力を利用して早書きできるようになったことによる。

 

 

 

 

 

 

9月26日 般若心境

 

 

 

 

 

 

 

 

9月26日

訳をすこしかえた。

ややスムーズに文字が浮かぶようになってきた。こうなると、稽古に使用する字形からは離れてくる。

 

これなら、ちょっと、写真と合わせてみることにする。

ただし、今日3回目のもので合わせた。

筆は、同じだが、墨の磨り方を少し緩くした。

なにか簡単に書くことができる。訳も同じだ。

−−−−

−−−−

−−−−

般若心経は、仏の優しさであり、蓮の花であるが、

当方は、根が、技術者である。どちらかというと、空からなにかを取り出して、作り出す方である。作ったものがうまく動かないのは原因があり、なんとかしないといつまでも動かない。

が、般若心経のことは般若心経であり技術のことは技術のことで矛盾は感じない。

こなれてくると現れる書を見ると、どちらにも、住んでいなさそうだ。

と2回目まではそう思っていたが・・

 

 

 

 

 

 

 

 

1回目

 

3回目

 

 

9月25日

今朝も、訳を一箇所かえた。

文字のでこぼこの傾向は、昨日と同じだ。意識すれが修正できるので、書いた後にわかるというのは、身についていないということ。

また、文章を思いだすことと書くこととがよくはリンクできていず、ギクシャクギクシャクと書いている。

能の謡いであるが、本を見ないで、約45分、謡うことができないものかと試みている。来年の3月にはそうできれば成功である。

謡い方を教えていただきながらとなる。ページ数で言うと、27ページある内の、最初の4ページのところを練習している。3週間近くたつが、ほぼ覚えた状態で、何カ所かは、スムーズに思いだすことができない状態である。短時間でも良いので練習することと、毎日それを継続すればできるようになるのではないかと期待しながら取り組んでいる。

はじめは、びっくりするほど記憶できないが、徐々に記憶はできてゆく。記憶は、繰り返しによると考えている。

この当たりは書と同じこと。繰り返し書いてゆけば、特に意識しなくともスムーズに書くことができるはずだ。とりあえずは、般若心経の訳をそのようになるまでして、東方先生に戻る予定だ。

 

 

 

9月23日

少し訳をかえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

9月23日

今朝の訳は、昨日と同じ。

書く方はというと、書はスポーツと同じところがある。こなれさせてみるなどという、書くことに対して意識するようなことを思ったものだから、今朝はだいぶ窮屈な思いをしながら書いた。

そしてなによりも、昨日と、同じ傾向でより乱れた。つまり、意識すると結果につながらない。

気合いが入る一番良い時間帯に書をしている。使用している道具については、限界性能に近いところで使用できていると思うので、こなせていないところが明らかになるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月22日

無がなくなった。

調和体用の2本目の筆ができた。と・・

今日は、東方先生の通し用と調和体用とあわせて3本の筆で、般若心経を通したが、いずれも、最後当たりで墨が尽きる。掲載は、やや無理をして一筆で通したもの。

なにかさわるところがあると、文字が大きくなるような気がしてきた。こころの動きというのか、意識をよく反映している。もちろん意識が出てくると、なんとなく文字が大きくなるという具合だ。

訳も固まってきたので、もう少しこなれさせてみる。

 

 

 

 

 

 

 

9月21日

今朝の訳である。

声に出して読みながら進めている。訳は、希なことであるが区切ることができるかもしれない。

 

 

 

 

9月20日

読みやすくするために、訳を見直している。

ついでに、一部ひらがなの形の変更を試みた。しかし、手についていない。ギクシャク、ギクシャクだ。

が、声に出して読む方は、般若心経の意図に沿ってきているように感じる。

 

 

 

 

9月19日

声に出して読むことも考慮して訳した。訳の確定までもう少しと思うものの、そういう常態が続いている。

原文に極力忠実に、三蔵法師の漢訳を参考にして、日本語としてこなれさせてという感じで訳している。参考といってもこの漢訳は今では日本語に大分入り込んでいるのでそれも考慮した。

本日分は、清書的に書き直したいが、やはり一筆で書きたい。

一度使うと、半日以上は筆を休ませる必要がある。

筆は、継続して使用することで、筆先をうまい具合に摩耗させる必要がある。いくつか、作ろうとしているが、今時点、一筆の筆は2本だ。

小さな文字を書くのに、2、3字ごとに墨を含ませるのではなにをしているのかわからないと思う。一筆は快適だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月18日

訳が確定しない。変更しながらの書となった。

1筆、2筆あたりまでは快調であるが、この回数が増えてくると、だんだんと墨をすわなくなり、やや苦行となる。

単純ななミスもしているが、なんとか、最後まで書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月17日

少し訳を見直した。このあたりで良いように思う。

後は、継続して、訳を記憶してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月16日

般若心経の訳はいったんこうして、すこし、どのように解釈されてきたかを勉強してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

9月15日

快調になってきた。

訳の固定と記憶が今後の課題。継続が必要だ。

今朝は、硯をかえている。いつものと比べると、面の肌理はあらいが、同じ程度の濃度にするのに少し時間を要するというように感じた。

 

ひと筆目の書き心地は変わらないが、ふた筆目が、ひと筆目と同じ感じで書くことができた。安定してこのように使用できるのであれば世界が広がる感がある。

このように磨って使ってみないと分からないところ以外も、申し分ない。形状も、使いがっても、洗いやすさも。

箱も、雰囲気使い勝手手触りなどもよい。箱は、新しいものではないが、それよりも硯の方が長い年月使われてきた形跡が見てとれる。

小さな文字で、書くために使う硯であるということが、極限まで追求されている。

悠久の時も感じさせてくれる。

これは作ることができない。いや、硯を作ることはないが、それでも、これは作れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月14日

いつもの文房具で書くことができるようになった。

あたりまえだが、墨の調子に、文字の大きさが左右されやすい。

これは慣れでなんとかなるはずだ。語句が書くたびに変化するところがある。こちらは、書く調子が安定すればどこかに落ち着く。

 

 

 

 

 

 

9月12日

ひと筆目であるが、書くことが快調であったので、訳を少し長くした。ただ、昨日の訳は没である。

ふた筆目からがどうにも、不快だ。筆が進まない。すこし長く訳したいところがある。

書く方でなにか工夫が必要だ。

 

----

小さなひらがなを書きはじめたので、東方先生の通しに影響があるかどうか試してみた。

 

少し、大きくなった。だた、無理をしなくなったため、・・とか、いくつか考えられるが、よくはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月12日

般若心経を、訳し、、筆書きしてみた。

というか、訳すと筆書きのサイクルを何度か繰り返し、訳を決めてゆきながら進めた。

ひらがなが混じるため、いつもの筆では書くことができず、筆は、結局、東方先生の通しをするのに、はじめに使っていた筆に落ち着いた。テンポ良く、筆先を振る回すことができ、これなら、漢字の通しと同じような快適さで書くことができる。

 

我思う。手書きの文字は、活字とは次元が異ナル。小サカロウガ、ヨク見エル。意味ガストレートニ通ッテクル。

サンスクリットといってもローマ字化された原文の単語の意味を主に、三蔵法師の漢訳を参考にして訳した。案外文字数は少なくなったが、省略したつもりはなく、なんとなく日本的な気持ちと日本語の特徴が理解できた気分である。

 

 

 

 

 

9月10日

今朝も、昨日と同じくらいの速度で書いた。墨をするのから後かがづけまでで、ほぼ1時間だ。

少し前までは、1時間20分であったので、明らかに、早さが定着しつつある。

これは、概ね、記憶した文章が、テンポ良く現れることによる。

 

 

 

 

 

 

 

9月9日

今日は、というと、文章の記憶も大分進んだ感がある。快調に書け、時間も短縮している。

書いたものを見ると、暴れたり、変化することもあり、同じくらいの大きさの活字よりも読みやすいように思われる。

 

 

 

 

9月8日

作法というのか、なんというのか、作法といっておくが、自然と決まってきている。

それとともに、墨跡が安定しつつある。

このような、通しようなものを、法というのか道というのか、

が、なにか、よい言葉がないかと、考えて・・

 

書の縁が、よいか・・

 

 

 

 

 

 

 

9月7日

まだ、全文を記憶できていないが、毎日、記憶したところが増えている。

記憶しているものがすらすらとでてくると、書く方も、快適だ。もうしばらく続ければ、全文記憶できそうだ。

それと、大きく書いても、こんな感じで書くのだろうと思えるような状態になりつつある。こちらの方も少しづつ進んでいる感がある。

墨はネットオークションを利用して別の墨も試しているが、こちらの方は外れが多すぎる。

まあ、試すのは性分なのでしょうがないところがあるものの、いつもの文房具を中心に使用して、合間に試す感じになっているので、これも良い傾向だ。

 

大きく変わったのは、使った文房具を丁寧に仕舞うことだ。これで、明日書くことができる書が概ね決まる。特に、筆の後片付けは重要である。

 

 

 

 

 

 

9月4日

いつものもの文房具で通した。

筆先が割れやすい状態であった。

運命は決まっていることを理解。

前日の、つかった道具の後片づけの問題だ。とにかく、丁寧に、墨をぬぐって、気合を入れて筆先を整えておくことである。これがあってからが、書道である。

ちなみに、今朝は手指はよく動いた。

 

 

 

 

 

 

9月1日

文房具はいつものもの。望ましい状態に墨を調整でき、そして1筆。気持ちが軽快だ。こんな日は、やはり散歩がよいだろう。

 

 

筆清 墨家

 

 

 

8月31日

文房具はいつもの使い慣れたもの。

筆に墨を含ませたあと、筆置きに少し筆をおいから書きだした。

さほどの時間とは思わないが、文字がだいぶと小さくなった。

残念ながら1筆で通すことはできていない。

筆毛の根元の方に、墨が移動したためと思われる。

 

筆清 墨家

 

 

8月30日

いつもの墨であるが、もう少しのところで墨が切れた。文字が少し大きく、線も少し太目になったことによると思われる。

これは、なぜだろうと考えると、思い当たることは、肩の緊張を意識して少し緩めるようにしたことだ。

自然な緊張は良いのだが、文字を小さくしようとする意識というか意志が出てくると、肩が不自然に緊張するようだ。

そしてそれが凝りになる。

 

筆清 墨家

 

 

 

8月29日

墨を元に戻した。

やはり1筆で書くことができる。しかも今日は、まだまだ余裕がある。

書く速度が上がると、線が細くなり、ゆっくり書くと太くなる。できばえはともかく、使っていて面白い

 

今朝は晴れで、室温は30度を少し上回る程度だ。

気温が下がってくれば、どこまで書けるのだろうというくらい書くことができることになるのだろう。

 

筆に墨を含ませることを極力しないように工夫し、ひと筆で連続的に書く場合の注意点は、腕を支えるのに使う肩の筋肉の緊張が続くことだ。手指が動きだし、書く速度が増すにつれて、その緊張が強くなる。昨日、普段凝らない肩が、軽く凝っている状態になったことでそういうことに気づいた。

今日は、そのあたりに注意をして、後半、ゆっくり目に書いた。

 

 

筆清 墨家

 

8月29日

また、違う墨を試してみた。

1筆で、3/4程通している。

線は細く、文字は少し大きめとなった。

 

 

 

筆清 墨志

 

8月28日

昨夜、軽く試し、よさそうであった墨にかえてみた。

粘りがあるのか、少し大きめの字になる。可読性は、こちらが良い。

2筆で書いているが、1筆目は、快適だ。2筆目は、筆の調子がだいぶ変化。刷毛で書いているような感じとなった。

般若心経なら、1筆で書けるので、写経の方に良さそうだ。

 

2筆以降も使いこなし方があるのかもしれない。が、これまで主に使用してきた墨を使いこなす方に進んだ方が、今は良いのかと思う。

この1筆で通すことができる墨は入手の仕方も分かった。しばらくは安心だ。

 

筆清 墨椿

 

 

8月25日

 

今朝も、1筆。

やはり、この墨が今のところ一番使いやすい。入手が運任せであるところが問題。

 

−−−

筆を、少し前まで使っていたものに戻し、墨を換えてみた。

筆先をまとめる粘りはあるものの、4筆を要した。

最後の頃、名文に気分が乗ったところで、墨がきれ、気が途切れかけた。

筆 清書 墨家 1回目

 

 

筆極 墨玄

 

8月24日

 

今朝も、1筆。

少し、余裕あり。

 

拡大

 

8月22日

 

 

 

 

 

小倉池 蓮の花

 

 

8月22日

 

今朝も、1筆。

同じ文房具だが、今朝は、大きい。

昨日が最小か。

というか、筆先が少し摩れて短くなった感がある。

 

 

拡大

 

8月21日

昨晩と同じ、紙と筆を使って通した。

試すのはおいておいて楽しんだ。

今朝は、1筆で書けた。調子が途中で変わらないので、書くことに集中できる。

これで、よい。

面積として、半紙の八分の1で通している。

今朝は、紙と筆と硯と水滴は、中国のものになった。見るとこころも、硯と水滴には太古を感じる。

紙と筆には、発色もそうだが、快適に書くことの追及を感じる。

墨は日本のものだが、おそらく、おどろくほどの善さをもったものが、中国のものにあるのだろう。当たればよいのだが。

 

拡大

 

 

8月20日

別件で、書は3日ほど休んだ。

今晩は、筆と紙を換えた。

書いているとき、目視ができにくい大きさになった。

 

手指の感覚としては、この紙であれば、もう少しというのかまだまだ精度は上げられそうだ。

点画がつぶれたとしても、その漢字の雰囲気が明確にでれば、それはそれで良い。

書いている最中、筆先と墨の調子が合ったところは、とても快適だ。

この紙であれば、この筆の方がよさそうだ。明日にでも試したい。

いくつかの漢字は、大きくとも小さくとも慣れることがなく、書きにくい。

形をだれかどこかでよろしくない方に変えていることが多々ある。

 

今日は、大変刺激を受けた。

 

拡大

 

8月16日

墨を替えた。2筆目から様子が変わるのは昨日と同様であった。これも、良し悪しの判断は通しを何度かした後になる。

少し、文字が大きくなり、視認性は向上した。

ところどころ文字が過大になった。

今の時点で考えると、準備運動の書という感じがしないでもない。が、この筆の場合は、再度通しをするとなると、筆先の調整が必要であり、乾かす時間を含めると少し時間を要する。

ひと通し目で、昨日のふた通し目のような書を、意図して書けるようになると良いなど、

いろいろ思うところもあるが、もうしばらく、この筆を使用してみる。

 

 

拡大

墨見虚

 

8月15日

墨と筆を替えてみた。

今日3度目の通しだ。あまり構えなくとも通すことができる。文房具の使い勝手を確認する方法として便利だ。

墨は、1筆目は良いのだが、2筆目から、なかなか降りてくれない状態になった。筆は、細い線が書きやすいので、可読性が上がる。

墨は、もう少し通してから良し悪しを判断した方がよさそうだ。

 

筆は、臨書用で、そっくり真似するときに使用していたものだ。先がきかないとしていたものであるが、十分に使用できるというか、先が少し擦れてきているので、とても使いやすい状態だ。

 

この筆であれば、このような通しに使って、慣れてきたら、もう少し文字が小さくなり、本日2通し目のような可読性が微妙な書き方にも適しそうだ。

 

拡大

墨朱門 筆清書用

 

8月15日

墨を替えてみた。

墨の入手性に難があることが分かったことによる。

これは、最初に筆に含ませた墨で、4分の3程書いている。2筆で通した。

自分は読めるというできだ。

いつも75−80分で通すが、これは40分で通している。

本日2通し目の書である。手指がよく動いたこともあるが、やはり、この墨がよいのだろう。

その辺に張り付けておくのであれば、このような感じの書は楽しいものがある。

 

 

大きな文字で書をする場合でも、こんな感じの書を時に書きたくなる。

筆や、書き方を工夫しないと、こんな感じにはできないが、この場合は、快適に書くことを追求した結果として、このようになる。というところに嬉しいものがある。

 

書をしたいのだが、楽に、素早く書きたい。つきつめれば、書をしなければよいのだろうが、そうではなく、喜びが伴うのだ。

 

 

拡大

 

 

 

 

 

8月14日

昨日より、少し可読性を向上させて、省面積とできた。

昨日は、このあたりまでかと思う気持ちもあったが、実際に通すとこうなる。

努力ではない。気持ち良く書いていると、自然と、こうなってゆく。

 

半紙を4分割して書く

拡大

 

 

 

8月13日

ということで、今日、2度目の通しだ。さらに省面積となったが、可読性的に、この文房四宝の場合は、この当たりが限界か。

 

慣れもあるだろうから、しばらくはこのまま続けた方がよさそうだ。

ここまでとすると、悔いが残るということだ。

やはり、この拡大を見ると笑ってしまう。

普段、なにをするにしても、大真面目にこような感じでもの事をしているのだろうか。

 

 

 

半紙を4分割して書く

拡大

 

 

 

 

8月13日

半紙を四分割して書いてみた。少し、早起きしたので、そのまま書をした。朝飯前に通すことができた。

昨日よりも、また文字が小さくなった。

可読性もまだある。隙間もある。コントロール」性もまだ飽和していない気がする。

先日、自分の書いた書を拡大して見て笑ったのは、

小さくなってゆくと、中鋒しか残れない、つまり、飾れないことを理解できたことからだ。

つめてゆくと、自分の奥、底にあるものだけが残る感じがしている。

そして、奥、底にあるものが、龍安寺の油土塀と通じていれば、この試みは成功である。

・・・・・

・・・・・

・・・・・

少し前まで、先がすり減って先がきかないとして、使っていなかった筆を使ってみている。

紙はこの筆と組み合わせて盛んに使っていた三椏を使用しているが、今となってはやはり、小さい文字が書きやすい。ただし、お行儀が良い字となる。

こちらの筆と紙の組合せの方が調和体に向いているような気がする。が、通しに使っている方は調和体を試しておらず、コントロールも難しいものの、この筆をにじむ紙との組み合わせで使用することは、とても魅力がある。

可読性を保って、どこまで小さくなるのかであるが、今朝の通しを見ていると、まだまだ小さくなってゆきそうだ。目視はつらくなりつつあるが、次は、手指の感覚に頼ることが多くなる。

小さくすること自体は、あまり、特別なこととは思えなくなっている。目視ができるかできないか分からないレベルまでなら、小さくな文字を書くことは当たり前のようにできることのようだ。

極小の文字を書くこと、これは筆を使うことのおもしろさの一つでり、人の面白さの発見でもある。

ということに気づく。

さて、通したい気持ちがしている。

でも、しかし、この時間帯は通しには向かない。試しても良いが、明日の気のレベルが下がるような気がする。

 

半紙を4分割して書く

拡大

 

 

 

8月12日

 

墨を替えて見た。通しの面積はほぼ同じだ。漢字の視認性というのか、可読性というのか、これは大差がない。

墨を替えたのは、昨日までの墨は使いなれていたのだが、今は、作られていないことが分かったことによる。

1筆で、6割程度書けたのは良いが、2筆目から墨の下り方の感じがだいぶ変わる。最後の方で、一画一画を極力基本に忠実に、引くと、下り方の感じが良くなったことを確認し、通しが終わった。

1筆というのは、墨を筆に含ませた最初の回を言い、2筆は2回目のことを言う。今日は、3筆で通しが完了。

最初と最後で、線の感じが異なるため、墨を使い慣れる必要がある。少し、筆の中で墨が固まる感じがあるので、使いこなすことができるかどうかは微妙なところがある。つまり、日によって、うまく調整できる場合とできない場合がでてくるおそれがある。

 

当然のことであるが、1通しの間は、同じような感じの線になるようにしたいものである。

 

 

拡大

 

 

8月11日

 

水滴を替えてみた。さじですくって垂らす方式。適量し易く雰囲気の善いさじと水盂が手に入った。水盂は玉で、この水盂をもって、玉の善さを初めて認識できた。これも太古をイメージさせ、硯とよく雰囲気が合っている。

 

墨のコントロールがしやすくなり、運筆の精度を上げることができるようになった。

文字は小さいのかどうか分からないが、半紙の四分の1以下の面積で通している。

楷書に近いため視認性は良い。もう少し手指の感覚に任せて書く範囲を増やすことができれば、さらに省面積になるだろう。

少し、写真の撮り方も要領を得てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拡大

 

 

 

 

 

8月10日

 

今朝の書の一部拡大。

思わず笑う。

小さくても大きくてもこれでよいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月10日

また、小さくなった。墨の濃度によるものと、文字単位で半分無意識であるが改善している。

点画を極力省略しないようにしているので、読める範囲というのか、視認性はこれまでと大差がないようにも思える。

1文字1文字の精度が上がれば、半紙の1/4に納まるのかもしれない。

なんとなく余裕ができると、文字を小さくする方へ向かうのはなぜだろうかと自問状態である。

やはり、これも、快適性、実用性と、龍安寺の壁にあうようなというようなところを、気にかけていることの現われなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半紙半分の大きさの紙に書く

 

8月9日

今朝は、墨の調子を一定にできた。

どちらかというとこうなる方が、珍しいものの、そのうち、一定にすることを当たり前にできるようになりたいものである。

8/1の書が前の硯で、今朝の書が今の硯を使った場合という関係になると思われる。

今回の硯の大きな特徴は、筆の中で墨が固まりにくく、一度筆に墨を含ませると、ずいぶんの文字数を書くことができる状態を容易に維持できることだ。これと比べると、

前の硯は、このような通しに使用することが現実的ではないような気がしてくる。

 

筆に墨を含ませる動作がほとんど必要でなくなると、筆というのは、筆記具としてずいぶんと実用的な道具である。

というかこれ以上の筆記具は、ないと思われる。

弾力を利用すれば、書くこと自体が快感である。小さな文字を書くのも、大きな文字を書くのも手指の感覚的には大差がない。

楷書が強い行書に向くので、読みやすい字を書くことができる。このように小さな文字を書くことも容易だ。

墨の調子をもう少し安定的に一定にできるようになれば、調和体で通しをしてみようと考えている。

 

 

 

 

 

 

 

半紙半分の大きさの紙に書く

 

 

 

8月8日

また、少し文字が小さくなった。

一度、墨を筆に含ませると300字程度書き続けられるものの、墨の濃度の調整にまだ慣れていない。墨の調子が書に現れている。

この硯の場合は、どこで安定するのかまだ分からない。手指の感覚もどうやら変化している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月7日

硯を替えたので、文字が小さくなった。文字を小さくするためのテクニックは使っていない。

まだ、硯になれていない。はじめは少し濃く墨を磨りすぎた。

墨が初め濃い目であったため、通した時間も、多少長くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月4日

やはり、硯を替えると、文字を小さくしやすい。

初めは、いつもの大きさで書いているが、勝手が分かるに従い、自ずと小さめになってきた。

墨の濃度の調整も、あまり神経質にならずとも良い加減になり、筆に墨を含ませると100字以上は、そのまま書き続けることができる。

硯は、今していることにちょうど良い大きさで、墨も必要最小限という感じで磨ることができる。小さい硯であるが蓋もある。端渓水岩の、なんとも言えない色合い、太古の気分というのかそのような気分にしてくれる。また、硯とした方の気合も感じることができる。

この取り組みをするまでは、特に使い勝手の面で端渓水岩の良さを知らなかった。

小さな文字を快適に書くように工夫をしてゆくと、見た目だけではなく、使い勝手の面でも、良さを理解できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月3日

硯を変えてみた。こちらの方が、墨の調子を一定にすることが容易だ。擦り心地もよい。

 

筆も先割れがしにくくなる。大分と、無造作に筆先を振り回して書いた。文字も小さい。

スピードもだいぶ速い。

感覚的には。

 

しかし、通した後に、時計を見ると、いつもと同じ程度だ。文字も小さくなっていない模様だ。

??

 

まあ、感覚的にはいまのところ善い。しばらくこの硯を使ってみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月2日

現状のiphoneのカメラ機能が優れた機種を使えば、普段の書の写真の解像度を上げられるかもしれないものの、さっと写して利用すると、これまでのようなところが限界だ。

 

今日は、日光も利用して、一眼レフカメラを使い、解像度が上がらないかと期待しつつ、書の写真を撮ってみた。

JPEGにするときに高画質になるようにしているものの、思うようには解像度が上がらない。

いつもと大差はない。今日はこのあたりにしておくものの、なんとかならないものかと気にはなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/1の書

 

 

8月2日

今朝は、半分を過ぎたあたりから、筆が墨をすいにくい状態になった。これにともない、色も薄くなっていった。

原因として思いあたるのは、水滴から水を滴らせるのだが、ここ何日かは、思うような量で水を滴らせることができていたが、今日は、うまくゆかなかった。そういったことから、

墨の濃度をうまい具合にコントロールできなかったのかと思われる。

擦っているときも気になったので、うまい具合に気も注入できていないこともある。

 

やはり、やり直してでも、いつもと同じような感じになるようにして、進めた方が良いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

8月1日

今朝は、さらに、墨の使い方を快適なものにできた。

墨が安定すると、書も気分も安定する。

 

紙、筆、硯、筆、そして水滴、そして、それらの使いこなし方など、一連の取り組みで得られたものは大きい。

一番創造的なことができる時間帯で継続して取り組むことの意味が良く分かる。

 

今時点の状況でなければ、このようなことは、しようがない。

しようがない時に備え準備をし、そして、その時が来たので始めた。

のではなかろうか。感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月31日

 

今朝は、

筆に、墨を含ませたのが、4回だったか、5回で通している。

墨を含ませる直前に、墨の濃度を調整する方法が成功した。快適な書き味を保ちつつ、通すことができた。

一番最初の墨の濃度が濃すぎるのかそうでないのかが気になるところだ。これは明日にでも試してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月30日

今朝は、最初に筆に含ませた墨で、どこまで書き続けられるかためしてみた。

1/3程は、書くことができた。その後は、だんだんと、書きつづけ続けられる文字数が減ってくることを確認。後の方は、筆先をいったん水洗いして、つまりリセットしてから使用した。

水の使い方で工夫の仕方はあるが、今日は、試していない。明日に試してみる。

筆先の調子がそのまま現れた書になった。

 

 

 

 

 

 

 

7月29日

筆、墨、良好である。

今朝は、筆先の調子に比べると、手指の方が緊張ぎみであった。

準備なく、書き始めたこともあり、早くに通すことができた。あと、2割程度、スピードアップできれば良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月28日

筆の先が、割れやすい状態であった。なんとか、通した。ただし、最後の方で解消できたので気分よく終わることができた。

先割れしやすい状態であったため、昨日よりも通すのに時間を要した。こうなると楷書の風合いが強くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月27日

今朝は、概ね、狙い、そのように書くことができた。準備の時間もさほど必要でなかった。いつもと比べると、6割程度の時間で通すことができた。

若干で良いのでさらにスピードを上げることができれば、筆先と墨の調子も快適なままで通すことができそうだ。

 

 

 

 

 

 

7月25日

今日は、なかなか通せず。途中で間違いが頻発する。

3度目のトライで、最後は無理無理に、文字を小さくして書き終えた。

 

墨の使い方の試行錯誤が続いている。これという感じで書くことができているのは数行だ。

欲か、分かってきたのか、数日前から、通すことが、返って難しくなってきた感がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月24日

以前の筆であるが、硯、墨、紙も以前のものに戻して試した。

小さい程度あるが、小さく書いた方が良い状態になっていることを確認。

案外、早くに終わらせることができたので、いつものように東方先生を通した。

今朝は、というと、墨の吸い込みが悪くなる前に、いったん、筆を水洗いし、リセットしてから使用した方が良さそうな感があることを確認。

この方法はこの方法で、難しいところがあるが、今使用している紙であれば、紙が助けてくれることもあるので試してみる価値はある。

つめてゆくと、書こうとしている文字により、筆、紙、硯そして墨の組合せは、ほぼ固定されてくるということのようだ。

なり行き的に始めた今回の書道も、なんとなく、落ち着き先が見えだした。

落ち着けば、以降は、書こうとしている文字の一つになる。

油土塀、渓流のような書にならないかなどというような希望を持つ場合は、目標を設定してそれに向けて、こうしてああしてといういわゆる目標管理的な手法は役に立ちそうにない。こういうことをあらためて思う。

 

ちなみに、上の写真は龍安寺の油土塀の写真で、今現在、パソコンの壁紙として使用している。このものも、思わずにこうなった類のものだ。

 

 

 

7月23日

 

 

 

2か月弱であるが、同じ筆を使い続け、東方先生の通しをしてきた。

用事で、少し大きく書く必要があり、通しを、する前に使っていた筆をひっぱり出してきて、使ってみている。しかし、

以前に書いていたような大きさにならない。だいぶ小さい。そして、先が傷んで使えないとしていたものも使うことができるではないか。墨か、硯か、手指の感覚か・・・    ・・・

2、3日は、以前使っていたこの筆を使うことになる。すこし落ち着いてみる。今日は、このあたりまでにして、これはこれで、調べてみる。

 

 

 

 

7月23日

なんというのか、気持ち的というにか、いや、そうそう、手指的に自由側に振って書いてみた。

3枚になったのは、文字が少し大きくなったことと、詩の部分が分かるように書いたことによる。

 

最近、書法とうことでyoutubeで中国の方、台湾の方の動画がUPされているので見てみた。

筆の持ち方は基本的に同じである。が、手指がその状態で固定されているように見える。

また、台湾の方の書で、どうもフィルムを早回しにしてアップしているように思えるものもある。むかし、台湾を訪れたときに、かなを、とてもはやい速度で書いている動画を見たことがある。

ずっと気になっていたが、今時点で思うことであるが、おそらく早回しで再生された動画のような気がしてきている。そうでなければ、まず、墨がそのために作られたもので、筆そして紙もそのために造られているのではなかろうか。

それはどちらでもよいのであるが、概ね、綺麗な王義之的な書を大事にしていることが理解できる。

これはこれで楽しむことができる。ただ、本質的なところと思われるのだが、油土塀や渓流の地など、なにか、日本の善さと思われるものへ同調してゆく。

もともと、そういった傾向は、陶磁器を収集してゆく中で、理解できていた。

漢字の書は、楷書の強い階行書、行書の強い階行書、そして、今日のように手指を自由にした階行書、この3種類の階行書を行きつ戻りつして、日本的なところへ同調したなにか一つの階行書に落ち着いてゆけばよいのではなかろうか。書いているものを見ると、そのきざしというのか、そのような感じで進んでいる。

人ごとのようであるが、こういった抽象的で漠然としたものは、そのようなものではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

7月22日撮影

 

 

 

 

7月21日

ほぼいつもの感じで通した。短目の時間で通すことができた。

 

最後のころ、墨の吸い込みが悪くなってきた。ぎりぎりセーフという感じだ。

今は夏で気温が高いため、筆の中の方墨が固まってくるのだろうと思われる。書き上げる時間を短くできると良い。

 

筆の保持の工夫で、時間は短くできそうだ。このような感じで続けることにする。

 

 

 

 

 

 

 

7月21日

中指の腹に気がとられ、手指に力が入り、途中から、手指がおもうように動かなくなった。なぜ良くないのか把握するために、頑張って、最後の方は集中力を切らしながらも、通した。が、これでは、苦行だ。昨日よりも、さらに動かない。いままでどうしていたかも分からなくなった。

変え過ぎたようだ、わずかに、というのか、時折、交えるというのか、すこし変えるところから基本を守りつつ、行うべきであった。

 

経験から考えると、試みなくても分かるようなことに、余り考えることなくスッと取り組む。これが、いまだ健在だ。

これを若いというのか、〇かいというのか。

とにかく、やり直しだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月20日

中指の腹に微操作の比重をかけて書いてみた。

文字はさらに小さくなった。

字形というよりは、字勢というのか、筆使いの勢いから言えば、行書が強い階行書だ。

筆先を振り回しやすく感じ、書きやすかったが、だんだんと、指先が動かなくなり、通すのに、最後は努力が伴い、汗だくという感じだ。いつもと同じ程度時間を要していると思いながら、時計を見ると、いつもよりもだいぶと短い時間で通していた。

板についていないためか、そんなものなのかは微妙だ。しばらくは、この方法で試してみる。

筆先の調子は、今日が一番良かった。ここしばらく、もう限界かと思いながら使ってきた。が、これは思うがままに表現が可能な状態のひとつのような気がしてきた。いわゆる靴と同じだ。

時間をかけて、自分も靴も互いに合わせながら、馴染んでくる。筆もそういうことかと、合点である。

自分が善さを感じるものが現れるためには、そのようにして筆を使いこなす必要があるということを今日は理解できた。

 

このような感じで、気楽に書くことができれば、それはそれで満足だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月19日

今日は、墨ポタだ。

筆が、墨の吸い込みが悪く、墨を含ませると、初めは、線がボタッ太く、直ぐに、カスレ出す。

通そうと努力したが、途中で中断した。そこで、

筆の持ち方で、試みたい方法があったので、そちらを種々試しつつ通してみた。

試した持ち方の方が、良さそうに思える。筆の持ち方の見た目は大きくは変わらない。感覚として、親指、人差し指、中指から、中指の腹に、筆の微操作の重点を移す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月18日

今朝は、筆の先割れ発生だ。

これまでは、楷書を強くして通したが、今日は、早書きの線で、対策をして通した。

まあ、早書きができなかったが、適度なスピードで通した。

 

筆は、この大きさでなら使用できる状態だ。

そして、この紙を使えるのは、この使いこんだ筆のみだ。

・・・

 

手持ちの筆から、1つ引っ張り出してきた。

履歴不明は不明である。少し使った跡はあるものの、墨含みが悪い。ただ、書きやすいことは書きやすい。墨をあまり吸わない紙を使って通してみた。

こちらの場合、早書きもできる。墨含みは、使いこんでみてどうなるかだ。

ここしばらく使用している筆にはいろいろと教えてもらっている。もうしばらく使い続けたい気持ちがある。

・・・

いつも使用している未使用のものをおろしてみた。

墨含みが悪く、いつもの紙に書くことができない。これは、中心の一本の毛が長いことによるところが大である。これ1本が、適度な長さにすり減るまでが、慣らしとなる。気が長い話である。

今日の2つの通しを見比べて見ると、下の方の紙も悪くはない。が、わずかにいつもの紙の方が好ましい。このわずかが難しく面白いところだ。

 

 

 

にじみあり。極

 

いつもとは違う筆と紙。楮と紫

 

 

 

 

 

 

 

 

7月17日

今朝は、やや楷書よりの階行書。

省面積ではないが、字の大きさは、小さくなった。

 

今日は、筆先の調子が変わりやすかった。やはり、筆先の調子に快適さは左右される。一番良い状態を保つことができるようになればと思う。

概ね、適度なスピードで書いた。

7月14以前に比べると、感覚的には、ずいぶんと書きやすい。

7月14日の書と、7月15日の書を両極とし、その間で揺れながら、小さくなってゆくようだ。

もう一つ、時に書く書がある。それが、どこかの時点で、強く絡んでくるはずだ。はて、どのようになるものか。

 

 

 

 

 

成就山から 20200716

 

 

 

7月16日

今朝は、階行書。

少し、文字を小さくするための線を交えている。

 

 

 

 

 

 

7月15日

今朝は、いつものようにして、半分ほど書いたところで中断し、このような書き方で通した。

 

そして、気付いた。これは、李柏尺牘稿(328年)の自運版だ。

ルールとしては、読めることということで、とにかく早く書く。雑念が湧きにくく、爽快である。

李柏尺牘稿も15年ほど前に臨書をしていて、びっくりするほど早く書くことができることに驚いた。

その感覚が忘れられずに、このような感じで時に書をしていたようだ。李柏尺牘稿の違いというのは、画を省略しないで、楷書のように書くことだ。

ただ、龍安寺の油土塀に合うのは、昨日のような書であるように感ずる。

今朝のような書に合うところは、これから現れるのか、身近にあるが気付いていないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月14日

今朝の通しである。

筆は融通性がだいぶなくなってきている。

感覚として、いつもように書こうとすると、今日は、この文字大きさが最大である。

筆は使い古すと、大きく雑な書にしかできないと思い込んでいたが、逆に小さな文字にしか使えなくなる模様だ。これにもまた驚いている。

 

また、朝方の一番貴重な時間帯に通しているので、日々、墨の使い方、筆先の調整の仕方、文字の精度など、それなりになってゆく。これは、やはりそういうことか感があり、納得である。

 

 

 

 

 

 

7月13日

昨日より、さらに省面積となった。

筆先が、早い動きについてきてくれる状態であったことと、読めることを優先して、小さな文字に合わせて筆法を省略するところを増やしたことによる。昨日に比べると、だいぶと短時間で書いている。通した後であるが、軽快な気持ちがしている。

 

筆先がだいぶとすり減ってきているので、筆の弾力を利用しやすい。このため、小さくしやすいのではないかと思われる。

 

あまり細線が現れず、かえって落ち着く。漢字を書くのであれば、まだまだ使えそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月12日

 

15年前に書いたものと、今朝書いたものの比較である。

筆を柔らかく持つことは、それなりにできていたと思うので、それ以降の変化である。

 

文字が小さくなってきたのは、実用を意識して取組んできたこと、ひらがなからの筆法の影響、そして、紙、墨、硯、筆いわゆる文房四宝の選択と使いこなしができてきたことによると思われる。

それと、大事なことであるが、手指の感覚の感度が、いまだ向上中であることだ。

本の名前は忘れたが、ものの本によれば、皮膚感覚というのか、このあたりは、60歳代にピークがあるそうだ。

 

・・

また、今朝のこの比較で、思いあたるのだが、

聖武天皇雑集(731年)と聖徳太子法華義疏(615年)がある。

聖徳太子は、李柏尺牘稿(328年)頃の書に近いが、聖武天皇は、唐時代の楷書を超えて、現代のひらがなと親和できる書体そして筆使いが見て取れる。

 

かって、李柏尺牘稿(328年)の臨書をしていて、びっくりするくらい早く書くことができたことを思い出す。

聖徳太子あたりの頃までは、中国の方でも、思想したり、思想を記録したりというのに向く実用的な筆法として使用されていたのではないだろうか。

聖武天皇の書は、現代のひらがなと調和する筆法をもって書かれていることに驚く。

ひらがなは、草書的な書体で、長く使われてきたが、聖武天皇の宸筆を研究していれば、現代つかわれているひらがなの書体に近いものが、かなり早くに誕生していたと思われる。

 

 

 

 

;

今朝の書と、15年ほど前の書との比較

 

 

聖武天皇 雑集(731年)             聖徳太子 法華義疏(615年)

 

李柏尺牘稿(328年)

 

 

 

7月12日

今朝は、精度を上げると意気込んだことと、筆先の調子がうまく整わず、楷書の筆法を強くしたため、いつもより文字が小さくなった。

終りに方に来て、筆先の調子が良くなり、書く速度も上がってきたが、通すのにいつもより、だいぶと時間を要した。

とにかく通したので、やり遂げた感がいつもより強い。

 

・・

この東方先生を通して、筆を柔らかく持つ基本を、初めに2年間程かけて学んだ。その後、折りに触れ、筆使いを試すために、この書を使用してきた。

半紙6文字で練習した期間が長いので、半紙の半分の大きさの紙に、楷書に近い自運として、納まっていることについては、感慨深いものがある。

成り行きで、試みているのだが、この程度の文字数を、通して書くことは、とても大きな利点があると思う。

もやもやしていたものが形を持って現れてきているように感ずる。

しかも、それは、できるかどうかわからずに何とはなしにそうならないかなと考えてきたものでもある。自分自身もこのようになるとは思っていなかった感も伴っている。

思うにこのような時間を確保できた賜物である。時間は貴重であると思うし、使い方の問題でもある。

 

 

 

 

;

 

 

7月11日

 

また、少し日が空いた。筆先と墨の調子のコントロールは、一定してきた。

少し、指先の動きが悪くなってきたように感ずる。東方先生、これはこれで、完成度を上げていってみる。

ここ何日か、雨降りだ。強く雨が降る時間帯がある。朝方の書をすると、これはこれで、散歩に行きたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

7月7日

3日程、朝方に、書の時間をとれず、東方先生は休んでいた。

再開したが、書きにくいということはなかった。

今朝は、筆先の調子を一定にすることに気をつかった。

墨と筆先と手指の動き易さとの関係で、墨と筆先を調整している。が、まだ、である。

 

龍安寺の油土塀の掲示は、だいぶ気にいるところへ進むことができた。初めは、iphone SEでバカチョン的に写していたが、解像度が物足りず、一眼レフのデジカメを引張りだしてきた。標準で付属していたレンズではやはり解像度がもの足りず、望遠能力が高いものをもとめ、写してみた。これでも、もの足りないところもあるが、なんとか許容できるかなという感じだ。

おそらくカメラ本体の能力も関係している。あまり、重くなると、散歩の障害にになるので、このあたりまでで止めておこうかとも思うが・・・

こういったガチャガチャとしたところがある程度納まり、短時間であったが、昨日は、龍安寺そのものに没頭することができた。そして、満足して帰ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

龍安寺 油土塀 20200706

 

龍安寺 石庭  20200706

 

 

7月3日

今朝は、筆が割れやすい状態であった。

楷書の筆使いを強くして、筆先が割れないように努めて書いた。途中、筆が割れにくに状態に遷移するも、墨がなくなり、新たに擦って追加すると、今朝の始めの状態に戻った。筆先の状態が主であるが、墨の状態によっても筆割れの起こり易さが変化することを確認。

このくらい楷書の筆使いを強くすると、朝飯前という感じではなく、正式に書道をした感がある。気を入れるところと抜くところのメリハリがかなり大きくなり、筆先が自然に移動するのを待つため、意図して早く書くことはできない。

通した今、丹田あたりに、気合が入り、ドッシとした感じでいる。

書体が要求するので、つめて書く結果になり、文字の大きさはいつもより多少大きいが、省面積となった。

 

 

 

 

 

油土塀

 

妙心寺退蔵院

 

 

 

7月2日

今朝は、墨の調子がよく整った。筆の使用後の手入れがうまくいった結果と思われる。

朝飯前という感じで通すことができた。

もう少し、同じ文房具を使い続けてみる。書道の物差しができるはずだ。貴重品。

 

 

 

 

 

 

 

 嵐山

 

 

 

7月1日

今朝は、墨の調子が整わず、努力して通した。

墨を筆先につけた直後に、ボッテとにじむような場合は、墨のすり方ではなく、筆先の整え方に問題があり、途中の筆先の調子を整え直すことで改善できることを理解した。

筆先だけを使用するように作られた筆であるが、本来は、使用後に、極力、丁寧に墨をおとしてきれいにすると良いようだ。

 

文字の大きさは、書き方の常識的なところを無視すれば、昨晩のように、さらに小さくできる。が、通常の書き方の場合、今回使用の文房具であれば、このあたりを下限とするのが良いようだ。

次は、墨をかえてみたいと思う。

 

 

 

 

6月30日

晩に遊んでみた。

 

 

 

 

6月30日

今日は、用事が気になり、通すべきか迷った。筆先の準備をしていると、案外に調子が良く整ったので、通してみた。

 

 

 

 

 

6月29日

新しい筆を使ってみたが、600字程度を書ききるには、慣らしが必要ということを理解。ということで、これまでの筆を使用して、通した。

 

油土塀の龍安寺に知足の蹲踞(つくばい)がある。吾、唯、足るを知る。

このようなことをする時間を確保するためには、この通りであるが、毎日このようなことをするのはこの境地にほど遠くか、書いている最中はほど遠くとこの通りが交錯し、しかし、通したあとは充実す。書と同じで、変化しつつこの通りもあり、繰り返す、変化する。幸感が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月28日

筆は限界と思いながらも、使用してみた。そろそろ新しいものにした方がよさそうだ。これまで使用した筆の中では一番、筆先のききが持続した。

 

ここ5回程、文字の大きさが安定している。

新しい筆にした場合にどうなるのか、興味がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月27日

今日も通した。落ち着くところに落ち着きつつある。

筆は、細線をももう少しメリハリを利かせて出そうとした場合は限界であるが、これは当方の好むところへの変化である。小さい文字用として、いまだよい感じを保ってくれている。

参考であるが、

書法の大事なところは、筆を硬く握りしめないようにすること。もちろん必要なときに、必要な力を伝えることは言うまでもない。

ん・・ 大事というのか、これしかないというなか、どちらかというと、これが、当方の考える書法である。

まとめると、「筆を柔らかく持ち、・・・・・」と、柔らかく持つまではよいと思うのだが、次がなにやらまとまらない。とにかく、必要なときに必要な力を伝えることは必要だ。

・・・・

筆先の動かし方は、どちらかというとひらがなの書道から多くを参考にしてきた。

・・・・・

清書モードでひらがなを書いてみたが、だいぶ筆先がきかない.

筆は、目的によっては限界を超えている状態だ。

 

 

 

6月26日

はがき半分程度の大きさ

 

 

もう少しで、1ケ月となるが、

・手紙など硬筆の代わりに使える程度の文字大きさ

・実用的な階行書

・書くこと自体が心地よいこと

を目標として、一番充実している時間帯に、東方先生を通しで書くことを続けてきた。

いまのところこの通りに進んでいる。

調和体のなにか良い文章を見つけて、同じように練習したらどのようになるのだろうかと楽しみに思われる。

もうしばらくは東方先生を続けるとする。

ただ、次の目標としては、いままでにプラスして、

龍安寺の油土塀のような文字を書きたいと願う。

 

 

紙は、半紙の半分

 

 

 

散歩 6月25日撮影 竜安寺石庭の壁(画像の縦横比をずいぶんと変更している。)

 

6月25日

 

何気に、石庭の壁を見ていたところ、えも言われぬ風情であることに気づいた。

そのまま壁に見とれていると、呼吸が深く長くなり、気持ちが落ち着いてきた。

写真をとることに気持ちが向き勝ちだったので、こんど、また、訪れて、ゆっくりとしてみる。

 

 

 

 

 

 

 

6月25日

 

昨日の晩は、かなり小さな楷書になったのは良いが、調和体に使用しにくいものがあり、戸惑った。ただし、それで通してみればよいのだが、晩はその気力がない。

記録にのこせずにある意味残念だ。小さな字のきわまったところであった可能性はある。

さて、今日はというと。

墨の取り扱い、筆先の整え方がだいぶと要領を得るようになった。

600字を書く間に、筆先の調子、墨の調子が変化してゆくので、その変化に合わせて、工夫をおこなった。経験というのか、技術というのかそれらをもとに変化に対応するとスムーズにゆく。

調和体に使いやすそうな範囲で通せたような気がする。書の雰囲気としても散歩の効果を見ることができる。

半紙半分にも収まった。

今日もこんなところだろう。まだ、朝の早い時間だ。一日を終えた感じをもって一日を始める。

 

 

紙は、半紙の半分

 

 

 

散歩 6月24日撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月23日

今日も、筆先と墨の調子の試行錯誤となった。墨は、水分の蒸発とすり具合との兼ね合いの探りあいとなる。

また、後半の方が、自然と書くことができた。墨の調子をうまく整えられるようになれば、もう少し自然に動く状態としてから書き始めるようにする。

途中、よく見ないとわからないくらいに細い毛が、ヒョロと先端から一本とび出し指先では取り除けず、しばらく使い続けたが、具合が悪く、結局、顕微鏡を覗いてピンセットでつまみ取り除いた。

 

文字はさらに小さくなった。うまく墨を整えられるようになればもう少し小さくなりそうだ。また、つめて、多少横長を意識して書いた結果、半紙の半分の大きさの紙一枚に納まった。

 

 

 

・・・・・・

が、晩に、墨の含ませ方を試していると、今回の行き着くところが見えたような気がする。迷う。

これは、今までと同じように、朝方に通した結果をもとに、次に進むべきだ。

 

 

 

紙は、半紙の半分

 

 

6月23日

 

今日は、墨の含ませ方の実験となった。筆の寿命を気にする前に、まだまだ工夫の余地があることを理解した。

文字は昨日よりも小さくなったが、総じて快適に書くことができた。

並びをあまり意識していないが、文字が普通に並んでいる。これは、昔、なんとなくこんな風になってくれないかなあと思っていたところだ。

また、全体として、韓国の木工品的、日本の庭的、あるいは渓流あたり的な雰囲気がしないでもない。

渓流あたりの景色的な書とは、具体的にどうしてよいか分からないままに、そうならないかと思っていた。

やはり、具体的に、皆目、見当がつかないようなことでも、希望しておくべきなのだろう。

 

文字が小さくなってゆくことは、あまり問題ではない。大きくすることは容易だ。どちらかと言えば、良い傾向であると考えている。

 

一部、水っぽくなったところもあるが、墨と筆先の整え方がしっかりと分かれば、このあたりは自ずと改善される。

今日もこのくらいで良いだろう。

 

 

 

 

 

紙は、半紙の半分

 

6月22日

楷書の書法を少し強くした。文字の大きさは、また少し小さくなった。

今日は、墨の調子と筆先の調子が思うように整わない。

 

筆の寿命か、取扱か。

 

 

 

 

 

 

 

 

6月21日撮影

 

将軍塚から西を望む

知恩院の大釣鐘辺りから山道を登ると、案外簡単に将軍塚にたどりつけた。

 

6月21日

文字の大きさはほぼ安定してきた。

 

しかし、今日は、顔真卿が出てきいる。

書いている途中で気づいたのだが、ざらざらした方に書いた。

それと、まだ十分手指が動かないうちに、書きだした。

ということで、何とか、紙に墨を食い込ませようと、楷書の筆法を強くして、頑張って書いた結果このようなことになったようだ。

収穫としては、このくらい小さくなると逆に楷書の方が書きやすい場合が多いことを理解したことだ。

結局、根底は、楷書の筆法に頼っている。

 

昨日のように軽快に書くことを期待していたため、途中、失敗した気分になりかけたが、なんとか通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月20日

大徳寺へ行ってみた。

龍源院を拝観。せっかく来たのだからと思い、頑張ってみたのは良いが、龍の襖絵で目が覚めた。

書の方に興味があるので、将来取組むかどうかはわからないが、龍の絵の手本は探しているものの一つだ。

画くのであればこんな龍から勉強を始めたいものだ。

最近、人が少ないので、お寺など静かで雰囲気の良いところを交えて、散歩をするようにしている。

その中でふと思うのだが、日本の中心はいまだに京都ではないのだろうか。

 

 

 

大徳寺 龍源院 襖絵(作者、年代不明)

 

大徳寺 龍源院 方丈前石庭

 

 

 

 

6月20日

昨日より、若干小さいところでおさまった。

手指の感覚的には、さらに小さくできる。

ただ、書いている最中、視力的につらいところがでている。

さらに小さくなるとしたら、筆の調子がそのように整えばというところだ。

 

 

 

紙の大きさは半紙の半分。

 

 

 

 

 

6月19日撮影

 

渡月橋から

 

 

中の島橋から

 

 

天龍寺

 

 

嵐山公園

 

 

天龍寺 山紫陽花

 

 

 

 

 

 

6月19日

今日は、さらに、文字が小さくなった。書法もあまり省略していない。

この筆の穂の長さ2.4cm、極小と表記あり。

不思議なことに、この筆でどの程度の大きさの文字を書くのが合理的かを、当方を含めて、誰もしらない。

ここしばらくの自分の行いを振り返ると、筆から返る力を心地よく感じるため、この筆にあった文字の大きさを探っているところのようだ。

意識で分かることは限られている。それをしつづける、使いつづける状態となって初めて、自分はそれを、したがっている、気に入っている、ということが分かる。

 

 

 

 

紙の大きさは半紙の半分。

 

 

 

6月19日

 

南禅院 6月18日撮影

 

 

 

 

6月18日

昨日と同じ文房具で、通そうとしたが、途中でとまる。

睡眠のとり方が悪かったか、筆が限界かど、思いながら、試行錯誤をして、紙をかえて、文字の大きさを変えて、なんとか通すことができた。

半紙を半分にしたものを、2枚で書いたので、少しツメ気味であるが、今回が一番小さく書いていると思う。

これまでの筆は、使ってゆくと、だんだん先がきかなくなり、線が太くなりぎみであった。

ここしばらく使用しようしている筆は、このように小さな文字を書くことができる。それなりの字数を書いているが、先はきいた状態を保っている。

ただ、先を少しすぎたあたりから硬くなり、文字を大きくできにくくなってきているかとも、思えている。

今日は、睡眠の質が悪いことは確かなので、また、明日以降に確認してゆくことになる。

とにかく、だらだらとせずに、午前中の間に通したことに満足している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月17日

今日は、結局、新しい紙の方を使用した。

すき目が細かく目立たないため、目につきにくい。小さな字を書く場合はこの方がよい。発色は古い紙の方がよい。

文字の大きさであるが、この程度の大きさにしておくと、大きな文字と同じ書法を使用できる。

少し書法を省けば小さい文字を書くことも容易にできる。

ただし、その日によって、このようにしたいと思う気持ちがあるので、毎日一定になるかどうかはわからない。

 

 

 

半紙を半分にして、使用している。

 

 

 

 

 

 

6月16日

昨日は、決めたところで、東方先生を通しで書いた。

その後、古本を見ていたところ、紙屋さんの広告がでていた。まだ、訪れたことがなかったこともあり、少し後にすればよのに、紙屋さんにいき、
紙と筆を購入した。

紙は、漢字用の手すきの紙ということで成分はわからないが、手触りがよい。多少にじむありだ。これで遊んでいたところ、漢字を書くと面白い。
墨と硯と筆は、これまでと同じであるが、今朝は、この昨日求めた紙で、東方先生の通しをした。なお、今朝のは、2通し目を掲載。

自分で決めたルールであるが、14日ルールで言うと、今日のことはどう考えたらよいものかと、考えている。

・・・

書いたものを眺めているが、墨の発色がえも言われない。小さい文字でこうである、大きな文字を書いたらどうなるのだろう。

 

 

ボールペンで、コンナカンジハダセナイデショウ

 

 

 

6月14日

今日も東方先生の通しだ。筆と墨と紙と硯の組合せは、これで決定だ。紙は結局、にじむ紙にした。触れた感じも、墨の発色も良い。

 

もう少しなのか、これで良いのか、微妙なところだが、文字の大きさもこの程度がよさそうだ。

経験則だが、決めたところで、14日以上続ければ、身についてくれることになる。

・・・・

 

ここまで進み、さて、自分は何をしたかったのかと改めて振り返ってみる。

 

まず、書道で決まっていることは、続ける ということだ。

短いスパンではその時の進み具体で、なにか目標みたいなところを思い、それに沿って進めている。

 

今回、期待した中心のところは、手紙などに使用できる調和体用の実用的な漢字の書法を得ることである。

手紙の場合、丁寧に書く場合はこれが上限となり、くずして良い場合は、小さくなるということを考えると、日々書いて楽しんでおく分には、今日程度で良いように思える。まあ、続けながら、時に軌道修正しながら進めてみる。

 

 

 

 

 

 

半紙を半分にして、使用している。

 

 

 

 

 

6月13日

 

百歳に満たないのに、

憂いを千も抱えている。

 

 

禅語:出典 寒山

 

 

春の色に 高いも 下もないが、

枝は、短いのやら長いのやらいろいろだ。

 

禅語:出典 普灯録

 

 

松は 昔も今も 変わらぬが

竹は 上から下まで 節がある

 

禅語:出典 五灯会元

 

 

 

 

 

この手すきのにじみありの紙は、墨の発色が良い。黒く、墨らしい色になってくれる。

携帯のカメラで写すと、すき目が板目のようにも見えて、景色が面白い。

 

なにをもって日本の書というのか難しいが、さいきん、ようやく日本の書のようになってきたように思えている。

 

 

 

 

6月12日

今日は、こんな感じだ。6月9日のとはだいぶ違う。

この程度であれば、ひっつき虫で、ちょんと壁に貼り付けておいてもよい感じだ。

朝飯前に書くことができる程、書くことが楽である。

・・・

 

また、最近、なぜか手塚治虫の漫画を読んでいる。

当方、小学校1年の頃から、連載中の鉄腕アトムを読んでいたような気がする。

図書館で借りたのだが、読んだ記憶がなかったこともあり、七色いんこの一を、ぼちぼちという感じで読んでいる。

まず、文句なしに、面白い。

なぜかと、少しじっくり見ると、この方は、手抜きがない。伝えたいテーマに沿って、魅力的なキャラクターを登場させ、1コマ1コマ、これ以上でもこれ以下でもなく、その場その場にふさわしいというのか、ふさわしくなるような描き込みがなされている。罪と罰を描いていることから考えると、ストーリ展開などに、この方の中で昇華された状態でドフトエフスキーの影響が現れているような気もしてくる。

良く考えると、当方の書にも、この方の描く漫画の影響が表れているような気がしないでもない。

 

 

 

 

 

筆、墨は同じ。紙雁皮

 

 

 

 

 

 

6月11日

最近、600字程度を通しで書いて、筆法のつめをしているが、この方法の優れたところは無理がきかないことである。

文字数が少ないと、道具によらず、かなりのところまで、思うように書くことができる。

しかし、600文字程度を通しで書くなると、無理をしている場合は、途中で飽きがくる。

 

今日は、手紙など丁寧に書く場合ということで、書いてみた。結果としては、

・・・

拡大しても、書きにくそうにはしていない。ひらがなと合わせやすい感じになっているので、調和体用として、これはこれで良いと思う。ただし、微細なところを気にして目視ししようとするので、視力的な限界から言えば、文字の大きさはこのあたりまでにした方がよさそうだ。

 

筆は穂先を使用して書くことにしているが、筆としては、すべておろして使用することを前提としたものを使ってきた。

最近、すべてはおろさずに使用することを前提とした筆、つまり根本側を強めののりで固めた筆を使用している。

昨日あたりから、使用後の手入れの仕方の要領がわかってきた。ここを工夫することで、ある程度、書く文字の大きさをコントロールできる。

線は細いものの、硬筆とは明らかに異なる質であり、筆で書くことの良さを改めて理解できる。また、書くこと自体が心地良く、気持ちも落ち着き整うものがある。

 

 

 

 

 

紙三椏厚、筆極細、墨微の方

 

 

6月10日

昨日は、窮屈であったのだろう。今日は、早書きとなった。

書体は、点画を概ね省略していないので、楷書に近い楷行書というのだろう。

 

楷書は、運筆が現れないようにに書くので分からないと思うが、筆の弾力を使い、次々と点画をつないで書くことができる。自然に楽に運筆することができるので、運筆が現れることを気にしなければ、早書きができる。

漢字の形の面白さも、自ずと現れてくる。

ひらがなを合わすことができれば、日常使いの筆文字としてはこれで良いはずだ。

今日は、朝の内に完了だ。今日も、やることは済ませた気分になっている。良い感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月9日

頭から離れてくれない墨を求め、使用してみた。

滑りが良く、さらに使いやすそうだ。方針を変更して、筆をそのままに、一列18文字で書いてみることにした。

 

・・

 

とにかく、東方先生を通して書いてみた。

一回墨をつけるとどこまでも書けるにはほど遠い。書くことよりも、墨の含ませ方に気をつかった。

 

テーマがいくつか思いつくが、しばし落ち着くことにする。今日は、まだ、午前中だが、良い感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月8日

どうも、この筆はもう少し小さい文字を書いた方が使い易いと思われた。現状一列17cmに12文字で書いているが、増やしてみたところ、18文字でも書きやすさを感じる。

もちろん、単に筆の大きさの関係のみではない。小さい文字を書くための筆法を見つけながら進めている。

今回は、1列12文字程度、つまり聖武天皇の雑集程度の大きさでつめてみたい。現状から考えて、筆を1サイズ大きくしてみる。

となると、また、墨と紙の関係も探りたい。

まだまだ楽しめそうだ。となると、使ってみたい墨が思い浮かんで頭からはなれてくれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

6月7日

今日の午前中に書いたものを、一部を拡大した。紙との相性がよく、いかにも墨らしい。にじむ紙であるが、小筆で、小さな字を書くと、このようににじみなく書くことができる。楷書に近い楷行書であるため、楷書に比べると、気持ちとしてはだいぶ早く楽に書くことができる。しかし、さらにつめてゆけば、楷書で書いた方が楽かもしれないと思う気持ちもある。

なお、この書体は、かな混じりで使うことを意識している。さらに、携帯・パソコンのファント文字をライバル視している。

 

6月7日

昨日の硯を使って、東方先生画賛を通しで書いた。

紙までかえることはないのだが、発色がきれいなので、にじむ紙を使った。

筆、墨、硯そして紙の組み合わせてとして、1つできたような気がする。

つい最近までの思い込みから考えると、それぞれそして組合せいづれも意外というのか、これで良いのかと驚く。

なお、漢字なので、この程度の並びで書くと、1つ1つの文字で書くことを楽しめる。これについても、これで良さそうだ。

最近、なぜか赤塚不二夫の漫画読んだが、影響を若干うけている。これで ・ ・ のだ。

 

 

 

6月6日

今日は、硯をかえてみた。筆と墨を同じとしても、紙の選択範囲が広がる。大きさも手ごろ、蓋もある。すった墨を落とし溜めておくところは、小さく深く、墨をするのに邪魔にならないところにある。見た目の雰囲気も落ち着いている。こちらの方が良さそうなので、しばらくこれを使用する。

小さな文字を書くときの硯は、これで決まりかもしれない。

 

 

 

6月4日

墨は、過去に購入したものに同じメーカのものもあるので、試してみたが、今回もとめたものに比べると使い勝手がかなり劣る。今回求めたものは平成29年製なので、古墨ではない。価格も普及品クラスだ。散歩をしていて偶然見つけた店だ。この墨は、少なくとも、今回使用している筆と紙によくマッチしている。硯も特によく使用する2種類で試したがどちらにも良く合う。

はじめからこれを知っていさえしたら、と考えると、拍子抜けする。ただ、書いたものを良く見ると、いろいろな道具とその使いこなしの限界みたいなところで良し悪しを判断している気がしてくる。筆で言っても、毛先の一本から返る力を気にしながら書いている。おそらく、色々と詰めてきた結果として、墨の良し悪しを、即断している。

墨の選択、えらい簡単だなというのが正直な気持ちだが、実際はそんなことでもないのだろう。

 

 

6月2日

墨と紙と筆が決まったようだ。

あとは、これに合わせて、筆法を決めればよい。この組合せなら楷書でもよさそうだ。今回は、楷書に近い行書としてつめてみる。

約600字、半紙半分、2.5枚で書いた。文字の大きさはもう少し小さくもできそうだ。余裕はあるものの、この程度でつめて見ようと思う。隷書の用筆を目立たないように一部の線に使うと良いのではないかと考えている。

 

紙と墨は昨日、筆は1週間ほど前に購入した。いずれも定番品なので入手することが容易だ。墨と筆は20年ほど探している。しばらく使用して良ければ自分としては画期的な事だ。

墨は、濃くすることが容易で、伸びもよく、筆先にまとわりつきにくい。書くことに集中できる。今日は、午前中の早い時間に書き終えた。一番創造的なことができる時間帯に書き終えることができるので好都合だ。

 

心と体が落ち着いている。良い感じだ。

 

 

 

5月31日-6月1日

東方朔画賛を書いてみた。通して書くとなると、筆のおろし方、墨のすり方、紙の種類など、色々と工夫が必要であった。

一回墨を含ませたら、どこまでも書けるとよいのだが、そうもいかない。なんとか、それなりにパラメータを決めて書いてみた。後半から手指が動いてきた。

手指の使い方に関しては、後半のような感じで良いと思うが、紙と墨と筆と、それらの使いこなしに関してはつめる必要がある。

短期間で収束するかどうかわからない。場合によってというのか、いつものことだが、全体的に発酵するのを待つ必要があるかもしれない。

ただし、少し前に書いたものをみているが、今朝の書は、墨含みがあまりにも悪すぎる。とおしで書くにあたり、いろいろとかえたところがある。もとに戻しながら、つめる。

経験から言うと、これは、始まりの準備に相当する。筆は候補が2,3種類、硯は決めているのがある。墨は、試さないといけないものが多々ある。紙の候補は3種類。運よくこれらの中に良いと思える組合せがあればよい。

・手紙など硬筆の代わりに使える程度の文字大きさ

・実用的な階行書

・書くこと自体が心地よいこと

・半紙6文字で書きなれた東方朔画賛を通しで書くこと

この件は、こんなところが目標だ。

 

 

半紙を半分にきり、書いた。5月31日書。

6月1日書。紙三椏厚い方。半紙半分。筆新しいもの。墨榮寿堂古香墨色よし。墨の伸びはこの程度でOK。ただし、途中で飽きが来た。おそらく筆が原因と思うのだが、よくはわからない。

 

 

 

5月30日

喜多流謡本だ。本の高さ12.5cm×幅9cm、359ページ、肉筆で、雁皮紙に、50曲分書かれている。軽い本だ。

下の写真は、左側がこの本で、右側がまた別な本であるが1774年の印刷本だ。

喜多流を調べてみると、江戸初期に興った能楽の流派だ。武士気質で素朴かつ豪放な芸風で、黒田藩、津軽藩、仙台藩、水戸藩、彦根藩、紀州藩、広島藩、松山藩、熊本藩などにも採用されたとのことだ。(ウィキペディア)

武家社会の標準語は喜多流によっていたということなのだろうか。

1774年時点で印刷が可能ということは、おそらくそれ以前に作られた可能性がある。

当時は、この書体ですらすらと書き、そして読んでいたのだろう。

書く方から考えると、書けないことはないが、これを同じ調子で、359ページとなると、んーとなる。

精神面と肉体面の両方で、普通の人と、オリンピックの選手程度の差があるようだ。当時は、このレベルが珍しいレベルでなかったのだろう。

東方朔画賛を通しで書くに当たり、文字の大きさを決めようとし、調べていたところ、気づき、んーとなっている。

感謝の気持ちのお祈りが足りていないので、ここから始める必要がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

5月29日

まだ思い付き程度だが、東方朔画賛を聖武天皇雑集程度の大きさの文字で通して書いてみてはどうだろうか。

ということで、試していた。文字の大きさは問題ないが、この筆使いは親指に力みが入りやすい。工夫が必要だ。

 

 

聖武天皇雑集731年の臨書

 

 

5月27日

調和体用の楷行書である。文字の大きさは聖武天皇の雑集731年よりやや大きい程度、ツメて書いているので、縦方向については、少し文字多めに書くことができる。筆で書く文字としては小さい方である。

無理なく快適に書くことができる筆使いを学ぶことを目的とした臨書だ。

とにかく、この類の筆使いは、書くこと自体が快適だ。

筆の使い方と筆先から返る力の感度に関しては進んでいるとは思うが、2年ほど、書に取組む時間が少なかった。

書の時間をもう少し多くして、精度を上げることに努めると良いかもしれない。まあ、続けてはいたので、上達は一が時間の経過で、二が練習量ということもあったのではなかろうか。

ぬか漬けのように、発酵させながら進めると具合がよいとすれば、

これでもよかったはずだ。

 

 

 

聖武天皇雑集731年の臨書

(流れの良い筆の使い方を学ぶことに気を配った臨書)

 

5月25日と26日

滲む紙を使って遊んでみた。筆も新しいものを手にいれ、それを使ってみた。これはこれで楽しいものがある。

 

芭蕉

柳宗元

(誤記訂正:経 → 径)

 

5月25日

推定だが、おそらく円山応挙が絵を描いていたころと同じ頃あたりに、韓国で造られた水滴である。

下に掲載した円山応挙の絵の方は写実的なところがあるので、なんとか真似ができそうな気がする。

水滴はというと、不思議なもので、これを見ると、生きているかわいい犬を見たときにいだく気持ちと同じような気持ちになる。

試みたとしてもこのようなものを作れるような気がしない。こういったものを生み出すことができる手わざと感性にとても魅力を感じる。

そうそう今日、嵯峨嵐山文化館にいってきた。円山応挙と長沢芦雪の作品の展示がなされていた。絵を描くとしたら、芦雪が襖に書いた虎の絵のようなものを書きたいと考えていた。ただ、展示の中には、あまり気にいった絵がなかった。その代わり、というのか円山応挙のサインが気になった。鋭くきれいな線質の書だ。鶴の絵を見ると、サインから感じるものと同じようにすっきりとしたものを感じることができる。芦雪の鶴と比べる、この厳しくすっきりとした感じをさらによく理解することができる。

 

(ちなみに、台座は先日紹介の木製硯を裏返して使用している。)

 

李朝の水滴

 

円山応挙

(コレハヤハリブンヤがチガウ。少しの間だけ掲載する。)

 

 

5月23日

目をつむって書いてみた。

 

 

 

5月12日

右は、木製の硯の硯面である。李朝ものだ。硯として使用できなければ、ひっくり返して、陶磁器の飾り台に使用すればよいと考えた。

未使用である。墨をすってみると、漆塗なのに、不思議なことにおりがよい。発色も、のびも言うことがない。

さらさらと水のような感じでかくことができるではないか。

硯面は使用してゆくにつれて、擦れと汚れで木目がきえてしまうのだろう。墨のおりがよいのもいつまで続くのかわからないが、まあこういうものもあるのだなと感心した。

(やはり、墨は、直ぐに擦れなくなった。面も曇ってしまった。あーあ。これは、筆硯としてつかうものなのか、、何なのだろう)

 

 

 

 

このように、フリーハンドで細部にわたり自然な感じでものを造ることができる感性にひかれる。

 

 

5月10日 八坂神社 丸山公園 清水界隈 清水寺 祇園 白川通り

 
 
 

 

 

 
 
 

 

 

 
 
 

 
 

 

 

 

 

8

 

実物はもう少し明るい色であるが、とにかく、右、カッコイイ。

推定、江戸末か明治の初めころくらいの越後上布だ。

着物をほどいて、シャツに仕立て、日常使用している。麻で、浅葱(あさぎ)色といわれる色合いであるが、藍染それも後染めだ。肌ざわりは、さらさらのガーゼという感じで、やさしくやわらかく、身に着けていると気持ちが落ち着く。衣服としてこれ以上善いものは思いつかない。

 

 

 

 

3

 

 

 

 

これであれば、楷書の類が合うのではないだろうか。寝起きにワントライしてみた。が、まだまだ次の方が楽しめる。足して、2で割らないような書があるかもしれない。

気が充実している。さて、今日はこれ以降、自由時間だ。

 

 

 

 

 

ニジム紙が残ってないか調べたが、残念だ。だいぶ前からにじまない紙をもっぱら使っている。

今日はまだ遊び足りない気分だ。筆で遊ぶことにした。

 

ーーーーーーーーーー

 

 

さて、遊びはひとまずにし、次は、雪と墨の壺にあう書へいってみる。

明日、まずは、ワントライだ。

 

 

 

 

ヤスモノカイニ

 

 

 

 

5月3日

 

 

今で言う韓国の、昔の焼き物だ。(もちろん、推定だ。煩わしいので言い切っている。)

正直に言えば、李王朝美術の精髄を一番良く表したものと感じている。

まるで雪で作った紙だ。相当、試行錯誤したのではないだろうか。

画も格式が高い。

さらに感心するところは、壺の形だ。不自然なところがない。黄金比というのか一つの完成された比率を持つ形態だ。堂々の形態とでも言っておこう。画格と形態がよくマッチしている。

しばらく前から、目に見えるところに飾っている。

 

 

 

 

 

 

 

写真の解説として、自由詩を一句

これであれば、紙で遊べル。

シカシ、店はオソラク閉まっている。インターネットか。

 

 

 

自然の一部という感じがする。日本らしいのが好ましい。

することもかわいらしかった。困ったことに、ウマソウだ。

 

5月1日

 

小林一茶の句を書いてみた。

にじむ紙に書くとおもしろいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 02.02

今日から、古典書法19年目だ。

筆書きすると、文字の形が言葉の意味に一致することが、極まれに起こる。

今朝、そんなことを考えながら古典書法19年目の始まりということで、気合を入れて書をしていた。

残念ながら、そのようにことは起こってくれなかったが、右は禅語の一つである。掃除関係の言葉でよく目がとまる。

 

「  時時、払い拭くことに、勤めなさい。 」

「  jiji、 払い拭くことに、勤めなさい。 」

「  爺爺、払い拭くことに、勤めなさい。 」

 

まあ、今日は、こんな感じか。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18年目

 

 

 

 

2020.01.16

振り返ると、早いものだ。まもなく、19年目に突入だ。10年とうのか、そんなに時間が経っていないように感じる。書道の時間は長く感じていたのだが、なにか腑に落ちない。

最近の大きな変化は、自運の筆の持ち方である。筆先から最大限に離した状態、つまり、筆の上の方を持つと、書きやすく感じることだ。

いままでは、小筆の場合、筆先にかなり近い部分をもって、薬指の爪を墨で汚しながら書いていた。

つい先日、試しに、筆の上の方をもって、書いてみたところ、そうなっていることに気付いた。

さて、なにかの始まりとなる前兆かとも思う。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

2019.12.31

概ね冬至辺りに、どのような1年間となるのか、易で占ことにしている。今回は、雷火豊となった。火と雷。明を持ってきびしく動くことになる。

出た卦は、易の本は参考とし、卦の形あるいは火の上に雷からイメージされるところから、自然にわいてくるところをもとに解釈をおこなう。腑に落ちるまでにしばらく時間がかかることもある。

しかし、易は、とても有意義だ。というのは、卦との関りで、出来事を客観的に考えたり、卦を指針に行動するようになる。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

2019.08.28

 

 

  

 

 

 

当面の生活目標として

 

 

2019.07..21

聖武天皇の雑集(731年)で、書の勉強をしていた。

筆先からわずかに伝わってくる力を、感じて利用しながら書いているが、ひらがなを生み出す元となる美意識を感じることができる。しかも、その意識が、筆運びの自然さと関連させて生み出されている。

これは、ひとつの創造である。

 

最近、聖徳太子の十七条憲法を、今のことばに訳することを試みている。

ちなみに、聖徳太子が615頃に書かれた御書ものこっている。これが、日本に現存する墨書の最古のものである。

その頃までは、日本は文字を持っていなかったので、文字を導入したのがこの時ということになる。

聖徳太子の書は、李柏尺牘稿(りはくせきとくこう)328年-330年頃と良く似た書きぶりだ。この辺りから、聖武天皇731年にかけて、

中国は、618年から唐の時代に入り、、楷書で有名な欧陽詢が碑を残し、、そして行書で書かれた碑の流行、篆隷書の復興などの書の歴史を持つ。

聖武天皇の御書からは、唐の時代の書の歴史の影響をみることができるとともに、勤勉さと創造力が伝わってくる。

聖武天皇の御書は、漢字の御書であるが、漢字かな交じりの文を書くための、お手本とするのにとても良いと思う。ひらがなへと無理なく接続することができる。書かれた文字の大きさも実用的だ。

ちなみに、渓流沿いを散歩しながら思い浮かぶこと、筆を使って文字を書きながら指先から感じるところも、和をもって貴しとし、流れに逆らわないように努めなさいというか、流れを感じ、流れの力を利用し、進みなさいである。

武天皇の書かれた文字を拝見すると、おそらく、そのようなことも感じながら、御書をされていたと思われる。

DNAがそうさせるのか、日本列島で暮らすとこうなるのか、どちらもなのだろうが、太古からの積み重ねでそのようになっているのだろう。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

聖武天皇雑集731年及び勉強の書。そして聖徳太子の十七条憲法の訳の試み