久しぶりの更新になった。
世の中の動く方向を予め知り得ないかということで、調べてきた。
結局、聖書の予言が唯一つ当てになる、というところが結論だ。
聖書といっても、つい最近までまったく無縁に過ごしてきた。
根が技術者であるため、基本的には、設計が悪くて動かないものは、祈ってもなにをしても動かないので、神とか仏に無縁なところで生活している。
ただし、人であれ、物に対するものであれ、縁とか運については、なにか、理詰め以外の、自然の神というのかなんというのか、なにか大きなもののお陰によっているというようには感じている。
それを神様、とかいう言葉にしてしまうと、なにか感性に合わないところが出てきてしまうため、こんな風に理解したらどうだろうかという感じで、感性を聖書よりに合わせるようにして勉強し始めている。
救いのようなものを求めているということではないので、まずは精神的に至らないところを修正するのに良さそうだ。
宗教に興味があるというよりも、聖書の言葉に興味がある。
なお調べた範囲で実感できるところは、宗教上の争いというのは、聖書の言葉をそのまま信じる人と、それ以外の人との間の争いのことだ。カトリック教=キリスト教というイメージがあったのだが、カトリック教の教えは、根本的なところで聖書の言葉とは真反対である。カトリック教は、政治的な力、経済的な力とも結びついているので、宗教上の迫害は、聖書の言葉を信じている人に対してのものであることが多い。
聖書について知りたいのであれば、youtubeの、
https://www.youtube.com/@sostvjp
がお薦めだ。
フワクキュウチュウ
考えごとをしていると、思うようにならないことに対して煩いがちになる。良くないのは人を非難する気持ちがフツフツと泉のように湧いてくることだ。ただ、実際に、その人がいるその場の中にあって、行いを積みなさいということで、自分に言い聞かせるために造語した。
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