研賜

since2002

 

 

 

 

 

 

20年目

 

 

 

2021年3月5日

 

 

筆をぬるま湯で洗うようにしてみると、一筆が復活した。

嘘のように、一筆で書くことができる。今朝はまだ余裕がある。線も最後まで鋭いままだ。一筆ができなくなって、2か月近くもがいていたのが嘘のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年2月2日

 

 

今日から、古典書法20年目である。19年目はたいぶ進んだ気がしている。今朝も、白恵波羅密田を書いたのだが、朝飯前に通すことができている。始めは2〜3時間、これが、墨を擦り、後かたずけまで、30〜40分程度である。特に急いでいるのではなく、良いかげんの速さを保ち書いている。

近頃は、筆の後始末の仕方を試している。これはひと筆で書けなくなっていることからのお試しだ。ひと筆は、いろいろとするべきことが整った上で、時をえないとできないということなのだろう。

ただ、まだ、この2本目の筆で試すことはある。

少し書いておくと、書法とは書き方のことである。古典書法とは、昔からある良き書き方という意味である。

カギとなるのは、筆を握りしめず、柔らかく保持することである。後は、19年目のところをご覧いただくと分かるとおり、日々の工夫の積み重ねで、書が変化してゆく。ただ、実際には、始めは書くところを見ながら習うということになるのだろう。

墨の擦り方が難しいと思っていた。が、近頃気づいたことは、使い終わった筆の後かたずけが、書くことができる書を決めていることである。

例えば、筆を柔らかく保持しながら、日々、筆の後かたずけの仕方を工夫するという感じで進めている。特に秘密というものはないと思っている。結局、気を維持して続けることだけが進む方法ということである。途中からであるが、これは、思ってもそのようにできるかどうか分からないことに気付いてからは、続けていることで起こることを楽しんでいる。

小さい文字を筆で書くことになるとは思わずの、19年目の結果がそれである。しかし、このおかげで、紙、硯、筆、そしてそれらの使い方などによる書の変化について、細かなところにも気付くことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

18と19年目

蓮の花

日々雑感

 

 

 

 

     

 

17年目

日々雑感H31.01.16

 

 

 

 

 

     

 

16年目

日々雑感H29.09.10

 

 

 

 

 

     

 

4年目から15年目

11年目:書道

 

 

 

     

  

はじまり

 

古典典書法はじめの三年

李柏尺牘稿と顔真卿祭姪文稿

はじめに

楷書「一」

藤原道長

始平公造像記

自己紹介

文人画(墨竹)

小野道風

懐仁集字聖教序

 

西洋絵画

小野道風屏風土台

臨書集

古典書法の本質

散策

藤原行成

日々雑感

 

臨書

空海 

 

 

 

     

 


 

今から97年前、
分断され点在していた古典書法
それらを習いまとめ文人が生まれた
文化大革命時、その文人李卿雲は野に降り
書法をわが 師が引継いだ
文人がこの世 を去り13年
消え失せつつある古典書法
王羲之と言う名で語られる用筆の妙
歴史ある中国文化の神髄
用筆はそのまた神髄
縁ありそれにふれ驚いた
しかし、今は、中国文化に無関心である。
そして、イメージの西洋いやただただ便利なものことへと進む
中国文化に大きく影響を受 けていることなど気にすることもない
そして普通に目にするものは、生きた気をあまり感じない中国の工芸品
しかしそこから一歩進み、目にした、善い物としか形容できない書の文化
さて、歴史の中、中国から何を学び何を学ばなかったのかを考える
かすれにじみ、線のおもしろさを追求し、自由に書くことが流行である
しかし、気づくことなく、通り過ぎてきたとても善いものがある
ほとんどの人が、その真の価値に気づいていない
それは創造の泉、わきだすものは
うまきさけ

2002年記す


 

 


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