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日々雑感

秋雲

 

  

  2017.06.23 楷書の書法

 
 

 

基本的な筆使いに一通り指がなれてきた。楷書の筆使いの書法を固めようと模索している。

筆は柔らかく持つのであるが、自ずと横画は柔らかく、縦画は強くとなるので、いろいろな状況で、そのようになるように、起筆と終筆に法則を持たせようとしている。

文字の形は、書法に見合ったものに落ち着くはずだ。

横が大地で陰、縦が天で陽、十字は陰陽のマークでもある。感覚では、右回転が柔らかく、左回転は親指の引きの力を使うので強くなる。右が陰、左が陽、そして陰陽が時事刻々現れて、筆が渦旋し、文字が現れる。陰陽と渦旋で文字が現れる。横画にもいたるところで陰陽が現れるが本質は柔らかな右回転、縦画も陰陽がいたるところに現れるが本質は強い左回転、陰と陽の間で渦そして文字が生まれる、まるで日本神話の国生みである。

こんな感じで楷書を書くことに勤めている。どこかにしばらく籠もり、指先が器用に動いているうちに、納得できることろまでつめることを考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.02.19 この状態をなんといったらよいのだろうか

 
 

楷書は、やはり墨の色が優先順位の一だ。黒く立体的な感じがするところにくると気持ちがよい。

今日は、禅語をいくつか書いていた。まずは楷書を書いて、次に自運。

今はということだろうが、いくつか取れると、遊びに行きたくなる。といっても散歩である。外出用の着物に着替える。

・・・昼ご飯を外でとった。なにか、これで、一日が終わったような気がする。まだ、お昼をすこし過ぎたところである。

嵐山に移動、空気はまだ冷たいものの、日差しの明るさは春のはじめのものだ。散歩にちょうど良い。

読みたい本があるので喫茶店に入る。渡月橋が見える。本の内容を味わいながら、自分なりに考えながら、時に景色、行き交う人を眺め・・

 

本は、中西進氏の楕円の江戸文化だ。いろはかるたの見方を通して、江戸文化を紹介している。

中西進氏は、ひらがなでよめばわかる日本語という本から入った。古いやまとことばをとおして、日本人の基本的な考え方に気づかせくれる。時間をかけ熟成させたような思索だ。ありがたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.02.12 自運

 
 

右、紙は、楮紙で、それもお気に入りの店で求めたものだ。書き心地、墨の定着具合がよく、手すき独特の本物然として感じが好みだ。

 

墨もなんとなく使い方がわかってきた。硯は、使っている墨に比べ小さいが、よくおりる。この硯と、墨とで、黒々と深みのある墨色とできる。硯は、昔の韓国のものなので雰囲気も言うところがない。

ただ、少し水気が少なかったような気もする。

古典書法に取り組むより前の、書を思いだしている。書法がないので、、紙のようにぺらぺらした書であるが、その時から、今回書いたような書は、書きたかったのかもしれないと思えてきた。

 

 

 

 

紙は、半紙半分程度の大きさ

 

 

 

 

 

 

 

自分の部屋に張り付けて置く場合、このくらいのほうが飽きがこない。しかし、これはどの筆を使って書いたものか。

そうか、--半紙に書く。

 

 

 

 

 

  

  2017.02.12 自運

 
 

楷書を書くことができる羊毛の小筆をいろいろと比べてみた。

羊毛なので、楷書は柔らかな感じとなる。また、あまり小さな文字を書くには向かない。

楷書というよりは、自運によさそうな気がしたので試してみた。

 結果としては、よさそうなものがひとつと、細い線を書くことが容易なのでものがひとつあった。しばらく、この2つで遊んでみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楷書を書くことができる羊毛小筆

右側3本は少し古いもの。

持ちやすさと筆先の具合とで一番右側が、自運にはよさそうだ。1980代に作られた上海工芸の漢壁という羊毛の筆だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.02.05  楷書

 
 

今日も、筆遊びだ。民国時代に作られた鼬毛の小筆を使用した。

楷書を書くことができる筆を見つけることができなかったが、昨年の10月頃から、大きさ、毛の種類を違えて、楷書を書くことができる筆を持つことができた。

読める範囲の調和体で書くと、さらに小さな文字を書くことができる。

この筆は、柔らかい感じがする。筆先がとても緻密に作られていて、細い線も書くことができる。感動とともに感心する。

筆は、中国のものに善いものがある。日本のもので楷書をそれなりに書くことができる筆は今だ見つけらずにいる。

なんというのか、筆先がまとまりにくいのと、筆先に力がないのとである。なんというのか雑な感じがする。大きさ、使用する毛によらずそのような傾向がある。

日本のといっても中国製もたくさんあるので、この場合は、作り方、売り方両方ともに、楷書を書くためにはどうあるべきかをまずは理解していないということになる。

さて、古典書法の大きな特徴は、実用的なことである。

楷書の一画一画に複雑な動きが含まれている。一見すると無駄な動きに見えるかもしれない。

しかし、これはなんのことはない。一画一画で完結せずに続けると行書になる。

筆先からかえる力を感じ、利用するので弾力が強いほど、早くかくことができる。また、筆のいろいろな面を使う、さらには運筆のなかで筆先が整うので、墨が尽きるまで連続で同じ調子で書くことができる。

書く文字の大きさが違っても、同じように書くことができる。瞬間瞬間の筆使いの緻密さは、文字の大きさによってはさほど変わらない。

筆が見つかれば、まだ小さな楷書を書くことができると思われる。

ここで言う古典書法は、すぐに身につくものではないのと、いつまでにこうなるという感じで目標をもつことが難しいものであるが、このように書きたいとあいまいでも良いので希望をもって、続けてさえいれば、少しずつというかあるときはあれっという感じで、希望のところあるいは希望とは違うところ、意外なところが、進んでいるという感じで進んでゆく。

なんとも奥深い。文化の1つの極と思っている。しかもうれしいことに身に着けるものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

漢詩の方で、半紙の1/4

 

漢詩の方で、半紙の1/8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.02.04 楷書

 
 

目標とすることはできないが、升目のない紙に、楷書をスラスラと書き、そして書いたものを自分自身で楽しみたいものである。

今、昼頃であるが、今朝から筆を使っていた。

 

楷書は、一瞬の素早い運筆が必要であるため、心を落ち着けつつも、高速で書いている気分だ。

この筆は強い弾力を持つ。手指が動いてくるにつれ、線が澄んでくる。

 

2月2日から古典書法に取り組んでから16年目になる。

仕事とは違って、書については、目標をもってというよりも、続けることを願ってきた。

ん・・・

目標らしいものが一つあった。

書に、よく散歩をした渓流の地の雰囲気が現れないかということは思ってはいた。が、これは目標になるようでならない。

それにしても取り組み始めたのははるか昔のことのような気がする。

目標を持たないというか持てないことででよかったことは、ときに現れてくる書を自分自身で楽しむことができたことだ。

続けていればこのようにできるようになるのかと感心することもある。

中国の歴史ある筆使いを学ぶことができたことは幸運であった。

 

 

 

 

紙の大きさは、半紙の1/4 

 

 

書いた文は空海の言葉である。意味は、

 

一身 ひとり生きて没する。

電影のように、これ、無常

雁やつばめが、また来ては去ってゆく

紅の桃の花は落ち、芳香が漂っていたのは昔のことだ

半紙に書く。羊毛中筆