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日々雑感(古典書法はじめの三年)

   研賜

 

H17.02.26

日本の書を、古本それも大判の写真で集めているが、やはり実物とは違うため、いろいろな意味で限界がある。今のところ三十帖策子は、本物を見ている。やはり写真とは比べられないほど迫力があったことを覚えている。

今日から日本の書の勉強よりも、古典書法の臨書の方へ比重を移そうと思い、実行に移しつつある。

 

 

H17.02.21

最近入手した本の感想:

「近衛家煕写手鏡の研究 思文閣出版」 : 仮名古筆の本であり、風信帖が含まれていることを期待したが含まれていなかった。漢字の書を双鉤填墨で模写している例が記載されていたので、風信帖はもしかしたら双鉤填墨で模写したのかもしれない。

「岡屋関白記・深心院関白記・後知足院関白記 思文閣」 : 文字が小さく用筆が読みとりにくい。

「日記が開く歴史の扉 京都大学総合博物館」 : 藤原道長の日記1000年及び1009年の日記の写真が掲載されていた。

2週間ほど前に臨書した部分は1004年のものなので、その前後4、5年のものということになる。1000年も2009年も、案外に細い線が多い。大きな変化は認められないが、2009年の方が、筆使いはこなれていそうである。2004年のひらがなな記載されている部分のほうが、柔らかく和様の感じが強い。墨が薄いことでこのような良い感じとなった可能性がある。

「書の文化史 書状にみる人と書 波多野幸彦 思文閣」 : これも書状の写真が小さいため用筆は読みとりにくい。

目的が書いてある内容よりも用筆を読みとることなので、部分的にでも、大きく拡大して掲載してほしい気持ちである。やはり本の内容を確認せずに取り寄せる方法は無駄が多い。

日本の書に関しては、基本的に、用筆を真似るために調べているのではないため、気長に、展示会などで、とにかく実物を見ることに努力した方が良さそうな気もするが、まあこんなものという気もする。骨董品よりはだいぶ無駄は少ない。

 

 

H17.02.15

「書の基本資料 日本の能書 中京出版」をみて、古典書法から遠いところにあるものとして目立って目にとまる書は、一休宗純と副島蒼海の書である。それと逆に、古典書法に近い書は平安時代に多く、小野道風などそして藤原道長の書である。平安時代以外で目にとまったところとしては、関白近衛家煕(1667-1736)の臨風信帖がある。ただし、写真は小さく用筆までは読みとることができないが、文字の形はそっくりである。

近衞家を調べてみると、近衛家は大化の改新で有名な藤原鎌足に始まり以来約1300年の歴史をもち、近衛家煕は藤原道長の直系である。

日本の舵取りを担ってきた藤原直系の関白摂政を務めた人物の書をたどれば、日本の真の国力、時代の特徴がわかるのではないだろうか

今、陽明文庫の本で、関白を務めた人物の書の本を2冊取り寄せている最中で、楽しみにしている。

勘で言えば藤原道長以降で、藤原道長の書を上回るものはないという気がしている。

 

 

H17.02.08

どうも指先の感覚を触覚と書いていたことに違和感を感じていたが、今日やっと分かった。「西洋絵画」で運動としていいところまで表現しながら、感覚を明確な言葉として表し得ていなかった。

人間の感覚としてよく知られているところでは、視覚、聴覚、臭覚、味覚がある。この他に、平行感覚そして吐き気などの内臓が感じる感覚もある。

古典書法と関連が深い重要な感覚は、指先が感じる感覚である。これには、触れた、押された、暖かい、冷たい、痛いを知る皮膚感覚そして目を閉じて動かしても動きが知る運動感覚がある。私見としては、皮膚感覚には、心地よさを感じる感覚を含んでいる。

つまり古典書法は、川の流れさながらの自然の特徴である理にかなった動きを学ぶことにより、指先の皮膚感覚と運動感覚を研ぎ澄ませていることになる。そして、研ぎ澄ませた指先の感覚により、理にかなった動きにより近づいてゆくことができる。

集字聖教序は、自然の動きさながらに合理的に指先を動かした結果として現れる文字の形を示している。

趙孟ふが、書法において、古典書法による用筆の重要性を強調するのは、ここにある。

用筆を真似することなく、集字聖教序を臨書することは、宝を目の前にして、それに気付かないことに相当する。

このホームページも、指先の感覚に関する部分を書き直す必要がある。

 

 

H17.02.06

藤原道長御堂関白記の臨書をおこない「藤原道長」に追記。
藤原道長は本当に相当な人物であったと思われた。感激の気持ちを表すのであってもそれとなくおこなうのではないだろうか。

 

 

H17.01.29

日本書道について調べ「書道」を充実させた。調べた範囲においては、日本書道の頂点は平安時代、そしてその代表としては藤原道長と思うに至った。

常日頃、古典書法を知らずに、中国の書を評論している本が多いことが気になっていた。その中には、暴論とも思えるものがある。そのため、用筆という観点でのみ日本書道を探っていたが、的外れなことをしていた思いでいる。日本書道を、中国の影響とひらがなとの関係で見ることにより、文化の違いなど興味深いところにいくつか気付くことができた。

今自分が取り組んでいるところの意味を考えるための素材の一部を集めることができた。

 

 

H17.01.25

小野道風屏風土台を臨書して再度確認してみた。やはり、指先の回転を止めると、ときどき自分の意図しない点画を書いてしまう。古典書法でないと安定して書くことがきない。(お騒がせしてすみませんでした。)

また、小野道風については、100%自信ある答えを出すことができなかったが、「日本書道の歴史に現れた人物としては、古典書法に最接近していたと思う」ということを現時点の結論としたい。

小野道風屏風土台臨書

 

 

H17.01.24

小野道風の屏風土代を指先の回転をとめて臨書してみたが、この方が書きやすい。小野道風の書を古典書法が入っていると評していたが、わからなくなった????。これまで、小野道風のページをご覧になった方にはご迷惑をおかけするが、1、2日中に小野道風のページは、なんらかの修正をさせていただく予定。

 

 

H17.01.23

昨日は、稽古日。古典書法を学び始めてからちょうど3年が終了した。2月からは、4年目に入る。年々時の流れが速く感じられる今日この頃にあって、古典書法に関する時の流れは、決して短く感じられない。学び始めた頃が、遠い昔に思えてならない。

このホームページは、ここ3年間、古典書法に取り組むことによって、胸の中に貯まった思いを、ここ2ヶ月間に渡って、表したものである。

古典書法に取り組むことによる日序生活の影響を、漢方薬のように劇的な形では実感できなかったが、このホームページ作成を通じて、その影響の大きさを実感できた。

作成を通じて、考えもまとまり、易、陰陽など思いもしなかったものが現れもした。情報の羅列とならず、古典書法に色濃く影響された自分なりの考えを、荒削りではあるが表現できたことを確認できて、この3年間の区切りをつけることができた思いでいる。

ホームページを作成すると、古典書法の練習量が減ってしまうことが気にはなっているが、しばらく気に任せようと思う。

話は変わるが、昨日、直径8cm、墨池がない、墨を擦るところが平たい円形の端渓抗子岩の硯を購入してきた。円形の硯は実用的であるが、さすがに、小さ過ぎた。下ろした墨の滑りを確認しておそらく使わなくなるのだろうが、小さくて軽いので、出張時に持ち運ぶにはよい感じである。

昨日は、硯の他に「茶の湯の道 千利休の文 小田栄一 求龍堂」という本を購入した。

以前から気にはなっていた日本の書としては、茶道具の箱書き、千利休、藤原道長の書などがある。

この本で千利休の書を眺めていると、ひらがなとの関係で見てみる必要性を感じ、今朝から「ひらがな 京都国立博物館編」を眺めている。

後日きちんと臨書をして、考えをまとめるが、ひらがなとの関係でみることはおもしろそうである。そして藤原行成の書は、和様の完成というよりは、和様の始まりと見た方がよいと思われる。

 

 

H17.01.20

本日、「小野道風」を見直し修正をおこなった。藤原行成の書を臨書を示さずに批評していることが気になりだし、本日、藤原行成の白氏詩巻の一部を臨書して掲載した。

4日前の日曜日に、30年程前の白い紙(おそらく宣紙)を手に入れて使用してみたところ書きやすい。毛辺紙より、善いと感じる紙がなくて、ほとんど毛辺紙ばかりを使用してきたが、この紙は、毛辺紙とともに、ときどき使用することになると思う。「大学」で掲載している書も、この紙を使用して書いている。

 

 

H17.01.17

昨日、「李伯尺牘稿」に追加訂正をおこない、「李伯尺牘稿と顔真卿祭姪文稿」として掲載。李伯尺牘稿と顔真卿祭姪文稿は、昨年の12月に、古典書法と陰陽の関係に思い至るきっかけとなった書法である。

 

 

H17.01.15

本日、「一」を掲載。古典書法について感じる胸の内にある大きなものを、表に出すことができた気持ちでいる。

今日の臨書(顔真卿えい州帖)

 

H17.01.12

楼蘭出土李伯尺牘稿を2日前から記載し始めた。。
この書は、集字聖教序と同等に近い用筆を必要とするにもかかわらず、起筆と終筆が無造作とも見えるように書かれていることがここ1年程度であるが、不思議であった書である。

昨年の12月の始めころのことかと思うが、顔真卿との関連で見て、自分なりにその意味を理解できた気になっている。書法における陰陽もそこから大きな着想を得て、書き始めた次第である。

 

 

H17.01.10

 

空海の風信帖1通目は、王羲之の用筆が入ったすばらしい書だと思う。そこで、今年の正月休みに、集中的に空海について調べたところ、空海には筆跡から言えばあいまいなところが多すぎかつやはりよく見直して見ても意図的に最澄より上に見られるような論を、現代に至るまで続けていることを感じてしまいなにかやりきれない気持ちでいる。古典書法の追求が目的なので、この件は、これで終。

 

 

H17.01.09

 

しかし、天台宗では灌頂のことをどのように記録しているのだろうか。

「請来目録」のように明治になっても最澄を空海より下に見えるように細工をし続けていると思われる行為を見ることができる。知らずにしているのか意図的なものかは分からないが、筆跡がその無理を教えてくれている。

触覚は、言葉では伝えにくいため、筆跡を似せることは至難の技である。漢字に関しては、ここを書道といって避けている気がしないでもない。しかし中国では書法と言い、触覚を含めて伝えていこうと言う意図を感じることができる。

しかし、中国の文化大革命はとてつもないことに写る。4千年の歴史を捨て去ろうとしたものである。

中国の方では、現在では書家画家と言われる人がかなり存在するようになってきているらしい。しかし、それは古典書法とは無関係なもので、古典的な書画の技法は風前の灯火とのことである。

しかし、蜘蛛の糸状態できわめて細いが、中国ではその本質が維持継承されているということも事実である。

おそらく日本においては、家元的な形で、その形式が伝承されるのであろうが、この辺りに文化の違いを感じる。

「書道(そして空海)」に本日記載した文章より

 

 

H17.01.04

 

「書道」のページに、聖徳太子から空海までの書について掲載を開始した。特に空海に関しては、政治との関係から見た結果、興味深い発見をすることができた。昨日から書き始めた。書きながら発見し、そして書くという感じである。誤字脱字分かりにくいところ等々は例によりそのうち訂正。

 

 

H17.01.03


なにかよい本がないかと物色していると、中国式の用筆は、筆を回さないように持ち、日本は、回しやすいように持つと書いてある本を見かけた。写真付きで説明していた。確かに持ち方はいま中国の古典書法として習っている方法と似ているが、動きに関しては、正反対のことを主張している。


古典書法以外のことを良くは知らないが、なにか不思議な気がする。

冬季休暇は、明日までである。今回の休暇は有意義に過ごすことができている。現したいと考えていた主なるテーマをほぼ表現することができた。

いまだ、このように表現することを止めがたい気持ちはあるが、一方で、古典書法の練習に取り組みの比重を移したい気持ちが大きくなりつつもある。

それにしても、「書道」の項で書きつつあるが、空海は調べれば調べるほど面白い。嵯峨天皇とのつながりを含めて考えてみると、風信帖の持つ意味を理解できたような気がしている。

 

 

H17.01.02

 

「西洋絵画」を本日から掲載する。書きながら考えていったため、ことば足らずではあるが、まとまってゆく過程を楽しむことができた。

 

 

H17.01.01


明けましておめでとうございます。本年の始まりです。

早いもので、今日で冬季休暇3日目である。今日は、西洋絵画について書いていたが、掲載できるところまで完了できずに終わる。

 

 

H16.12.31

 

「書道」は昨日、「始平公造像記」及び「文房四宝」は本日、掲載を開始した。「始平公造像記」は、自分の中でたまりにたまっていたものであり、これで、心おきなく新年を迎えることができる。今日は、大晦日であるが、これから書斎の大掃除をして、新年を迎える予定である。

それでは、良いお年をお迎えください。

 

 

H16.12.25


ようやく、中指が筆の軸に引っかかるようになってきた。
このことが良いか悪いかは、例によって、しばらく試してみないと分からない。

肘の位置は、物理的には、前の位置につまり身体の方へ戻ってしまったが、感覚としては、身体から意図的に離して書くような感じを持って書くことができることが多い。(H16.12.18の記事ご参照)
これも良いか悪いかは、しばらく試してみないと分からない。

今日は、稽古日である。午前中4時間程、集中して、御手本の臨書をすることができた。土曜日の午前中を良い体調で迎えることは、結構難しい。今日も体調的にはやや悪い部類であったが、最近では稀なほどに、書に集中できた。適度にスポーツをした後は爽快な気持ちになるが、今それに近いものを感じている。

集中できた理由を自分なりに考えたみたところ、墨使いを変えたことが一番大きいということに気がついた。残り少なくならない内に墨を擦って補充するようにしたため、安定して墨が良く筆に含まれて書きやすかったことを思い出した。

今日は写竹

 

H16.12.23

 

工学というのは、思いと現実の橋渡しをする学問である。

そして、書は、頭の中にある考え、イメージを、紙の上に文字として現す。

考え、イメージが思いで、文字が現実である。橋渡しをするのは、筆というよりもそれを使う指の動きである。

つまり指の動きが工学であり、書の場合は、書法となる。書法の意味するところは書作品を含んでいるが、指の動き、動かし方と捕らえると本質が見えてくる。

従って、工学部出身の技術者としての仕事もこの趣味も、していることは同じ。互いに、影響させあい、深化させたいものである。

ただし、習っている書法は中国の古典である。どちらかと言えば、仕事の方が得をしている気もする。

今朝の臨書

 

 

H16.12.22

 

一昨日、夜10時頃、NHK教育で放送していた書道の番組をみた。

隷書の書き方を実演していた。例えば、半紙に6文字書いていたが、布帛は感動するくらい完璧である。

筆の持ち方は、中国式双鉤法で、筆の回転はない。逆筆を多用していた。

気軽な感じで書く方式であり、楽しそうに書いているのが印象的であった。思えば、他の人が筆を使い書くところをほとんで見ていない。この点において、批判的なことを言う場合は、よくよく考えないといけないと反省する。反対の方からみると、こちら方は、気合いというか力が入り過ぎていると見えるかもしれないとも思えた。

とにかく、布帛が完璧という感じで、放送においては、書くものすべて様になっているのは、新鮮な驚きであった。

筆で「一」を書く場合、線には太さがあるので、角が4つある。古典書法では、4つの角すべてに対して、具体的な形をイメージし、書く。もちろんそのようになるように、筆を動かす。4角の形をイメージ通りに表現するのが筆の回転である。

説明すると、なにか複雑で、遅くしか書けないと思われるかもしれないが、次の点画へ移る動作を含むこともあり、かえって、速く書くこともできる。いずれにせよ書であるので、瞬間瞬間ごとにイメージを具現化する筆使いをすることになる。

テレビで見た書を気楽で力が抜けた感じがしたのは、4角に対する配慮がそれなりのものであったためかもしれない。

布帛がすばらしく、楽しそうに書いていたので良い印象を受けた。筆の回転がないため、自分は真似をしようとは思わないが、古典書法とそうでない書法との違いを考えるよい機会となった。

今朝方、臨書をしたところ、墨が黒々とした感じになったので、掲載してみる。自分としても、パソコンの画面上でどのように見えるのかを確認することは楽しみの一つである。

 

 

2004.12.19

 

ホームページを作る行為を陽とするならば、書は陰である。今は、ホームページを作る方が主となってしまっている。限られた時間なので、書の練習の方をしないとと思うのだが、止まらない。

古典書法を習い来年の2月で3年となる。この期間にたまったエネルギーが出てきている状態と解釈すれば、それもまた止むを得ないのかもしれない。

いくつかまだ書きたい項目があるので、正月休みにでも、書こうと考えている。

週に、一人か二人しか訪れない、いわば見られることがほとんどないホームページであるが、それでも零ではないというだけで、気の持ちようがまったく違う。

自分としては、特に、書に取り組み始めた若い人の目に止まることを望んでいる。

 

 

2004.12.18

 

肘の位置をすこし身体からはなすと、力の出所が、言葉を換えれば気の出所が、みぞおちの奥の方から、へそ下の方へ移動する。
おそらく、力の出所は上下させるのかもしれない。とりあえず、下の方に重点的に移して確認することにする。

本日、小野道風をアップした。ここに載せた臨書は、一月半ほど前に、書いて、道風記念館主催の臨書公募に応募したものである。2百数十人ほどの応募があり、なんらかの賞に選ばれたものがその3分の1あるいは2分の1と記憶している。載せて申し訳ないが、これは落選している。