小倉百人一首24番
菅家:菅原道真の尊称
幣(ぬさ):神様に祈るときに使う。棒状のものに紙・麻などを切り折りて取付け垂らしたもの。幣は麻を意味する。
手向山(たむけやま):神様が祭られている山
まにま:従・随・遵・順うさま。しがたうさま
神様なみに慕われている巨大な菅原道真公が、
紅葉を幣にして、祈りをささげているように思われ、いまもお守りいただいているように感じられる。
小倉百人一首は、遣唐使の廃止については大きな事として扱われている。菅原道真は、遣唐使を廃止に導き、これを機に、文化が、唐風から、国風へと移る。
左遷されたのは、唐との貿易に潤っていた藤原家から恨みを買った面があるようだ。
ここから、藤原道長の登場までまだ少しあるものの、
いままさに、世の中では暑い暑いという人がほとんどであるが、なにか、空気感に秋が含まれていて、少しもの寂しい気になっている。
という具合でこの頃から藤原家の夏まっさかりが始まりつつある。
しかし、道長で頂点ということであるが、後に、近衛家となり、林千勝氏の史観で言えば、第2次世界大戦へと日本を巻き込んでゆく、なんともはやなぜこんなことまでしないといけないのかの近衛文麿へと続いていく。
しかし、長い目で見るとというのか少し考えてみると、欧米諸国によるアジアの植民地支配から、アジアを解放し自立を目指すという大東亜共栄圏構想が今実現されつつあることを思うと、わが知をはるかに超えているところではある。
肌の色など、とにかく差別はなくなりつつある。表立ってそのような態度はできなくなっていることからもそう思う。
さて、藤原道長は、書で有名な藤原行成と同年代だ。
ということで、臨書ではなくで、八月十五夜・・・・のくだりを書いてみた。
最近、書といえば、楷書に近い行書を書いている。
筆で書くことの良さが一番でてくる書き方と考えている。
中国では、漢字のピークは唐代だ。日本はというと良く唐代の漢字の形を保ったまま今にいたっているので、いまもピークということになる。
中国は簡単になりすぎ、台湾は書に向かないくらい画数が多すぎる。
ひらがなも楷書的な書き方がある。それと、楷書に近い行書を組合わせると、早く、読みやすい状態で、気分よく書くことができる。
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