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日々雑感

爺爺

 

20年目

 

 

 

2021年11月14日

 

これまでに、習い覚えたものを秘すると、現れるものがあることを知った。

 

法は、手指の感覚に隠れるが、思っていたところが書に反映されると良い。

古典書法は、ここまででとし、書道として継続する。

 

半紙の四分の1に書く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月12日

 

 

半紙   4分の1
(書いている部分16分の1程度)

 

読めないところ多いも、手指は動いている。その他の条件を整えることができれば、まだ小さくできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月25日

 

 

             半紙   16分の1を2枚

 

これを見る限り、もう少し小さくなりそうだ。

このように小さな文字を書くことができることが、ここで古典書法といっている技法の良いところの一つだ。

 筆の4つの面、この場合は毛先の4つの面を使う。

また、ようやく筆の動きにあわせて文があらわれるようになってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月21日

 

 

 

 

今朝は、一番お付き合いの長い筆を使い書いた。画像になるとおとなし目だが、動きがでてきているのでこの延長線上でよさそうだ。まだはっきりとはしないものの、フリーハンドの楷書もいけるのではないかという気もちが芽ばえそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月20日

 

 

半紙8分の1に書く

 

今朝は、半紙八分の一の大きさになった。文字も昨日までのより読みやすい。

これを見る限り、もう少し小さくできそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月17日

 

 

半紙4分の1に書く

 

フリーハンド楷書はどうすべきかなんとなく分かったので、白恵波羅密田を書いて見た。フリーハンド楷書に用いた硯と墨を使って書いているが、以前のものよりも書きやすい。

この硯と墨であれば、同じ筆で、一日に一回ということはなく根気が続けば何度も書くことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月17日

 

 

 

半紙半分に書く

 

なかなか安定しないので、筆ならしで升目をつかって練習してから、いつものようにフリーハンド楷書を試みた。

なんとなく、こんなところが良さそうだ。

結局、階行書などと違い、楷書は、他の文字でバランスを補うことできにくい。

要は、フリーハンドであっても、楷書なので、あたかも大きさそして間隔を升目に揃えて書くように書くことができないとおさまらない。

これはこれは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月1日

 

かって、顔真卿の楷書の臨書によく使った筆をだしてきた。

楷書で書くも、書きやすいのだが、やはり、これも、楷書となると細部が気になる。昨日まで使用していた筆と同じようにつめてゆく必要がある。結局、昨日使用の筆で書いた。

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しかし、マス目を使わずに、フリーハンドで書く楷書というのは、必要なのか、意味があるのか、できるのか、その内どこかに収束するにか・・・など、後向きな思いがあらわれる。

 次、この筆で書いた楷行書

 

 実用で言えば、この方が良いと思うのだが、フリーハンドの楷書にひかれる気もちはなんなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月31日

 

 

 

試すのが好きなため、文房四宝も大分と試してきた。ということもあり、最近は、なかなかと家に連れかえるものを見つけられない。見方が大分と自分に厳しくなり、すべての点において納得がいったところから始める。そして、知っている以上に素晴らしいのではないかと感じることができるものを求める。

 

かなり小さな文字を書くための文房四宝は、かなりつめることができている。特に、硯は、墨のおりが良く、見た目としても太古を感じ、これ以上はないと思えるほど気にいっている。ということもあり、机に座ると、自然にこれらを手にする。

最近、半紙六文字程度の大きさで書くのに適したものをということで硯を探してみたが、案外にすんなりと手に入った。いま、墨や、筆や、紙と、この硯との相性を調べている。どうも良さそうだ。しばらくは、相性をつめるなかで、自然に書くことができる文字を決めてゆこうと思う。

 楷書

 

 楷行書

 

 これは、造語、読みはちょうりんで、家の中を、龍と大きく立派な鹿がいて、似合うようにしておこうという意味を込めた。清掃を意味する。万葉集を勉強していて気づいたところを実践してみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月26日

 

聖徳太子十七条の憲法を書いてみた。吉野裕子 易と日本の祭祀に記載されてい文の写しである。

半紙4分の1 × 2枚に書いている。

ここ2、3日前から、この程度の大きさで書きなれてきた感がある。模様としても見られないことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月20日

 

万葉集第1巻の3,4番

 

3番目の弓の音、狩りの歌であるが、まもられているような気がしてくる。

4番目は・・

と、順番に訳して、前の歌との関連で意味を読み取ると理解が進むようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月17日

 

万葉集第1巻の2番

 

2番目も、大神神社あたり、少し上にのぼり、西を望む景色を思いながらがよいだろう。加えて、海原にカモメが飛ぶ景色、そして、かまめ→かまどからの煙が、一軒一軒から立ち上る景色を合わせて思い、日本の山と平野と村なども、漢字をみていると自然と思われる。取与呂布が、・・・。漢字からは、取ったり、与えたり、背骨のように積んだり、布のように広げたり、ということで、天の香具山にかかる・・・やはり、これといったイメージがでてこないが、変化に富んでいるという感じでとらえておき、トリヨロウのもつ音の響きを楽しんおく。

蜻島あきづしまは、トンボが先祖の霊の化身、田んぼの稲穂の上を飛ぶイメージ、縁起が良く着物の柄として喜ばれているなどで、大和の国にかかる。大和の国は、また、五番の目にように区画整備されたところに往来する人でにぎわう。その他に、大和は、山が常で、庭のように平野がある土地。という具合にイメージを膨らませて、

基本は、大神神社あたり、少し上にのぼり、西を望む景色の中で、一軒一軒から竈の煙が立ち上り、ご先祖さまの霊と共に、平和で満ち足りた世であると感じつつ、

やまとにはむらやまあれどとりよろふ・・・・の音を、楽しみながらというところが、当方のこの歌の理解ということになる。

そうすると、1番目の歌の「ふくしも」であるが、意味がありまいとしているものの、響きとして、とりあえず、理解しておけば良いのかもしれない。その内、腑に落ちるところがでてくるかもしれないではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月15日

 

万葉集第1巻の1番 であるが、

 

だいぶ昔に、このように暗記していた。

大神神社あたり、少し上にのぼり、西を望む景色を思いだすと、子どもたちが、菜をつむ様子と、そらみつ大和の国の景色と、万葉集の言葉のひびきとが、あいまって、家と名をなずね、自分の方からのることの意味が、いわれてみると分からなくなるが、あまり不自然に思わなかった。

万葉集は歌のひびきに惹かれるものがある。

小名木善行氏のこの歌の解釈も大変ひびくものがあるが、音というところでなにかしっくりこないところがあるため、ここしばらく、ああでもない、こうでもないと、いろいろ、言葉をかえてみている。

が、今日は、結局、元にもどってしまった。

人々が家と名を持ち、子らが、丘、山で、ふつくしい道具をもって菜をつんでいる。このこと自体、なんとも、素晴らしい世と思われる。これは五世紀の後半にご在位の雄略天皇の歌である。

 

後の方であるが、一般的に言えば、ぼく、どこから来たの、お名前は?。おじさんはこういうものだよ。という感じになるのだが、これを天皇がされるかなあという気もちと、知らすで治まるということはこういうことではないかという気もちと、相手が子どもなのでお手本となる意味で良いかという気もちが、わいてはかわき、落ち着くかない。

般若心経の訳のようにしばらく続ければどこかに落ち着くのかもしれないが、こちらの方は、落ち着きそうにないように感ずる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月15日

 

万葉集第1巻の1番

 

 

かごも、うつくしいかごを、

掘串(ふぐし)も、うつくしいふぐしをともにし、

この丘山で、菜をつむ子ら。

家は、さいわいで、しずかなり、

名は、うす絹様にひろがる根をつげる。

空に満ちた大和の国は、

押し並べて、わが、祈り祈りいる、

広く、わが、座りいる。

我は祈り告げる、

家を、そして名をも。

 

 

大神神社あたり、少し上にのぼり、西を望む景色を思いながら訳す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月8日

 

背筋を伸ばした姿勢では読みにくいほどの小ささで、かいてもかかなくともどちらでも良いこと葉を筆でかく。

よいことは、気もちが落ちつくこと。

そうなるたびに思うのだが、かなしみにとらわれながら、その気もちを筆でかくことは、なにか違うように感じる。

有名な方がそのたぐいの言葉を筆でのこしているというのは、文字どおりの気もちを現したということではないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月6日

 

百人一首から

 

竜田川:奈良を南北に流れる川で、紅葉の名所

在原業平:小町からは相手にされず

この歌からは、

前代未聞状態に、唐いろに、奈良を染めてしまったとイメージされる。

 

百人一首の選歌をみると、国柄を大事にする方に重きをおいている。はなのいろはうつりにけりなの小野小町からも相手にされていない。能の演目の熊野(ゆや)においても、よい語られ方をしていない。

ある側からは、よく思われていない方のようだ。唐=ここで言う「から」と通じることで栄えた方なのだろうか。

ちなみに竜田揚げ=唐揚げともうわさされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月30日

 

空海の言葉から、

 

訳してみた。

 

空海の言葉はカッコよい。漢字のままだと、一見したところに理解が留まるため、訳してみた。ただ、なげきかなしむというよりは悲しむように程度の方がよかった。

・・・・

なんとなく、見えたもの聞こえたところを、絵を描くように言葉にしているように思えた。

やはり、カッコ良い。

 

 

参考文献:空海 言葉の輝き 竹内氏など ピエ・ブックス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月30日

 

 

 

今朝は写経。ただ、少し前に、自分で訳した意味を思いながらということになる。

今は古典書法20年目である。自分でも不思議なのだが、書くときは、一つ一つの文字の配置を意識せず、ただ、書き進めている。

あとで自分で見返してみても、あまり配置についてはストレスを感じない。このまま壁に貼っておいてもよい感じだ。半紙を4分割して書いているので、この小ささの文字を硬質筆記具で書くとなると、神経がすり減るのではないだろうか。

筆で書いているので、この程度まとめて書くと心身が整い、軽くやり遂げた感がともなう。朝方にしているので、充実して一日を終えた気分なので、あとは、ゆっくりとのんびりと、何をしてもよいような気分でいる。ノウテン気。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月29日

 

原文

 

漢字で書いて見たが、こうして見ると楷書で書くべきであった。

 

 

 

よく訳せないため、一部であるが、日本語で書いてみた。

王から、なにかのご褒美に、三品、どこか3つの地域に住み人を賜り、よろこぶというような内容だ。人が品となっている。

内容が内容なのでこの当たりで良いと思うが、これは、なぜこのようなことをしていたかというと、

金文よりも、もっと昔に日本には神代文字というものがあったという説があり、それを感覚でさぐっていた。いま見ることができる範囲であれば神代文字にはどうも、その形に手慣れた良さみたいなものが感じられない。

そこで、甲骨文字やら、金文を書いてみていたが、内容はおいておいても、文字の形やら残された文の見かけに、やはり、手慣れた良さを感じることができる。

上に示した金文を、今の漢字で書いて書いてみたが、上で示した金文の相当させるならば、楷行書ではなくて、楷書が方がよいが、そうすればこれはこれで良い。

さらに、日本語で書いてみたが、これであればこれはこれで良い。

ということで、今現在の証拠であれば、神代文字にはあまり近づく必要がなさそうだ。

やはりというのか、その時、その場所に応じた手慣れた良さみたいなものがあり、そういったものは、心を強く動かしてくれるものだ。

 

参考文献:平凡社 書道全集1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月26日

 

 

 

 

さて、小名木氏の百人一首の本のどこかに、藤原行成のことが書かれていた。

ということで確認したところ、

一つは、清少納言であり、清少納言の和歌は、藤原行成とのやりとりから生まれた歌であった。別な女性へ連絡すべきことを誤って清少納言へ連絡してしまい、それに対しての応答がこの和歌。行成へ、明るく、歴史を踏まえて、絶対いやとお断りしている。

もう一つは、藤原実方の和歌で、清少納言とのお付き合いのうわさがある方だ。

また、実方は、藤原行成に、和歌をけなされ、思わず行成の烏帽子をはたき落としたことから左遷されたと言われている。

しかも、和歌の方は、愛す女性に送った恋文だ。お灸に使うもぐさのように熱い思い。直な思いが伝わってくる。

そういった事情が分かれば、想像力が一つの方向へ刺激されてしまうではないか。清少納言に対するおもいを軽く扱われ、思わず、手がでてしまったのだろう。

 

藤原定家からすれば、藤原行成に良い思いはないのだろう。

世の流れが行成側で、大化の改新以来、築いてきた古き良き時代が壊れてゆくことを嘆く側が定家となる。

なんとなく今の時代に重なるものがある。マスコミが世の流れを作り、無理と思われる方向へ流れを作りながら、大きな流れとなってしまう。ひとごとのように放送するのがショウユいやミソだ。

長い目でみれば良い方向へ進むのだろうか・・。しかし、人体実験的なところを含んで進んでゆくので、なにか今までとは違うのではと思うところが多々あり、恐ろしいものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月26日

 

 

白氏詩巻(藤原行成)を、訳してみた。

今日は、こんなところだ。

 

藤原行成(972−1028) 正二位(藤原不比等などと同じ)・権大納言(名誉職としての左大臣あるいは右大臣相当)・藤原北家

藤原道長(966−1028) 従一位・摂政・関白・太政大臣・藤原北家

近衛文麿(1891−1945)従二位・内閣総理大臣など

 

こうして見ると、藤原行成は、白氏詩巻の書で有名であるが、位階から言えば、内閣総理大臣より上、摂政・関白より下あたりだ。

小名木氏の百人一首を読んで感じたことであるが、

これは中国の詩であるものの、散文ではない。そうして見ると言いたいことは直には書かれていないはずだ。

今の世でいうと、藤原行成=竹中平蔵あたりに相当するのかもしれない。

仮説を法則のように言いきりながらの、外国の利の代理人的なイメージがある。そうしてみると、男同士が、月を見ながら、真珠の粒がどうのこうのと言っている。清いなんてものは保つのが難しいのもよく分かっている。

これでは月はお金に見えてくるのではないだろうか。

白氏詩巻(藤原行成)を、こういう形で残してくれた方も、方であるが、これはきついと言えばきつい。だがしかしよく実相を写している。なんとも、面白い、がらよ、大和の国は。

白氏詩巻(藤原行成)の書もそうであるが、書をしていて思うことは、楷書から遠い行書は画の省略の仕方を別に覚えないといけない、しかも省略したからと言って決して早く書くことができるわけではない。略したがゆえに、筆先の弾力を利用できなくなる。力みが必要になってくる。書く内容よりも書くことそのものに気がとられるようになる。かっこがよいと初めのころはよく臨書していたが、今はこんなところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月26日

 

 

嵐山で撮影

 

ここの蓮の花は去年から注目している。今日は面白い葉っぱがあった。

iphoneのカメラで撮影。このようなところであれば持ち運びもお手軽なので使えるのではないだろうか。

ただし、

        昨年に撮影。Nikon一眼レフ望遠レンズ使用

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月25日

 

 

白氏詩巻(藤原行成)を訳してみた。

 

感想は訳のとおりだが、「これらは」というところは直したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月24日

 

 

小倉百人一首24番

 

菅家:菅原道真の尊称

幣(ぬさ):神様に祈るときに使う。棒状のものに紙・麻などを切り折りて取付け垂らしたもの。幣は麻を意味する。

手向山(たむけやま):神様が祭られている山

まにま:従・随・遵・順うさま。しがたうさま

 

神様なみに慕われている巨大な菅原道真公が、

紅葉を幣にして、祈りをささげているように思われ、いまもお守りいただいているように感じられる。

小倉百人一首は、遣唐使の廃止については大きな事として扱われている。菅原道真は、遣唐使を廃止に導き、これを機に、文化が、唐風から、国風へと移る。

左遷されたのは、唐との貿易に潤っていた藤原家から恨みを買った面があるようだ。

ここから、藤原道長の登場までまだ少しあるものの、

いままさに、世の中では暑い暑いという人がほとんどであるが、なにか、空気感に秋が含まれていて、少しもの寂しい気になっている。

という具合でこの頃から藤原家の夏まっさかりが始まりつつある。

しかし、道長で頂点ということであるが、後に、近衛家となり、林千勝氏の史観で言えば、第2次世界大戦へと日本を巻き込んでゆく、なんともはやなぜこんなことまでしないといけないのかの近衛文麿へと続いていく。

しかし、長い目で見るとというのか少し考えてみると、欧米諸国によるアジアの植民地支配から、アジアを解放し自立を目指すという大東亜共栄圏構想が今実現されつつあることを思うと、わが知をはるかに超えているところではある。

肌の色など、とにかく差別はなくなりつつある。表立ってそのような態度はできなくなっていることからもそう思う。

さて、藤原道長は、書で有名な藤原行成と同年代だ。

ということで、臨書ではなくで、八月十五夜・・・・のくだりを書いてみた。

 

最近、書といえば、楷書に近い行書を書いている。

筆で書くことの良さが一番でてくる書き方と考えている。

中国では、漢字のピークは唐代だ。日本はというと良く唐代の漢字の形を保ったまま今にいたっているので、いまもピークということになる。

中国は簡単になりすぎ、台湾は書に向かないくらい画数が多すぎる。

ひらがなも楷書的な書き方がある。それと、楷書に近い行書を組合わせると、早く、読みやすい状態で、気分よく書くことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月9日

 

 

小倉百人一首より

 

昨日、小倉山に散策にいってみた。

山の上り口あたりから立ち入り禁止になっていた。理由は書いてなかった。?

・・

天皇がどのような生活をされているかということを本から知識としてしることができたので、小倉山に、もう少し、紅葉のままでという、貞信公のおもいが身にしみる。

しばらく散歩からも遠ざかっていた。梅雨の散歩、とくにお寺さんあたりはよい。

ということで、小倉山あたり、そして竜安寺へ散歩にいってみた。なにか、めぐまれた気持ちでいる。

手指が動きだしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月8日

 

 

小倉百人一首より

 

ないほどによいと思うものの

そうとしかしようがなくてしている

よく見てみればもみじの葉のような心が見える

 

 

事業化案件その1、ならずを思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月5日

 

 

小倉百人一首より

 

桜はただ咲いては散ってゆきますね

私も、ただ、それを眺め時を経ています

 

 

小野小町が、ため息を付きながら目の前でつぶやいているとしたらどうであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月5日

 

 

小倉百人一首の2首目

 

企業に入るとわかるが、自分の手を動かしてする仕事を下に見て、それから遠ざかることに優越感を持つ人がいる。

聞くところによると、労働は神様から与えられた罰とみる考え方の影響を受けているのか、戦後の教育の成果の一つなのだろう。

一方、天智天皇は、自ら農業をして夜露が入り込む苫の庵に寝泊りする。持統天皇は、真っ白になるまで洗い物をして気持ちよさそうに干しものをして、天武天皇をおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年7月5日

 

 

科学技術をしていた。新しく開発した技術を基に、事業を起こせないかと思い、1つ目のトライをしていた。

前回の記事を書いたのが3月5日なので、ちょうど4か月だ。あっという間というか、この間、時間が過ぎた感がない。ある意味幸せな時である。

トライが成ったのか成らなかったのかは、間もなくわかる。気持ちとしてはどちらでも可である。

 

さて、最近、おどろいことのひとつは、小倉百人一首である。

高校の時に習い、その後は、なにかの時に、記憶している句を思い出してみては、句が混合して出てきてしまい、これはなにであったかなどと調べてみる程度のおつきあいをしていた。

しかしながら、だれが歌っているのか、どういう方であったのか、歌った方の気持ちは、その時の社会情勢は、編纂者である藤原定家はなにを思い、この順番にしたのかなどをとおして解釈してゆくと、とても深い意味が現れるということを、

ねずさんの日本の心で読み解く百人一首 千年の時を超えて明かされる真実

    小名木善行著 彩雲出版

で教えていただいた。

日本がどのような国がらであったかなどなんとなく見えてくるような気がし、戦後の教育の仕方についても見えてくる。

このようなことを、子供の頃から知っていたらと思うと残念な気持ちがするが、とにかく知ることはできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年3月5日

 

 

筆をぬるま湯で洗うようにしてみると、一筆が復活した。

嘘のように、一筆で書くことができる。今朝はまだ余裕がある。線も最後まで鋭いままだ。一筆ができなくなって、2か月近くもがいていたのが嘘のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年2月2日

 

 

今日から、古典書法20年目である。19年目はたいぶ進んだ気がしている。今朝も、白恵波羅密田を書いたのだが、朝飯前に通すことができている。始めは2〜3時間、これが、墨を擦り、後かたずけまで、30〜40分程度である。特に急いでいるのではなく、良いかげんの速さを保ち書いている。

近頃は、筆の後始末の仕方を試している。これはひと筆で書けなくなっていることからのお試しだ。ひと筆は、いろいろとするべきことが整った上で、時をえないとできないということなのだろう。

ただ、まだ、この2本目の筆で試すことはある。

少し書いておくと、書法とは書き方のことである。古典書法とは、昔からある良き書き方という意味である。

カギとなるのは、筆を握りしめず、柔らかく保持することである。後は、19年目のところをご覧いただくと分かるとおり、日々の工夫の積み重ねで、書が変化してゆく。ただ、実際には、始めは書くところを見ながら習うということになるのだろう。

墨の擦り方が難しいと思っていた。が、近頃気づいたことは、使い終わった筆の後かたずけが、書くことができる書を決めていることである。

例えば、筆を柔らかく保持しながら、日々、筆の後かたずけの仕方を工夫するという感じで進めている。特に秘密というものはないと思っている。結局、気を維持して続けることだけが進む方法ということである。途中からであるが、これは、思ってもそのようにできるかどうか分からないことに気付いてからは、続けていることで起こることを楽しんでいる。

小さい文字を筆で書くことになるとは思わずの、19年目の結果がそれである。しかし、このおかげで、紙、硯、筆、そしてそれらの使い方などによる書の変化について、細かなところにも気付くことができる。