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大学

2007.5 研賜


 

 

 

                        大学経一章2007.05.04

 

 

 

大学は、、中国の古典「礼記」の中の一篇である。かっては銅像でお馴染みの二宮金治郎が薪を背負い読んでいたのがこの大学である。大学の本文は経一章にあり、その前後の章句序、伝首章そして伝の章は、後世の解釈文である。

 

 

 

 

 

以下、大学経一章の意訳。

 

大学の道は、明徳を明らかにすることで、人々を新たにし、至善に止することにある。

このためには、

「止することで、 定まり、
定まることで、  静まり、
静まることで、  安らぎ、
安らぐことで、  慮る。」

そして、

「物の本と末、事の終と始を知り、その先にすべきことと後にすべきことを知る。」

ことである。これが近道である。

天下において、古の明徳を明らかにするには、まず、国を治める。
国を治めるには、  まず、家をととのえる。
家をととのえるには、まず、身を修める。
身を修めるには、  まず、心を正しくする。
心を正しくするには、まず、思いを誠にする。
思いを誠にするには、まず、知に至る。

知識に至るにということは、物にいたることである。
物にいたると、  知が至る。
知が至ると、    思いが誠になる。
思いが誠になると、心が正しくなる。
心が正しくなると、身が修まる。
身が修まると、  家がととのう。
家がととのうと、 国が治まる。
国が治まると、  天下が平となる。

天子から庶人に至るまで、ひたすら皆、もって身を修め、本をなす。その本が乱れては、末が治まることはない。

厚くするところを薄くする、あるいは薄くするところを厚くすることをして、大学の道を成し遂げた人はいまだかっていない。