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九成宮醴泉銘

2007.1  研賜


 

今日は、2007年1月31日である。明日から、古典書法の6年目に入る。今日は、5年目の最後に日であるが、5年間の区切りとして、九成宮醴泉銘を通して、臨書することができた。ここ2週間程かけて臨書したものである。

筆の調子それに手指の感覚が日によって変化してしまい、同じ調子で書くことが難しかった。5年間の区切りとして残す。

 

 

 

九成宮醴泉銘は、貞観六年(632)、欧陽詢76歳のときの書丹である。欧陽詢(557−641)は、臨湘の人、享年85歳、初め隋の煬帝に、のちに唐の太宗に仕えた。

九成宮は、もとは隋の仁寿宮で、太宗が修築した避暑目的の離宮である。

太宗が、皇后とこの地を散策中に、偶然、湿り気のある処をみつけた。杖を突きさすと、鏡のように清らかで、醴(あまざけ)のように甘い水が湧き出して、泉となった。これを、醴泉と呼び、記念にこの碑を立てた。

欧陽詢は、象形性から離れた隋の墓誌銘の楷書を、さらに進んで、理知的な姿へと変えた。九成宮醴泉銘の楷書は「楷法の極則」とも言われている。

九成宮醴泉銘は、顔真卿の筆法、そして理解しがたいかもしれないが、王羲之の行書、平安時代のひらがなの筆法も含んでいる。書の基本であり、応用でもあり、古典書法そのものである。

古典書法は、夢幻のようだ。真実は墨跡にのみ現れる。拓本はその陰であり、見ようにより様々に姿を変える。人それぞれの九成宮醴泉銘が現れることになる。