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隷書(寒山詩)

2008.10 研賜


 

隷書は、楷書に近い線質であるが、草書に近い行書のスピードで書くことができる。感覚的にも、草書に近い行書だ。

隷書は、篆書と違って、筆の特性を感覚的に知り、筆と指先が共になって、線を表す。このあたりで、既に、無理のない筆法が確立されている。筆の弾力を利用し、自然に書くという点では、隷書が頂点だ。隷書は、秦あるいは前漢頃から見ることができる。今から2200年程前に、起こり始めている。

これに比べると、楷書は、難しく複雑なところへ入り込んだ感がある。指先の感覚としても、隷書から行書、あるいは草書へ、それから、楷書へたどり着くという感じがする。

時代を経ると、必ずしも、進歩する訳ではない。善きものを置き忘れてくる場合もある。

ところで寒山詩であるが、臨済宗のことしか知らないが、臨済宗では、バイブルのようなにあつかわれている。

隷書で、寒山詩の中から、詩を選んで、書いた。よく寒山詩の本には、寒山拾得図が掲載されている。この図の雰囲気と、筆者の書いた隷書の寒山詩は雰囲気が似ているような気がしてならない。

そんなこともあり、この書体は、寒山詩を書くのに好都合と見ている。書かれている内容はどうあれ、よく遊び、楽しんでいる。

 

(意訳)

高く高い峰のいただきにのぼり、四方を眺めるも、はるかかなたまで、なにもない、

一人座ることを、誰も知らない、

孤独な月が、冬のつめたい泉の中で、光る、

ただし、泉の中に月があるわけではなく、月は、もとより、青天にある、

この詩も、詩の中に禅があるわけではない。

 

 

2009.01.10 草書

丈夫莫守困無銭須経紀養得一(牝)牛

生得五犢子犢子又生兒積数無窮