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呻吟語(草書)

2009.12 研賜


呻吟(しんぎん)とは、病気で苦しみながら、うめく声である。論語のように有名ではないが、一部の人に、熱心に読み継がれてきた中国の古典に、呻吟語がある。

現在、取り組んでいる草書で、紹介してゆく。

  参考文献:呻吟語 呂新吾著 守屋洋編・訳 徳間書店

2009.01.31 前向きに

悔前莫如慎始

悔後莫如改図

徒悔無益也

 

 

(意訳)

後悔するなら、始めから慎重にすべきである。

後悔している暇があったら、すぐに改めるべきだ。

いたずらに、後悔しつづけるのは、無益である。

 

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.24 なにをしたいかを善く考える。

為悪惟恐人知為善惟恐人

這是一副甚心腸安得長進

 

 

 

(意訳)

悪をなして、人に知られることを恐れる。

善いことをして、人に知られないことを、恐れる。

知られる知られないというのは、どうでもよい。

ただ、心の中の問題だ。

そんなことを気にしているようでは、大きな進歩は望めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.19 忍と激

忍激二字是禍福関

 

(意訳)

ものに堪え忍んで隠せば、幸せが、せき止めていた水を流すように激しくすれば、わざわいがやってくる。

 

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2009.01.18 世の中で生きる

察言観色

度徳量力

此八字処世処人

一時少不得底

 

(意訳)

相手の、言葉を意味を吟味し、顔色で本音を観る。

自分の人徳と力を見極める。

世の中で、生きるために、少しも、欠いてはいけないものである。

 

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1/4に紹介した呻吟語に、

見ることができるところを見るのはやさしく、見えないところを見るのはむずかしい。

 

とあるように、これもまた、容易ではない。

せめて、見えるところは見る。あとは、心を整えておき、その事に、集中するということを、心がける。

 

 

 

2009.01..02  長所を伸ばしながら、短所を克服する。

修身以不護短

為第一長進

人能不護短

即長進日至

 

 

(意訳)

修身とは、まずは、長所を伸ばしながら、短所をそのままにしないことである。

人は、短所に逆らい、従わないようにするならば、長所も日ごとに伸びる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能不護短

 

 

2009.01.11 事事に心を留める

学者只事事留心一豪不肯 

苟且徳業之進也如流水矣

 

 

(意訳)

学者は、ただ、事ごとに集中することである。

そして、すこしも、いい加減なことをしない。

徳業が進むというのは、水の流れるごとしである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事事留心

 

 

 

2009.01.10 

真機真味要涵畜

休点破其妙無窮

不可言喩所以聖人無言

一犯口頬九年説不尽

又離披澆漓

無一些咀嚼処矣

 

(意訳)

物事の微妙な機微や味わいは、心のなかにうるおいとして蓄えておくものだ。

その妙はつきることがなく、言葉で説明することはできない。

聖人が無言でいる理由である。

いったん、誤って、口に出してしまえば、いくら説明しても、説明しつくせないし、せっかくの味わいも、広がり、薄って、したたり落ちるようにして、消え去る。

 

 

 

 

 

 

2009.01.09

深沈厚重是第一等資質

磊落豪雄是第二等資質

聡明才弁是第三等資質

 

 

 

(意訳)

厚みがあって、どっしりと、深い落ち着き、是が第一等、

気が大きく強い、是が第二等、

聡明で弁が立つ、是は第三等の資質である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.06 理 

 

得罪於法尚可逃避

得罪於理更没処存身

只我的心更放

不過我

是故君子畏理

甚於畏法

 

 

(意訳)

法において罪を犯したとしても、なお逃れることができる

しかし、理を外した場合は、身のおきどころを失う

自分の心が自分を許さないからだ。

このため君子は、法より理を外すことを、はなはだ、畏れる。

 

 

 

話は、変わるが、

ときどき、11世紀頃のひらがなの臨書をしているが、

不思議なことに、中国で、王羲子の名で、残そうとした物が、なにか、理解できそうな気がしてくる。そして、漢字とひらがながつながりつつある。

もちろん、手指の感覚の話である。

まもなく、古典書法を手習いしてから、7年が過ぎる。おそらく、草書が身につけば、筆者の書は、始まることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.04

呻吟語より一節を紹介する。

 

見前面之千里

不若見背後之一寸

故達観非難而

反観為難

見見非難而見不見為難

此挙世之所迷

智者之独覚也

 

(意訳)

前であれば千里先まで見ることができる。しかし、後ろは、一寸といっても、見ることができない。

故に、広く見渡すことは難しいことではないが、反対側を見ることは難しい。

見ることができるところを見るのはやさしく、見えないところを見るのはむずかしい。

これは、世の人の迷うところであるが、智者というのは、そのことを、独り、肝に徹している。

 

 

2008.12.28  天欲

あまり有名ではないが、熱心に読み継がれてきた中国の古典の一つ呻吟語を読んでいたところ、良い言葉を見つけた。

 

有天欲 有人欲 吟風弄月

傍花随柳 此天欲也 声色貸利 

此人欲也 天欲不可無 無則禅 

人欲不可有 有則穢 天欲則好底人欲

人欲即不好底天欲

 

(意訳)

欲には天のものと人のものがある。風と歌い、月と遊び、

花を傍らに、柳に随う、これは天の欲である。

名声、色、利子を貪るのは、人の欲である。

天の欲は持つべきであり、持たないならば、禅となってしまう。

一方、人の欲は、持つべきでない。持てば、穢れる。

天の欲は、人が持つべきものであり、

人の欲は、天の欲ではない。

 

ということで、休みの日になると、清滝の渓流沿いへ、散歩に行くが、これは、天の欲ということになり、書をする時間との兼ね合いであるが、思うに任せて、出かけても差し支えなさそうだ。