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日々雑感

   研賜

 

 

2010.12.29 呼吸

 

神道(しんとう)を、wikipediaで見てみたところ、なにか、古典書法と合い通ずるところがある。

「古来、日本人は・・・・「神道」という、人道よりももっと高度な、善悪を超えた、宇宙や地球の法則のようなもの、人類も含めた「物・事の在り方」「道(みち)」をその精神の中心に置き、大事に伝承し、・・・・・・」

という説明のところがそれである。

 

古典書法は、自然の摂理あるいは自然の意志みたいなものを、中鋒にこめる。

なぜ、神道の話になったかというと、神道では呼吸を重視しているという本を読んだことから始まって、呼吸に特に注目していた。

古典書法でも呼吸は大切である。というか、手の動きに応じて、自然と呼吸が伴う。

先生の先生は大きな声を出しながら呼吸をしていたと聞いている。もっと、なにか能動的な呼吸方法を含んでいると想像していた。

そして、坐禅でも呼吸を重視する。

最近気付いたのであるが、少し寒いところで、呼吸に注意を向けていると、呼吸で取り込んだ酸素で体を燃やして、命を営んでいることが実感できる。

少し前から、部屋も極力外気が流れるように、窓を開けることにしている。どちらかというと寒がりだったのが、嘘のようである。窓を開け始めたのは、寒いころからだ。寒い部屋で深く呼吸をしていると、体が温まってくるような感じがかすかにしたことからはじめた。

書であるが、呼吸の仕方で、線の質もずいぶんと変わる。

古典を臨書しながら、どのような呼吸法がよいのかを探っていた。気功の小周天は、書に応用して具合が良い。

書くことができる線質で、小周天も細かいところを自分なりに工夫して調整している。

書もそうであるが気功も呼吸とともに体の中での気を感じ、気を巡らせる。自然も、雨そして蒸気という形で水を巡らせる。そして、それと同時に天も気も巡らせる。

科学的でない・・・、いや、こういった人の感覚も含めて科学すると考えればよいのではなかろうか。気とかいう類のことは、日本人であれば、自然に近づいてゆけばおのずと感じることができるものであろう。

 

臨書 呼吸法の研究として

王羲之 安

 

 

2010.12.05 かんじ

 

ひらがなであるが、起筆、終筆の端部の形など、細部に気を向け漢字を書くように書くことで、漢字と親和させてみた。右のようなかんじとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.12.04

 

昨日、風が強かった。これで紅葉も葉をすっかり落としてしまっただろう。

前の日曜日、嵐山嵯峨野は、朝の9時頃でも相当の観光客が来ていたが、明日はだいぶと少ないと思われる。

写真を撮る人がそこかしこで見られた。筆者はというと、手帳をもって散策した。

こんなことを考えながら、

記憶より 記録に残る 写真かな

いろ葉にも 勝る人出も 色はの葉

 

 

 

 

 

 

2010.12.03  文机

 

坐禅をするようになってから、座ることに慣れてきた。最近、座って書をするようにしている。

今、文机を、作ってもらっているところだ。敷物、座り方、呼吸の仕方など細かくチューニングして、最後に、机の高さをmm単位まで、書に合うように決めていった。ある高さで、呼吸がしやすく、体も動きやすくなる。

机は、幅や奥行き、引き出しの寸法、両サイドのデザインなど、細部まで作る方と相談しながら決めていった。おおよそ形を決めたところで、使えそうな天板を見せていただいた。欅で、渦のような木目がいくつか入っていた。両端の裏側には、天板がそらないように、別な欅材を組み込んでいる。昔ながらの作り方だそうだ。上あるいは側面からみる限りは組み込んでいることがわからない。昔はこのように手の込んだことを必要なこととして当たり前に行っていたのであろう。

漆を塗っていただくことにしている。なにか、木工の歴史も含めて購入させていただく気分だ。古典木法という感じがする。多少手荒に使用したとしても、漆を塗り直せば、新品同様になるだろうし、とにかく楽しみである。

神聖な気持ちで書に取り組むことのパートナーとなってくれるのではないか考えている。

 

 

 

 

 

 

2010.11.03 日光浴

 

日曜日は休日と決めたはよいが、

することと言えば、お気に入りの場所にいって、ボーっとすることである。今日は日曜日ではないが、休日として、本当に久しぶりに、清滝の渓流を眺めてきた。

秋晴れで、さわやかに風が吹いていた。流れる水の波紋と光が反射しあって綺麗だ。

渓流の 光にそよぐ 秋の風

 

 

 

 

 

2010.11.02 なぜ今頃

 

このボタン、ん、一個、一個、微妙に形が違うではないか。丸いようですこし楕円がかっている。なにで削ったのか、それに、よく見ると、このアンゴラのカーディガンは、手編みだ。暖かいのと絵柄が気にいって、だいぶと前に購入したもので、使う頻度はさほどではないが、カシミアと違ってよくもってくれている。

なぜ今頃になってこんなことに気がつくのかわからないが、よく見れば見るほど、全体として熟練、絵柄と編み目にその土地・歴史を、そして手抜きのなさというよりも作っているときの楽しさと集中などが、心の中で膨張してくる。こういうものを選んでいたことに誇らしい気持ちになる。物作りとはこうありたい。

しかし、この類のものは、徐々に、見かけることが難しくなっている。

 

 

 

 

 

2010.10.17 休暇

 

 

広葉樹はなぜ葉を落とすのだろうか。

今日は休みということで、外へ出た。一歩、一歩という感じで牛歩する。

食べ物を探してということではないのだが向かった先は嵐山。

川沿いそれから小倉山でつれづれとした。

黄みがかり始めた紅葉のもと、ベンチに寝転んだり座ったりと、音もなく時が流れてゆく。

冬をむかえて終わるのか、また春がくるのかわからなにしても、今この場ではこころの中にも音がない。

この時期は猿もそうなのだろうか。

 

きを澄ませ 葉色を移す もみじかな

猿蓮華

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.10.16 休み

 

明日は、日曜日だ。少し前に、日曜日は休むことに決めた。

さて、休むのはどうしたらよいのだろう。

 

 

 

 

 

2010.10.16 革

 

今の日差しであれば、半日程度日光浴させると、色の白めの日本人のような肌色になる。

この状態あたりから、なるべくよごさないように大事に使うとよさそうだ。この生成りのヌメ革はカーフといって牛の赤ちゃんの革だ。人の皮膚と同じということがよくわかる。デリケートだ。あまり日光浴させると、かたく乾いてくる。ブラシもあまりあてないほうが、この革独特のやわらかで繊細な手触りを楽しむことができる。

日常使用するものをいくつか作り使っている。単にその形に切っただけというものもあるが、技術がないからそうしているのではなく、使用目的に合わせて考え抜いたうえでそのようにしてみた。

これ以上はないとても贅沢をしている気分である。

おそらく、かわったものを持っていると思われているのだろう。

 

 

 

 

 

 

2010.10.16

 

ニホンザルは、青森の方まで分布しているが、雪深くここまで寒いといろに猿がいるというのは珍しいというか、日本だけのことだそうだ。

京都近郊のさほど高くない山を、よく歩いていた時期があった。針葉樹が多く、案外に単調なところが多い。

日本では広葉樹は北の方に多いとのことであり、青森まで猿が分布しているのは自然の恵みが豊富な広葉樹があるためらしい。

そう言えば、嵐山にも猿がいる。岩田山がそうで、渡月橋近くから登る。10分いや15分程度かで山頂であり、猿がたくさんいる。岩田山も広葉樹で覆われている。今時分は、秋の実りで、猿もおいしいものを満喫しているところだ。

冬の寒さはこたえるが、今青森の猿もしあわせだろう。広葉樹の森は、四季折々、風情を変えるのも楽しい。

食べ物としてではないのだが、筆者も広葉樹は猿と同じで好きである。

しずかな日差し、秋風がすきま風よろしく部屋を吹き流れてゆく、なんとも心地がよい。

 

 

 

 

 

 

 

2010.10.09 革

 

 

久しぶりの更新となった。

最近、革にこっている。竹、木、石、布、金属についても、過去にこったことがあるので、これで一通りだと思うが自信はない。

まだ、ひと月程であるが、イタリア製の牛革に惹かれるものが、いくつかある。

自然の素材でなめした染色していないヌメ革が、楽しい。

水でもシミになるので注意を要する。ベビーオイルもシミになる。布でカラ拭きすのでも力を入れすぎると摩擦でそこだけ色合いが変化して汚れたような感じになってしまうなど、取り扱いが難しいが、ヌメ側は使う喜びみたいなものがある。

使いはじめに日光浴くさせてある程度、色を変えてから使い始めると汚れにくい言われているが、本当にそうなのかを試している。

今試しているものが2つある。一つはブラっシングで汚れたような感じの艶となってしまった。またこの革は日光浴させても肌色というよりは、黄色っぽい感じで変色するような色合いだ。

新品の状態、白っぽいところから、日光浴などさせずに、丁寧に使用してゆき、肌色を残した飴色に艶やかに変化してくれると、最高だなと思う。

革の産地、革のなめし方など、自分で追及してゆくのであれば興味が持続するとは思うが独学では限度がある。あるところで良い関係となってくれればそれにこしたことはない。

革のブックカバーを使って本を読んでみたが、丁寧に本を読むようになった。また、、ヌメ革を単に切って、モレスキンの手帳のカバーとしてみたが、アイデアを書きとめるための手帳となった。ブッテーロの黒い革で作られたカバーをかけたモレスキンの手帳はふと思い浮かんだ言葉を書き留める手帳となったなど、革のおかげで自分でも思ってもみなかった行動をするようになった。

持ち物が増えて、カバンを重くすることは本意でない。とにかく、せっかく興味をもったのだから、革と良い関係を築くことができればよいのだが・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.07.19 分かれ 

 

 

今日は、贈り物にするために、ひとつ書き物をした。

部屋を清掃して、静かな気持ちで、筆をとった。そして、書に合うように、印もひとつ作った。書くこと、印を作ること、そして印を押すことにしても、一度限りのこととして、なにごともないように過ぎていった。

やはり始まっているようだ。このような感じで取り組むことができるようになるかどうか、分からずに継続してきただけに、静かではあるが、深いところで、なんともいえないものがある。

そして、また別なところにあるかもしれない書に対しては、踏ん切りがつかないでいたが、もうそこに進むのではなく、潮時にしようと決心をした。

すべてに感謝をして、区切りとする。より善い縁となりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.07.04  まずは、やはり伊藤仁斎をしらべないと

 

 

韓国語と日本語では文法がほとんど同じである。ここで書いている文章もほとんど微妙なニュアンスを含めて韓国語に翻訳可能である。しかも、この翻訳は、一対一に言葉ひとつひとつを、違う発音の言葉に置き換えてゆく感じでよい。

そんなこともあって、当然、「気」を使用した言葉が、韓国語にもたくさんあると思い、昨日、先生に尋ねてみたが、「気」はそんなに使わないとのことである。

「え・・・・・・・」

これは、大嶋氏の日本人の世界観を手がかりにして考えると、朱子学と陽明学の違いかもしれない。

そう言えば、李朝時代、韓国では朱子学一辺倒であった。日本人は、朱子学よりも陽明学のほうが、感覚的にしっくりするとのことである。

ちなみに、最近、始めた書は、陽の気を多めにしている。

こういった書をしていると感じることは、人、ものを含みそして超越したところに存在するなにかの意思というかこころである。

そして、そのなにかのこころは、善い方法で行い続けているなかでのみ、しかもかすかに感じ、その理を行ない得るということだ。

たしかに、日本の書を見ていると、陽明学が人の心の理をすべてとしたこととの一致が感じられる。

韓国の焼き物そして焼き物に書かれた絵の一部からは、人の外にある超絶的な原理をすべてとする朱子学に傾倒したその心情に納得できるところがある。

筆者が見るところでは、基本的には日本の書、絵、焼き物は生きた気とは無関係のものである。韓国であれば、焼き物及びそれらに書かれた絵の一部に、生きた気とのなつながりを感じる。

これは、まずは人を超越したところにある理というか、意思というかこころというのかの存在を感じるかどうかの違いであるような気がする。

 

 

書の拡大 : 初始

 

 

 

 

2010.07.03 八百万の神

 

 

鉄、朝鮮半島の陶器、清滝渓流、竹、書などが好きである、また、神社の近くを通るときは、立ち寄って、手を合わせることにしているし、早起きできたときは、ただ坐ることにしている。陰陽は書のおかげで身体感覚になっており、ときどき易で占うこともある。

特には、朝鮮半島の焼き物の形の微妙なところに生きた気をみてしまうことについて、こういった感覚が、なにに由来しているのかが、気になっている。

言葉から、朝鮮半島との、かっての深いつながりがあったことは納得できたが、この朝鮮半島とのつながりに関しては、ずいぶん、いろいろな人が研究をしていることが分かった。一般的には、とんでも学問として認識されているのであろうが、大筋では、我が身体感覚としても、違和感がない。数日前から、鹿島曻氏の日本ユダヤ王朝の謎 天皇家の真相という本を読んでいるが、鉄、神道とのつながりも、手がかりがありそうだ。

大嶋氏の日本人の世界観を見たところでは、身体感覚となっている陰陽など、これは、江戸期あたりの陽明学と共通点がありそうだ。伊藤仁斎など、調べてみる。

なにかこのごろ面白い。身体感覚あるいはなにか気になることが先にあって、それを調べるというパターンになっている。どこかで見たり聞いたものが、浮かび上がってくるということもあるのだろうが、それよりも概ねDNAに記録されている感じがする。

八百万の神が住む日本に生まれ、幸せである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.06.27 技術

 

 

古代哲学研究 2010

プラフト・アナロジー序説

プラトン「国家」第一巻と「ゴルギアス」における技術と価値の問題について 岩田直也氏

(京都大学文学部西洋古代哲学研究室内古代哲学会の研究誌)

を読む機会を得た。

氏の目的とするところは、徳と類比されるものとして、プラトンが考える技術とはどのようなものであったのかを明らかにしようとしている。

筆者は技術者であり、古典書法もいわゆる技術をふくんでいることから、興味深く読むことができた。

この論文に触発された結果として、希望を含めて、筆者は、

真の技術は、より善いものを目指して築くものであり、徳、真実などを内在してなる。それゆえ、技術を利用してなにか目的をかなえる人はもちろんのこと、技術を使ってなにかを作る人、それから技術によって作られたものに接する人に対しても善い影響を与える。

と信じることにする。

 

古典書法からの類推で言えば、それがそういった技術であると感じることができることがその人の運である。また、技術を使う人になる場合は、存在を信じで、その技術に近づくための方法を継続して実践する以外に方法がない。

 

  書の拡大 : 初始

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.06.22 初始

 

 

「初」とは、神衣・祭衣を裁(た)つ意。まずはじめに、布帛(織物)を裁ち、合わせて衣とする。「ことのはじめ」としての儀礼的な意味を背景に持つ。

「始」は、ム(すき)を、祝禱を収める口(いれもの)の前に置く形、女は、子を生む儀礼との相関を示す。農耕の開始にあたってすきを清める儀礼があり、それがまた生子儀礼としても用いられる。

(白川静 字通より)

初始(しょし)、始初(ししょ)は、共に、はじめを意味する。

書体は、骨と肉と皮を備えるべし。しっかりした骨格に、しなやかな筋肉、そして綺麗な肌を持つように心がけるようにと教えていただいた。楷書はその心がけのわかりやすい実践である。

それならば、初始として掲載したこの書体はなにかというと、こころがけは守った上で、衣をまとったつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

楷書

 

 

2010.06.20 初始

 

 

久しぶりに、「初始」としてページを追加した。

古典書法に取り組む少し前、なにかを求めて懸命にひとりで書に取り組んでいたことを思い出す。

臨書としう方法で、古典書法に必要なものと、気になるものを、指先に取り込んできた。清滝の渓流沿いも、またずいぶんと散歩をしてきた。

経てきたものが指先から、自然に現れることを楽しみながら、「根性」と書いてみた。

父親に言わせれば、これがないとこんな歳になって生きていけないらしい。辞書でその意味を確認してみると、なかなか新鮮で含蓄のある言葉である。掲載したものとはまた感じが違う書体ではあるが、書を父の日のプレゼントとした。

 

 

 

 

2010.06.20 オルドスの芸術

 

書で言えば、なんとなく心惹かれるものを、点、点と調べていくと、思いもよらないところでつながるということがよくある。

 

朝鮮半島の焼き物、木工などの一部に、生きた気を感じるのも、書の中で感じる「点」と重なりあう。

結局は、筆で書いた線の微妙なところに生きた気を感じるのと同じところから来ているはずである。

最近、このような感性のルーツを、気にしている。

今日は、世界の至宝 東洋美術   ぎょうせい

という本を、見ていると、オルドスの芸術が目にとまった。これは、朝鮮半島の一部のものと、感性が似ているいうことで、ホームページで見ていくと、朝鮮半島の無文土器の文化と関連があることがわかった。

無文土器は、素朴で、単純な形の中に、井戸茶碗などと同じ種類の感性を感じる焼き物で、気になっている「点」の一つである。

書で言えば、金文の一部のものにもまた、オルドスの芸術や無文土器と同じ種類の感性を感じることができる。

右は、西周初期の金文であり、芸術としても評価が高いものであるが、臨書してみたところでは、楷書の筆意を感じる。書法としてとらえると、ここで、つまり、この時代に、一度、完成している。

金文臨書

金文

 

 

2010.06.06 千字文

 

 

千字文は臨書の手本としておなじみである。

日本書紀では、応神紀285年に百済の王仁博士が伝えたことになっている。

中国の南朝梁502-549年の武帝が、文章を作らせていて、書としては智永の真草千字文が有名である。

智永の書法は王羲之の系統であり、筆者も、王羲之の書として臨書によく用いている。

智永は、中国の、南朝最後の王朝で江南に存在した陳557-589年、それから随の時代にかけて活躍した僧である。

俗姓つまり本名は王氏で、王羲之の血筋である。

こうなると、筆者がよく知る範疇だ。

今日は、ここまでにするが、

調べてゆくと、おそらく、王仁博士の話の矛盾が現れ、

江南天目山付近、次には、百済つまり鶏龍山付近、そして京都愛宕山付近の話となる。

例えば、日本に残されている千字文の墨跡は、中鋒を多用しているにもかかわらず、毛先の一本一本がでているところがないような見受けられる。それでは、この書はどこから出てきたのかというところを探ってゆくと、これはここ、そうなると、これは、平安以降、・・くらいに、・・・で作られた可能性が高いと、筆者が見る限り、なってしまう。

 

ということになってしまう可能性もある。

中国と韓国と日本の文化のつながりその流れの方向の確認にはなるが・・・・

仏教そして国づくりに関しては、古典書法をたどってゆくと、教科書とは違うものがよく現れてくるが、ひふみ・・これからも意外なものが現れてくるのではないかと期待している。書と関連したところがあれば体感的に理解できるところがあるのだが。

 

 

智永千字文臨書

 

 

H22.05.25 DNA

 

 

先日書いた「ひふみ」に誤りがあったので、書き直した。

ところで、「ひふみ・・」はこれはなに語であろうかということで、気になっていたため、先日、「日本語の正体」倭(ヤマト)の大王は百済語で話す 金容雲著 三五館 という本が目にとまり、読んでみた。

ちょうど韓国語をならっていることもあり、興味深く読むことができた。

ひふみについてはやはりわからなかったが、筆者の仮説である中国の天目山と、韓国の鶏流山と、京都の愛宕山とが、繋がりそうである。

人もそうであるが、なにか重要なものが、天目山から鶏流山で熟成されて、京都にやってきたという感じである。

なんとなく気になるという感覚は、DNAの仕業なのだろうが、人類というか東洋の歴史がDNAとなって体を作り、そして、虫の知らせのようになにかどうも気になるという形で、それを教えてくれると考えると、壮大である。

書、あるいは昔の韓国の焼き物、木工に、縁を持ち続けているのも、そういったところが色濃いDNAを持っているためなのであろう。

ただし、それはそうとしても、陶磁器、木工の良いものをみて思うのであるが、筆者を魅了してやまないものは、昔の韓国のものにしかないのはなぜなのだろう。重要なものが、天目山から鶏龍山で熟成されて京都にやってきたにしては、熟練した手技で作為のない自然なものを作るということにおいては、韓国に、遠く及ぼない。勘で言えば、複雑で良い自然が韓国に多かったということかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

H22.04.13 

 

 

「すごーい、地面がピンクだ」近くを通った女子学生が声を上げていた。天神川沿いの桜はまだ四分程度花が残ってはいるが、チラホラと花びらが散り落として、葉をつけ始めているところだ。

寒い日が続いたため、桜の花も、例年に比べ10日ほど遅い。それから神社で見かけることができる楠木であるが、今、新葉をつけ、古い葉を盛んに落としている。

話はかわるが、毎日、20分程度であるが、坐るようにしている。吐く息を長くしつつ、呼吸の音に耳を済ませるようにして坐っている。

そういうこともあり、肌寒いときには、部屋の空気を、外気を努めて部屋の中に入れるようにしている。なぜかというと、呼吸を深くしているとお腹の当たりがあたたかくなる。

呼吸に気を向けていると、息というのは空気を取り込んで我が身を静かに燃やすこということがかすかに実感できる。寒いときには暖房よりも先に新鮮な空気が大切だ。

呼のときに、軽く下腹を圧するような感じにしていると、空気は、鳩尾当たりで、丹田の方へゆく「空気」と、指先の方へ流れる「気」となるような感がある。書は、空気が気となり紙の上に墨となって定着する。

4月のはじめ頃、本屋で、「神道の呼吸法 息長と禊祓 中川正光著」という本があることを知った。

そしてこの本で「いろはにほへと・・・」と同じように、「ひふみよいむなやこと・・・」という47文字を使った言葉があることを知った。「いろは」は仏教色が強いが、こちらは仏教以前の日の神の言葉だ。自分なりに言葉の意味を理解しようとしているが後半がどうにも意味をつかめない。勉強中の韓国語でもなさそうなので、もしかしたらモンゴル語を習えば手がかりがつかめるかもしれない。

日の神の言葉であり、いろはを陰の陰としたらひふみは陽の陽の言葉である。仕事上でしばらくいろはや呻吟をしていたが、禅にゆかりの坐ることでニューラルとなり、いまは生来もっているところに進むことができたような気がしている。

易で、この道を心置き無く進んだら良いものかどうか占ったところ、離為火で、火火の卦となった。火を取り扱うように慎重にする必要はあるが、生来のところをフルに発揮することができるとのことである。

よし、慎重にはするが、命を燃やすようにして進んでみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

H22.03.22 空海

 

仕事が忙しく余裕がなかったのとパソコンの調子が悪いのとで、しばらくぶりの更新となった。書の方は、続けていた。

平成22年2月2日から、古典書法9年目に突入している。

さて、昨日であるが、東寺で、空海の風信帖を見てきた。

2006年に上野の東京国立博物館で開催された「書の至宝展」で、この書を見ている。

このときは、朝なるべく早く入門し、この書へ直行して見た覚えがある。そうしても、すぐに人が集まってしまい、落ち着いて見ることができたのは、わずかの時間であったと記憶している。

しかし、昨日は、ゆっくりと見ることができた。また、来週も足を運ぶ予定だ。

ということで、久しぶりであるが、風信帖のはじめのところを、臨書してみた。これはやはり古典書法だ。

今、

東寺では、 春期特別公開宝物館  3月20日~5月25日を開催中で、

風信帖は

3月20日~4月4日及び4月23日~5月9日

のみの展示となっている。 

 

なんでも、この書は、東京国立博物館で保管されており、虫干しのために、毎年一度は展示?されている。東寺に戻ってくるのは5年に一度ということらしい。

東寺で今回展示されるのも、偶然町を歩いていて、この催しのチラシを目に留めたことによるが、年に一回は展示されているというのは初耳である。もしかしたら、年に一度虫干しされているの聞き間違いかもしれない。

それにしても、この書に興味を持つ人が、京都は特に多いようなイメージがあるが、昨日は弘法さんの日であるにもかかわらず人が少な過ぎる。ゆっくりと見ることができたのは良いが、京都は日本の文化の中心、あるいは中心になってほしいという願望があるため寒いものがあった。