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日々雑感 |
研賜 |
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20140721 大勢 |
一時、書の線の書き方として、押さえて引いて押さえてという簡単な方法がひとつの発見として、さかんに紹介されていた時期があった。 この方法では、古典的な書を真似できない場合が多く、日本の書はそのようなものなのかなとも考えていた。 ひらがなは通信教育で習っているが、中鋒をとることなどを見るにつけ、中国の独特なものなのかと思ってきたものがそうとも言えないことを今は理解できている。筆使いは見ていないが、ここで紹介している古典書法は中鋒を大事にするので本質として同じだ。 また、最近は一般公募の臨書展などもあり、古典を基本として書をすることが見直される流が大きくなりつつあり、良い方向に向かっているのではないだろうか。 一方、骨董品、特に茶碗に関してであるが、筆者から見ると、無理のある説が一般的な常識となっている。 長次郎の楽と桃山期の志野織部など美濃の茶碗の対比がそれである。 一般常識としては、 楽茶碗:茶を飲むという機能に徹したもの。作意の見えないもの 美濃の茶碗:ゆがんだもの、へうげもの。作意が強調されたもの。 筆者の見方は、 楽茶碗:口縁が内向しているため飲みにくい。茶を喫するという一番肝心なところが無視されているため不自然な作意を感じてしまう。 美濃の茶碗:茶を飲む器であるということを考え抜いて作られたもの。特に飲み口は飲みやすさを大事にしている。口縁を外側に反らす、内側を削る、あるいは少しすぼめるなど、1つあるいは複数の工夫がある。 形のゆがみも、水を手ですくって飲むような感じに自ずと誘導されるようになっているなど考えがある。歴史を踏まえた熟練の手わざを感じることができる。風流。 とまったく異なる。 骨董のことなのでどのように感じるかは人それぞれの問題という考えもできるが、桃山期の美濃の焼きものは文化の最高の到達点に思えるため、これを落とすような感想に対しては残念なものを感じている。文化的に進むにしても、桃山期の焼き物を踏まえたいものだ。
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和訳 2014.05.03 |
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寒山子を書きながら訳している。 紙の大きさは、縦約12cmだ。 先日知り合うことができた筆は、この程度の大きさの文字を書くのに適している。今回の休暇は、実践兼筆遊び。
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和訳 2014.04.13 |
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NHKラジオテキスト 漢詩をよむ 中国のこころのうた(上) 2014年4月 → 9月 で紹介されていた漢詩の和訳をしてみた。
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趣味のパソコン とほほ 2014.02.11 |
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おぼろなイメージを具体化するために、ホームページの作成方法について、調べている。 これまでは、ワープロのように使えるソフトでこと足りてきたが、新たなことをする場合は、新しい技術が気になる。 本屋に行き、ホームページ作成の本を調べたが、ワープロのように使えるソフトを使えば、知らなくてもよいことを説明している本が多い。 例えば、 「あ」の色をこのように赤にするとした場合、このページのどこにある「あ」と指定し、その文字色を赤にしなさいと指示する必要があり、指示書(ソフト)の書き方をこうですよ という具合だ。 しかし、こんなところから勉強していたら、おぼろなイメージが消えてしまう。 昔からだ。パソコン関係は、必要な情報は、一行だが、そのために、分厚い本を購入することが多かった。 その内、探していた技術に当たるかもしれない。1週間ほど、辛抱してみる。もちろん、何を探しているか、今、自分自身も分かっていない。
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.趣味のパソコン |
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久しぶりに、フォントを使って雑感する。 昨日今日と、パソコンを長時間使用しホームページを作成する良いソフトを探していた。画像の一部にリンクを貼りたい。
デジタルの世界で、アナログ的に暮らしてみる。 右は、試験中。
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画像の一部にリンク
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