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日々雑感

秋雲

 

 

  

  2017.01.29 なにか分かったような気がする

 
 

 

ついでに、古池の句を、この筆でかいてみた。

 

・・・・・

なにか、わかったところがある。

なぜ、この句を書くのか。

そして、書にせよ、カメラにせよ、着物にせよ、散歩にせよ、行動パターンが同じであることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.01.29  さて、まもなく16年目に

 
 

まもなく16年目に入る。

15年目は、楷書を書くことができる筆がいくつか手に入った。

集めただけで、あまり使用していない。とりあえず、使うことにする。

今日は、そのうちの1つで遊んでみた。

 

・・・

思ったよりも小さな文字に適している。半紙2等分を変更し半紙を4等分して空海の言葉を書いてみた。

1つ目は楷書。升目がない状態で書いている。ので露になってしまうワタシの実力。

2つ目は行書。少し自運が入った。

3つ目が自運。

自運には、よく散歩をする場所の雰囲気が現れないかと期待しているが、なんというか飛び跳ね庭駆け回る。しかし、それよりも、自運には遊ばれているような気がしてならない。

そうそう肝心の筆の感想であるが、この筆とはお友だちになれそうだ。

 

書いた空海の言葉の意味は、

 

一身 ひとり生きて没する。

電影のように、これ、無常

雁やつばめが、また来ては去ってゆく

紅の桃の花は落ち、芳香が漂っていたのは昔のことだ

 

 

 

 

楷書

 

 

 

 

 

 

行書+少し自運

 

 

 

 

 

自運

 

この書になると詩の意味が変わる。そう、桃の花は来年もまた咲く、ひとりもまた・・・

 

 

 

 

 

  

  2017.01.16 

 
 

ずっと、楷書を書くことができる筆を探していた。昨年の9月頃に、まず小筆を見つけた。そこからである。

楷書に使えそうで、しかも書いて楽しいものがある筆を探しだした。結構な本数の筆が、短い間にあつまった。そして、冬の休暇の間に、とっかえひっかえしつつ使用してみた。ついでに、羊毛の筆など時に使用してきたものも使ってみた。

書いておもうのだが、ずいぶん使い勝手が違う。遅くしか書けないもの、もちろん、細微・・とかいう羊毛の筆は楷書がとても書きにくい。

ただし、古池の句を書いたものを見ると、どの筆を使っても、似たような雰囲気で書きあがるではないか。ただし、

古池の句は、ア・ウンのようには笑わないような気がするものの、なにかしたがっているような気がする。松尾芭蕉はもう少し続けてみる。

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.01.15 京都は今日は大雪

 
 

 

朝起きたら、雪がかなり降り積もっていた。

こうなるとワタシは犬タイプである。ソワソワするので、とにかく朝から嵐山へ向かった。

今日に写した写真を紹介する。

いままでなにげなく設定していたカメラのズーム位置にくらべ、5cm.F3.5のレンズは、視野角が狭い。まずは、同じようなところを写してみているが、どうも具合がよくない。今は、このレンズにあう場所を探している感じで使用している。

撮って選択して、明暗あるいはコントラストなどを調整したものをこのように並べて見てみるとなにか時代がかっている。

嵐山はよく訪れるのだが、景色からはこんなには時代がかっていないと言われつつも、なにか特別にポーズしてくれているような気がしないでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡月橋

 

 

 

嵐山 野々宮神社近く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嵐山 竹

 

 

 

 

トロッコ嵯峨駅近くの池

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祇王寺庭

 

 

 

 

知恩院山門

京都の東側は、和服を着るようになってよく訪れだした。嵐山嵯峨野を散策し、四条烏丸に移動し、そこから町中を散策し、祇園の白川通り、知恩院、丸山公園、祇園そして四条烏丸へ戻る途中のカフェで、チーズをさかなにワインを1グラス、食事そしてコーヒーというのが最近のお気にいりのコースだ。コーヒーを飲み終わるころには、なにかいち日終わった気分になっている。この後もそれなりに時間があるので、そのあとはずっと余裕でくつろいでいるような感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丸山公園

アルゼンチンから来られたとのこと、お母さんが写真をとっていたので、お二人に頼み撮らさせていただいた。

スミマセンガ、アマリニモ タノシイカンジガスルノデ ケイサイシテシマッテイマス

 

 

 

 

 

  

  2017.01.14 写真

 
 

 

小さな映画館で、アメリカ人の写真家、数名のドキュメンタリを見て影響されて、写真に興味がで、ここひと月程の間、80年前のLEICAを入手したり、フィルムをカメラを引っ張り出してきて使ってみたりしていた。

露出計のない古いカメラを使ってみて思うのだが、露出も距離もカンで、パッパッと設定して、バシャバシャととることができたら楽しそうであるが、筆と同じように使いこなすことができるようになるまでそうとうシャータを押す必要がある。ちょっとそこまではということで、単焦点の5cmF3.5の古いレンズを、デジカメに取り付けて、使用している。紙や墨の渋い質感をよく表してくれるような気がする。

まあ、カメラに関しては、この範囲でとりあえずは良いと思う。1つ使える道具がやってきてくれた感じだ。

写真をとることに少し興味がでて思うのだが、天才荒木経惟氏は、写真の前に氏ご自身にとても魅力がある。飼い猫ちゃんと相思相愛になるのもわかるような気がする。

 

 

 

 

 

 

  

  2017.01.14 どこでもア・ウン

 
 

陶磁器というのか木工もそうであるが、やはり古い韓国のものが見て使って落ち着くものがある。

茶碗で言えば、ほとんどこれを使用している。お湯をまろやかにしてくれるのが得難い特徴だ。

いろいろと使ってみた上で、やはりこれに落ち着いているので、なんと言えばよいのかよくわからないが、余裕があるというのはこういう状態をいうのであろう。これで満ち足りている

せっかくだから、なんとなくヨユウかミチタリクンも見てみたいものだ。

しかし、あまり紹介していないが、最近は、古池やの句も、ア・ウンと同じくらいお気にいりだ。

 

 

 

 

 

セイソウニとお友達の「どこでもア・ウン」である。なんとなく、ア・ウンには、笑われているような気がする。

 

 

 

 

  

  2017.01.13

 
 

 

相変わらず、細微光鋒は、くたっとしている。これがなぜ高級品として支持されているのかということを思いながら、ときに、引っ張り出してきては使用してきた。

今思うに、使い方の1つとしては、強引に筆法に従って書くこと。書が楽しそうにしてくれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.01.10

 

 

写真であるが、撮ったものを見ていて、繰り返し、幾何的なもの、直線的なものの組み合わせに面白さを感じていることに気づいた。それと、ほぼ白黒に空の青も気にいった。

 

また、今少しまえまでそうしていたのだが、柔らかい羊毛の筆で遊んでいたところ、面白い筆の使いかたを見つけた。

これはなんというのか、とにかく行為が少し先にあって、納得が少し遅れてやってくるような感じ・・いや、なにかを感じて行為をしているような、なにかとにかく行為をして、後でそれをおもしろがっているような・・・まあ、そんなところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿吽

 

         

         

 

 

 

  

  2017.01.09

 
 

 

雅号であるが、しばらく前から、「墨雲」を遊印として使用していた。が、自分で彫ったものであるものの調べてみると、墨ではなく秋という文字であった。子供のころから、初秋の空が好きである。なんとなく天の贈り物という感じがしたので、これを雅号とし、研賜は遊印として使用することにした。

今日も、金澤翔子さんの書を見てきた。DVDで書いているところも再度見ることができた。筆を柔らかくもって側筆で静かに書いている。変化に富んだ線と、偏りのない配置。なによりも、お母さんのコメントもあって、心を動かされる。

居心地がよいので、会場をゆっくりとぐるぐる回りながらしばらく見ていた。、

 

 

 

 

 

 

  

  2017.01..08  書の近況ほか

 
 

 

今朝、書いた書を紹介する。 

それから、最近、また写真を撮るようになっているので、昨日写した写真を紹介する。 写真

昨日は、3連休の第1日目である。

祇園、一力亭前が印象的。紹介の写真は午後2時ころ。12時前ころは、もう少し人が少なかったが、カメラを持った人が整列した状態で、舞子さんが一力亭から出てくるのを待ち構えていた。ある団体かと思ったが、交通整理していた方にたずねたところでは、1つの団体ということではなく集まってこうなっていると話をしていた。

印象としては、カメラマンは70歳前後以上の方が多い。なんとなく同じような服装をしている。これまで、ここまで、カメラマンが多いのを見たことがないのでなにか、流行りになりつつあるのだろうかと思ったが、

今朝の新聞に、4花街で新年を祝う始業式、祇園甲部の式典には110名の芸舞妓さんが出席とでていた。

 

 

 

 

 

 

 

  

  2017.01..07  金澤翔子さんの書

 
 

 

昨日、金澤翔子さんの書を、見てきた。京都の大丸百貨店で現在、展覧会が開催されている。

 

なんというのか、こころふるえるものがあった。会場で、ビデオを流していた。大きな筆を使われていたのであるが、筆の使い方がここでいうところの古典書法のようだ。

そして心根がそのまま現れるお手本のような方である。

・・・・なんというのか日本人的な=自然の=・・である神を身近に感じる。

 

 

 

 

 

  

  2017.01.04  15年目総括

 
 

 

古典書法15年目がまもなく終わる。始めたのは、偶然であるが2002年2月2日だ。

今回は、思いがけず進んだところがおおい。

 

その1は、筆をいろいろと見つけることができた。楷書、行書を書くことができる手指にしっくりとくる筆=古典の臨書に向く筆をずっと探してきた。日常使用する小筆からやや大きな筆までいくつか手にはいった。

その2、これも筆で、普通に書くことができる=普段つかうことができる=書いていて心地よい=書いた書を反省せずにどちらかといえば楽しんでみることができるという筆を大小いくつか揃えることができた。

その3、これもここしばらく探していたのであるが、雅号をしゅううん=秋雲=あきのくもとした。

その4は、印刻。これは、書の雰囲気と同じような感じで彫ることができるようになっていることに気づいた。

その5は墨だ。今までは、中国の今の墨のあるものを使いつづけてきた。もっと良いものはないかと探していた。そしていくつか見つけることができた。日本製であるが、中国のものとして売られている。同じような形模様であるが、一品一品、質が異なる不思議な墨だ。少し前の鈴鹿の墨のようであるが、松煙ありの油煙ありのとバラエティに富んでいる。使ってみるまでなにか分からない。それでもいくつかは気に入って使用している。濃くさらりとしている。

その6 小筆のときに使用する使いやすい硯が手に入った。ちなみに若田硯だ。硯もやっかいだ。濃墨とできる使いやすいものがあるようでない。なにかとmade in 中国を品質の劣るものとみる風潮があるが、硯をみるかぎり、当てはまらない。作り易さを度外視し、ひたすら使いやすさ=実用性を追求した形としていてなおかつとても安い。さまざまなサイズを揃えている。これを日本で作ったら値段が1桁以上、高いものとなるような気がしないでもない。

若田硯はあまり多く書かない場合に使用している。

その7 紙もしかり。毛辺紙があまりにも高価になったため、違う紙をさがし、これも、これならと思われるものを見つけ、現在試している最中だ。小筆用としては、これがbestのような気がする。

 

そして、今回の正月であるが集まってくれた筆の質をよく確認することができた。この調子で、しばらくは般若心経あるいは気になる言葉を書いていようと思う。

 

 

 

 

 

  

  2016.09.25 書法

 
 

 

書法といっても、ここで言う古典書法をひとたび見ればたちどころに真似ができて、なにかが変わるわけではない。

探し出した文房四宝と共に、3歩進んで2歩下がる、時には3歩下がりながらどうにか進んむという感じだ。

ことに筆であるが、書法わかると共に筆がわかることもあり、常になにか満たされないものをいだきながら、さまよってきた感がある。

なんのためにと言われても、そういうことではなく、ただ書道は続けることにしているためしっくりとくるまで探すことになる。

最近、小筆であるが、これと思われるものを手にできている。陰と陽の両方の書法に適し、しかもそれから少し離れることができる。

九成宮泉銘と集王聖教序をとりて、麻糸よろしく、まずは小筆で陽の書法を隠し陰の書法をうんでみる。

しかしおもしろいことに漢字を使うことがすくなくなるきざしがある。

 

 

 

 

 

  

  2016.09.25 近況

 
 

最近、気づいたことがある。

着物、それも渋い麻の着物には日本人の心の奥底をゆりうごかすなにか不思議な力がある。

いまいまの布はさほどではないが、古くてよいものは、かくのごとしだ。

多くの場合、ついでに人まで大事に扱っていただけることになる。

麻布は縄文の昔からあり、今でも、神事では大麻布が使われている。なにか神聖なものを感じているような気がする。

まるで井戸水みたいなもので、身にまとうと、寒いときは、暖かくはないが寒くもない、暑いときは、涼しいとは言わないが熱がこもらない。

ものの本によれば、昔ながらの方法で麻布をおろうとすると、気が遠くなるような手間隙がかかるようだ。

古裂として市場にでているので、そういった昔ながらの麻布も身にまとうことができる。

 

 

以下、参考。

麻のこと。なんとも布にするのに気が遠くなりそうだ

麻を調べてみると、日本では縄文の頃より用いられてきた。木綿が渡来し普及するのは江戸時代、化学繊維の発明は近代だ。天皇を中心とする貴族や高級武士が絹も使用したが、かっては普通に使用されていたことになる。

麻には、主に三種類あり、苧麻(イラクサ科)、大麻(クワ科)そして亜麻(アマ科)だ。苧麻及び大麻は、中国、韓国、日本などの東洋圏で、亜麻はヨーロッパ、エジプトなどで用いられてきた。最近、日本で購入できる麻の衣類は多くが亜麻である。

麻は、楮、藤など他の自然繊維と違い、灰汁煮き(あくだき)といって、強いアルカリ性の液で煮ることなく細い繊維を取り出すことができることが特徴だ。

麻の場合は茎の部分を糸にするのだが、昔ながらの手作業によれば、刈り取った麻は、清水につけ、清らかな水を吸わせてから、茎の一箇所に切れ目を入れて、そこかっら指で裂き、再び清水に浸しておく。次に刃物で外皮を剥ぎ透明な中皮を取り出し、束にして陰干しする。

次に中皮を10分間ほど煮る。そして績む(うむ)といわれる工程だ。出来上った繊維の一本を取り出し、例えば指で3本に裂く、1本の繊維は髪の毛よりも細くなるがこれら裂いた繊維を指先で撚ってゆく。草の茎なので長さは有限だ。そこでつなぐわけだが、つなぐのも1本1本撚り合わせておこなう。たて糸の場合は、つなぎ目をひと結びして撚りあわせてゆく。1反=約12m=着物一枚分の糸を績むには例えば3ヶ月かかるとのことだ。

日本の自然布 別冊太陽 2004年初版発行に詳しいが、(定価2300円だが、半年ほど前に古本で1万円程度で購入。)

この後も、撚り、かせ上げ、かせ張り、精錬・糸晒し、染め、糊付け、織り、足踏み洗いと、人力で布にしてゆく。

 

さて、麻布を織る

地機と言われる一昔前に開発された織機は、腰で縦糸を張りながら、横糸を織り込んでいくので織上がりが柔らかく、緩みが少ないという。その代わり、糸の状態や天候など状況に応じて張り具合を変えながら織るとのこと。腰を使って全身で織る必要があり、横糸を一本ずつで織り進む、1日数cm織れれば上々、今ではこれを受け継ぐ人はほとんど見れないとのことだ。

また、糸を績むのは女性で、農作業と家事をした上で黙々とこなしてきたそうだ。