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紙一重(米ふつ)

乙酉初冬   研賜


米ふつの書は,形を似せることは困難である。米ふつ自身も同じ形で書くことはできないと思われる。用筆の速度が相当に速い。ただし、この書は、古典書法であり、中鋒で書かれている。

臨書として掲載した書は、用筆の速度をかなり上げて書いている。この場合、最大の意識の置き所は中鋒を保つことである。ここまで、速度を上げると、ほとんど物を考えることができない。

しかし、自運の書も下に掲載しているが、実は、臨書と同じ筆で書いている。自運の方も、通常よりは用筆の速度を相当上げて書いている。

臨書と自運では見た目は大きく異なるが、実は、紙一重の違いである。起筆と終筆において多少間を取るかどうかである。

これだけで、現れる形が大きく異なる。

そして、自運の方は書いていて、気持ちが落ち着いてくるが、今回のこの臨書の方は、感情をそのままぶつける感じで、気持ちが落ち着くどころか、頭の中が冷静になる暇もない。顔真卿のえい州帖は、気持ちは発散されるが、頭の中は逆に冷静になる感じがあった。

2005.10.12

 

 

 

  臨書

 

自運 唐詩より

米ふつ「多景楼詩冊」より