隷書(れいしょ)

 

張遷碑 186年

乙瑛碑 153年 

曹全碑 185年

西狭頌 171年

張景碑 159年

陽嘉殘碑  133年

孔廟置守廟百石卒史碑 153年

司隷校尉楊孟文石門頌 148年

魯相韓勅造孔廟禮器碑 156年

泰山都尉孔宙碑 164年

北海相景君碑 143年

 筆で書きやすい書体。形状は楷書に近いが、行書の感覚で気楽に書き進むことができる。戦国期より隷書の筆法が見られる。竹簡に書くことによって発達した感覚を元に発達した筆法であろう。楚簡では現に隷書の波たくに近い線が見える。百花撩乱のように咲き誇った隷書体とこれがいまの楷書の形に近づいてゆくメカニズムに興味がある。絹あるいは紙に書かれたものでよいものがあれば臨書は楽である。碑は刻意が混在するため難しものがある。ここはあまり考えずに行書のようにどんどん進んでみる。まずは、百花繚乱の隷書へ。 これは、比較的字形見やすいものの中から、直感的によいと感じるものを選んでいった結果である。年代をその後に調べると、特に、魏の曹操(150 - 220年)の生きた頃のものがすばらしい。皮膚感覚的な楷書の筆法はこのときにここに一つ、あそこに別な一つと咲いている。しかも水が高いところから低いところへ流れるような自然さに満ちあふれている。今の楷書にこの時代の皮膚感覚をプラスさせたものが書の善き最先端であろう。曹操=蒼天航路のイメージだ。イメージにぴったりだ。曹操は書をしたのであろうか。肉筆が残っていれば言うことがない。臨書を通して会話可能である。時の流れ立場そうではなく皮膚感覚で会話をするのみ。妨げになるところはなにもない。心の中にダイレクトに飛び込んでくるものがある。それが臨書である。2012.01.08


さて、今日は朝から昨夜ピックアップしておいた隷書の臨書に取り組んだ。

そして指先の感覚が乙碑曹(153)そして曹全碑(185年)でジャストミートした。乙瑛碑には隷法のたどり着いたところを感じた。曹全碑は、終筆が外に見えないところで楷書の筆法を使用すると書きやすい。この書には歴史、熟練いや老練、自由、創造など感じることができる。

ちなみに筆者は普段ほとんど楷書の練習をしている。が、隷書は書きやすい。中鋒を基本とする他は隷書は楷書の筆法を共通するところがない。いわばコインの裏表の関係だ。

 楚帛書のように篆書にも楷法が見られた。そして曹全碑だ。楷法は唐の時代に確立されたというよりも歴史の中で連綿と続いていたことになる。以下臨書。 2012.01.09