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九成宮醴泉銘

2008.5  研賜


九成宮醴泉銘の書き出しのところの臨書であるが、久しぶりに、書を掲載する。気が進まないところもあるが、こうでもしないと、文章だけが進んでしまう。反省の意味を込めている。

約1年4ヶ月前に書いた、5年目「九成宮醴泉銘」と比べると、日々雑感で書いている「文」と、「書」の進み具合の差が現れ、

さらに、筆者の書いたものを臨書すれば実感が伴うことになる。臨書とはそういうものである。

下に、筆者のモニターでは実寸大に見える状態で、掲載する。

 

 

 

 

 

 

九成宮醴泉銘は、貞観六年(632)、欧陽詢76歳のときの書である。欧陽詢(557−641)は、臨湘の人、享年85歳、初め隋の煬帝に、のちに唐の太宗に仕えた。

九成宮は、もとは隋の仁寿宮で、太宗が修築した避暑目的の離宮である。

太宗が、皇后とこの地を散策中に、偶然、湿り気のある処をみつけ、杖を突きさすと、鏡のように清らかで、醴(あまざけ)のように甘い水が湧き出して、泉となった。これを、醴泉と呼び、記念にこの碑を立てた。

九成宮醴泉銘は「楷法の極則」と言われる。言わば、書法の行き着いたところということになる。

 

さて、話はかわるが、書の本質は、水遊びである。森の神ともつながってゆく。水を祭る必要もある。

そう言えば、清滝には、甘い湧き水がある。飲み水には、別なところに湧いている「たっている」と評判の堅めの水がおいしい。飲み比べると、堅めの方は、確かにおいしい。そして、冷たく感じる。

九成宮醴泉銘の故事からすれば、甘い方の水の方を書に使用すると具合が良いかもしれない。掲載した書は堅い方の水を使用している。

清滝は、、かっては硯の産地でもある。神護寺も近い。空海も、この地の水と硯を書に使用していたはずである。

2008.05.04