平家納経(へいけのうきょう)
平家納経(へいけのうきょう)
祇王寺は秋そして冬雪が降った時によく訪れる。平清盛と縁のあった祇王と仏御前が尼となり暮らしたと言われている。
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秋の祇王寺
秋の祇王寺
注文していた「国宝平安納経全三十三巻の美と謎」小松茂美著が届いた。厳島神社に法華経などの仏の教えに、供養の由来を述べた清盛自筆の「願文」を添えて奉納したものとのこと。神社になぜ仏の教えを奉納したのかなども解説しておられる。おもしろそうだ。
秋の祇王寺
平清盛 平安納経
平清盛 平安納経臨書
見ただけでは見落とすところが多くなるため、軽くではあるが臨書をしてみた。
古典書法とは言え、小野道風に比べると筆先のききを利用するところ多し。横画の終筆の筆使いがところどころわからない。
平清盛は日本の誰か、王羲之、小野道風などの影響を受けている。臨書による練習量が豊富だ。仏への祈りを感じる。2012.01.10
思ったよりも早く。平安納経と空海との関係が分かった。
平安納経は厳島神社に奉納されたものだ。
世界遺産ミステリー 歴史の闇に埋もれた衝撃の真実 双葉社
の中で厳島神社を紹介している。本殿と鳥居が海上に建てられた不思議な神社であるが、それよりも厳島の弥山(みせん)は空海の修業の場であったそうだ。空海に関しては、弥山に不思議な伝説が残り、現在も続いている。 そんなことも、知らなかったのかといわれそうだ。全国に残る数々の空海伝説の1つというよりも書が関係しているため厳島が空海の本命であろう。 2012.01.14
八百万の神
平家納経は仏事と神社の混合である。筆者は古典書法に取り組んでから、渓流沿いの散歩が体と心にしっくりくることに気づき自然と足が向かう。清掃した空間、清い水の流れ、大木、巨石にこころ引かれる。まずは根底に清い空間、水そして水が育むもの、悠久な時の流れがあり、その上に、神社、仏教、道教、儒教などなどが入り込んだようなところが実感としてある宗教感覚だ。霊を科学的にあるのかないのかと問われると問われること自体になんとも言いようのない違和感を感じるとともに、あるとも思わないが先祖の霊は身近だ。中国では書はまずは天への祈りあるいは天へお伺いをたてるためのものであったようだ。筆者はどうかと改めて考えてみると渓流沿いの散歩と同じようなものとしてとらえ、そのように取り組んでいる。陰陽を書法に中に感じ意図的に使い分けて書くこともできるが、陰陽は月と太陽の存在のように自然の摂理の内にあるもので中国の思想というよりも普遍的なものであろう。
生のままの自然よりも、人が弱く共存しているところが好きである。そして水が豊富で草木の多様な日本に生まれ育ったことがしみじみと嬉しい。2012.01.15
雪の清滝川
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