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茶碗 |
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9C、10C頃 |
李朝初期16C中頃まで |
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朝鮮半島
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青磁茶椀
巫女 |
粉引茶碗
お姫様 |
井戸茶碗 王様 |
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9C、10C頃 |
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16C中過ぎから末頃 |
日本
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灰釉平椀
森の守り |
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志野茶碗 風流の人
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志野茶埦は、小野道風の書に似て、外国で発達した技法を和様化して使いこなしているように思える。この茶碗を手にとることが多い。
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1400前後 |
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朝鮮半島
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黒高麗茶埦
仏徒
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16C始め頃 |
16C末頃 |
日本
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瀬戸黒茶埦
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楽茶埦
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年代は一般的にいわれているもので記載。
粉引茶碗 |
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粉引茶碗は16世紀につくれらたもの。 この茶碗の場合、チョコレート色の陶土に白い化粧土は他の粉引茶碗と同じであるが、上の透明な釉薬が刷毛で複雑な調子で塗られていて、きらきら輝き美しい。 薄手、優美な曲線、えもいわれぬ白い肌など美徳が多い。筆者、理系でありそんなと思いながら何度も試し、他の茶碗とも比べたのであるが、いくら試しても、お湯をまろやかにしてしまう。したがって、お茶も一層おいしくなる。そんなばかなとはおもうのだが、そんなとおもいつつ、何度試しても、同じ。不思議。器美人とでも言っておこう。 井戸茶碗と同じように、外側はろくろ目を残し、内側はろくろ目の残りが少ない。高台が小さく、微妙な傾きと相まって、この茶碗も、なにかを祈る、祀るなどのために特別に作られたものに感ずる。 手触りが粉っぽい。
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井戸茶碗 |
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なにかを祀るために使用するものと感じることもあり、自然、特別なときにのみ使用する。この種のものを朝鮮半島の雑器と言う人もいるがその人の手にしたものが雑器であったということだろう。 ものの本によれば、白磁の一種で、15、16世紀頃のもの。1500年の半ばに祭器が白磁へと切り変わりつくられなくなった。 他の井戸茶碗と同じように、外側はろくろ目を残し、内側はろくろ目の残りが少ない。 ろくろ目と器の傾き、この類のものは、悠久の時と、広大な天地を、今ここに凝縮し心の奥底を揺り動かし、感謝の気持ちが自然と湧き出してくる。 人の手が作りしものであることを、どうにも実感できず。
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志野茶碗 |
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今、ちょうど、中国の春蘭が芳香をただよわせているが、茶埦にも四君子の雰囲気がある。
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茶溜まりで、お茶、月となる。
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最近、びっくりすることが多い。 古典書法にとりくむのと同期するように、陶磁器を中心として骨董品も好きで続けてきた。はじめに中国のもの、すぐに朝鮮半島のものを中心として求めてきた。ここしばらくは、祭器と、感じをうけるものに関わってきた。例えば、渋い青磁、井戸茶碗などがそうだ。 熟練した手業として、作為が見えずにそのようになっているものに魅力を感じてきた。そういったところが、日本のものにはないと思い込み近づくこともしなかった。 しかし、青磁は猿投・瀬戸などの古いものに、より深くしっくりくるものがあることがわかった。 そして、志野焼きである。 土、釉薬など素材、火、偶然も必然とするほどの高い技術、絵柄、形に込められた意図、点てやすさ、飲みやすさなど、互いが互いを引き立てるようにして融合し、詩的で風流だ。火の神、水の神を使いこなし、志野がゆく。 空間に、他のものによく和す。技法は朝鮮半島で発達した技法を利用しているとも思えるのだが、柔らかく使いことなしているので自前で技法を発達させてきたとも思える。和の物としか言い様がない。 さまざまな角度から、一幅の絵を眺めるように見ることができ気が和む。
志野焼きは、時代を言えば、1500年の半ばから、ごく短い期間作られたもの。朝鮮半島では、祭器が、青磁から、井戸、粉引きなど中間的なものを得て、白磁に完全に切り替わった頃に、日本では志野焼きが始まっている。 それから、小さな楷書であるが、書を掲載する。自然と遊ぶと書でこういうことをしたくなるのだが・・・ 韓国の祭器として作られたと思われる茶碗を使うと鼓舞され修行に励むことになるが、この茶埦の場合、安らぐ。 平成25年3月16日 |
志野茶碗は、空海の書そして藤原道長の書と同じくらい、歴史について思いを巡らすように刺激してくる。織田信長に献上したくなる。
同じ美濃の茶碗として、織部のものも有名であるが、織部の沓形の茶碗は、靴で茶を飲んでいるようなおかしな気分になり苦手である。なぜ、このようなものを作ったのか不思議だ。 志野と織部は別物と考えている。 お茶を立てやすい。口縁が内側になっている特に飲み口と反対側が指をかけやすい。
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この茶椀であればこの場所が思い浮かぶ。 |
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そして、この場面。
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灰釉茶碗 |
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日本の茶碗で初めて手元においたのがこれ。
これは、お茶を飲むことをよく考えて作られている。 青磁に通じるものがあるが、黄色い釉肌であり、お茶がうまそうに見える。黄瀬戸の手本になったような雰囲気がある。 つけ高台が少し大きく見えるが、この茶埦、熱の伝わりが良い。熱いものを飲むときは、ここに指をおくことになる。 飲み口あるいは飲む時に手を触れそうなところの釉薬は必要最小限とし、土味がよくわかる。柔らかくざらっとしていて、特に右手は触れているだけであるが手の平を指圧されたときのような快感がある。 ざっくりとしたろくろ目であるが、口がふれるところは細かいろくろ目を付加している。これにより口ざわりもよい。 緑色の釉薬のところがよい景色となっている。
口縁は微かに外側に反っている。微かであるためすこし飲みにくい。その代わり、右の手のひらを全体的に茶碗の側面にあてて、土の感触を味わうことができる。 朝鮮半島の韓国の枯れた青磁に雰囲気が似ている。作為を感じさせない。日本でも作れたのかと驚いた。 これも、お湯をまろやかにしてくれるが粉引茶碗にはかなわない。景色として少し厚くした釉薬か、あるいは肉厚が厚いところかが影響しているのかもしれない。 猿投の焼き物と同じろくろの回転方法であるが、糸きり後に高台を付けるのは、時代にあっているのかわからず。 これが猿投のものであれば、これは、お茶を飲むために作られたような焼き物である。9C、10C前後に、抹茶を飲んでいたことになる。
当時は貴重品そして今はさらに貴重なものであると思うものの、よく散歩にゆく場所に雰囲気が似ているので親しみやすさがある。日常、お茶やお湯を飲む茶椀は、この茶埦か、粉引茶埦のどちらかに落ち着くと思う。 ただ、野趣を強く受けるところがあり、こういったところを黄瀬戸は改良している。
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そして、この茶椀であればこの場所が思い浮かぶ。 書で書く文字にこの雰囲気が現れることを願っている。
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青磁茶碗 |
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なにかお祈りするときに使ったものではないかという感じをもつきっかけになったのは、朝鮮半島のこのような枯れた青磁の焼き物をみてからである。 青磁は、水を祀るのに良く似合う。梅瓶、徳利、小壺などをいくつか並べおくと、自然と霊を祀る特別な気配が漂う。 この茶埦にしてよい雰囲気をもっているのだが、水をいれると貫入のところに土の色が現れてしまう。お茶との色合いの相性もあり残念ながらお茶を喫するものとしては使用しずらい。 薄く軽く、手触りがよく、口縁が外側に反って飲みやすく、スマートな茶埦であるだけに残念だ。 この茶埦には、右の写真の場と同じ雰囲気を感じる。自然そのものである。 朝鮮半島では、9C頃にこのような半陶半磁の青磁が焼かれ始めている。 朝鮮半島より水に恵まれていて自然が多様な日本で、なぜこのような焼き物が作られなかったのかと不思議に思いつつ、憧れていた。
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黒高麗茶碗 |
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こういった渋い光沢のある黒釉の焼き物は、高麗末か李朝の初め頃に、日常雑器としてたくさん作られたとのことである。 しかしながら、仏事に使用できそうな雰囲気を持っているため、雑器ということにためらいがある。しかも、瀬戸黒そして楽の茶碗がこの茶碗に似ているものが多いため、なおさらそうだ。話は翔ぶが、雑という言葉にそういったためらいを感じるのであるから、井戸茶碗を雑器と言った人は相当に勇気がいったと思う。おそらく、あまり自然とは言えない意図があってのことだろう。 口縁はお茶を飲みやすい形をしている。そして、胴は持ちやすい。特に下側が自然な感じで手のひらにおさまる。 高台は自然にできた感じだ。こう形づくりたいという作意すら感じることができない。 なんというのか、よく訓練された手指が自然に動いて、無理のない形に作り上げたような感じだ。ここで紹介している志野茶碗は、形に作為は感じないが作意は感じる。この茶碗にはなんら作意を感じることができない。それゆえなのか、自然であり使いやすい。 こういったところにおいては、真似をしようとしても真似のできないなにかがあるようだ。水が豊富で森が豊かな日本にこそ似合うとおもうのだが まあ、日本になかったとしても、その代わりに志野茶碗があった。これを使うと、心を尽くしたもてなしを受けているような気持ちになる。 なお、この茶碗もまた、内側は外側に比べるとなめらかに仕上げられていて、そして90度まで傾けなくとも、中の飲み物が流れ出るようなカーブとなっている。このことと口縁の反りは、飲みやすさを考えるととても好ましい。 口縁が全体的に反っているが、反りが僅かのところと、その反対側という感じで、飲み口がわかるようになっている。楽茶碗の大クロはこの手の茶碗を手指として引き継いでいるように見える。
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