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書道史(工事中)

from 乙酉青陽  研賜


 

黎明期

聖徳太子(574−622)法華義疏

古典書法の用筆は見ることができない。
なお、 
空海(774−835)は、不明。
(橘逸勢伊都内親王願文
)真跡がない。

最澄
(767−822)は久隔帖が有名であるが、久隔帖は「空海」関連なので不明。

聖武天皇(701−756)雑集

光明皇后(701−760)楽毅論

和様の芽生え
(ひらがな方式)

嵯峨天皇(786−842)光定戒牒

漢字の和様化の始まり

讃岐国司解有年申文(867)

「草」仮名

円珍病中言上書(867以降、九世紀)

かなの発生

古今和歌集(905編纂の勅)

(古今和歌集に仮名序を書いた紀貫之(861−946))

かなという呼び名が歴史に現れたのは、「宇津保物語(976−983)で、この書に分類が書かれている。@男手「草仮名」A女手「ひらかな」B男にてもあらず女にてもあらず「かな」C片仮名D葦手
醍醐天皇は、905年に、日本最初の勅撰和歌集「古今和歌集」編纂の勅を下す。908から13頃に完成されたと考えられている。
和歌も漢詩と同様に公の文芸となった。
古今和歌集は原本を平安時代に失っている。

小野道風(894−966)

行書として古典書法へ最接近

漢字の和様化

藤原道長(966−1027)

漢字の和様化。

個性としての和様

 

藤原行成(972−1027)

千利休

一休

 

 

 

 

 


背景画像:研賜書和