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日々雑感

   研賜

2009.01.31 いたずらに

明日で、古典書法に取り組んで、丸七年になる。

こうして見ると、いろいろなことが、思い浮かぶ。

 

晴れでも、曇りでも、雨の日も、そうそう、大雪が降ると、うれしい。

思いがけないところへ、いく場合もあるが、こうありたいと思うところへ、進んでいく。意識ではなく、指先から、自然に現れるのを、続け、待ち続ける。

変わりゆく、世の中の流れに、逆らうように、指先で歩く。そして、必要なものに、出会う。それにしても、書の陽に、バランスするように、陰と交わる。

しかし、ここは、いつか見た景色。変わったようでなにも変わっていない自分に、驚く。なぜ、気づくことがなかったか。 今この瞬間へ、集中すべき。これが、今、為すべき事。

いたずらに、悔やむことなく、今、これしかないことを、積み重ねる。

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.24 手に任せる

草書は、その日に、手指がどれだけ動くかで、雰囲気が、違ってくるのが、おもしろい。

さて、

意訳など、呻吟語(草書)の方で紹介しているが、

為悪惟恐人知為善惟恐人

這是一副甚心腸安得長進

 

この呻吟語中の「一副甚心腸」の、一副ということばの意味を考えていた。

「ひとつのそえもののようなこと」というように、解釈することにした。

 

今日は、書を習いに行く日である。正月をはさんで、ひと月ほど空いているので、なにか、おかしな癖がついているかもしれない。独学では、どうにもならないのが、このあたりである。

 

 

 

 

2009.01.18 世の中で生きる

察言観色

度徳量力

此八字処世処人

一時少不得底

 

(意訳)

相手の、言葉を意味を吟味し、顔色で本音を観る。

自分の人徳と力を見極める。

世の中で、生きるために、少しも、欠いてはいけないものである。

 

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1/4に紹介した呻吟語に、

見ることができるところを見るのはやさしく、見えないところを見るのはむずかしい。

 

とあるように、これもまた、容易ではない。

せめて、見えるところは見る。あとは、心を整えておき、その事に、集中するということを、心がける。

そのために、心が整うような気がするので、常日頃、清掃を実践してみる。

 

 

 

 

 

 

2009.01.17 短所を護らない護る

 

修身以不護短

為第一長進

人能不護短

即長進日至

 

 

(意訳)

修身とは、まずは、長所を伸ばしながら、短所をそのままにしないことである。

人は、短所に逆らい、従わないようにするならば、長所は日々伸びる。

 

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護るの意味を、よく考えると、この呻吟語は、厳しい。長所を伸ばすためには、短所から目をそらさずに、見つめて、なお、かつ、それに逆らい従わないようにする必要がある。

 

2000年頃から、書に取り組んでいる。はじめの、2年ほどは、筆を手にして、独学していた。2年ほど努力したが

楷書は、いうに及ばす、行書すらどうにも、こうにも、歯がたたないものを感じていた。

古典書法を知り、楷書を基本として、7年ほど、書に、取り組んでいるが、今は、苦手意識もない。

楷書を書くことができないことを、短所と見ていたら、進むことができなかったところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能不護短

 

 

2009.01..02 振出に戻る

右の書は、呻吟語より

「事事留心」

事ごとに心を留めるということで、

集中しなさいということである。

筆者、中間管理職であるが、最近、難しい局面に遭遇し、集中の難しさを痛感している。日によっては、気になるところが、頭を離れず、気をとられることが多い。なかなかつらいものがある。

なんとか、コントロールするすべを探している。

 

まあ、なにがあろうとなかろうと、時間の許す限り、書は実行している。止めないことに意味があると、時には、言い聞かせては、取り組んでいる。仕事よりも、優先しているので、今の状況は、自分で招いたものである。いままでもそうであるが、趣味として、家で取り組んだことは、結局、仕事にも役立つことになる。書もそうであるはずと希望的に考えている。

さて、今回の書は、振出に戻るである。古典書法に取り組む前にも、いろいろな書き方を試しては、遊んでいた。それと大差はないが、今の状態であれば、本当に、遊んでいる気になることができる。やはり、指先に、書いてもらう感じをつかんだことが大きい。書手書である。指先が、勝手に動いては、墨跡としてゆく。

真機真味は、言葉で説明してはいけないと紹介していながら、こうであるので、これは、真機真味ではないとしておく。まだまだ子供である。

 

 

 

 

2009.01.11 集中

 

呻吟語より

 

学者只事事留心

一豪不肯苟且

徳業之進也如流水矣

 

(意訳)

学者は、ただ、事そして事に心を止めるべきだ。

すこしも、いい加減なことをしない

徳業が進むというのは、水の流れるごとしである。

 

 

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ようやく、自運が、臨書に近づいてきたように感じている。

呻吟語は、

呻吟語(草書)

で紹介してゆくことにする。

 

 

 

2009.01.11 寒山詩 牝牛を飼う

 

寒山詩より

 

(意訳)

おとこたるもの、貧困にいないで、牝牛を一頭飼いなさい。そうすれば、5匹の子を産み、そして、その子が、子を産む。いつの日にか、無数に増え、富んで、陶朱公も、真っ青である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.06 理 

 

呻吟語より

 

得罪於法尚可可逃避

得罪於理更没処存身

只我的心更放

不過我

是故君子畏理

甚於畏法

 

 

(意訳)

法において罪を犯したとしても、なお逃れることができる

しかし、理を外した場合は、身のおきどころを失う

自分の心が自分を許さないからだ。

このため君子は、法より理を外すことを、はなはだ、畏れる。

 

 

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話は、変わるが、

ときどき、11世紀頃のひらがなの臨書をしているが、

不思議なことに、中国で、王羲子の名で、残そうとした物が、なにか、理解できそうな気がしてくる。そして、漢字とひらがながつながりつつある。

もちろん、手指の感覚の話である。

まもなく、古典書法を手習いしてから、7年が過ぎる。おそらく、草書が身につけば、筆者の書は、始まることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.04 今回の休暇

少し前までは、書に関しては、時間がとてもゆっくり流れていた。今は、数日単位であれば、とても早く流れてゆく。しかし、、それが、数ヶ月前となると、遙か、昔の事のように思える。

という状態である。今回の休暇も、あっという間に、今日までとなった。

しかし、書に関して言えば、書手書という大きな発見もしている。

さて、午後からは、心おきなく、散歩にいってくる。時雨そうだ。清滝は雪になりそうな雲行きであり、休暇を締めくくるには、これ以上望むことができない状態である。

静かに、気をおさめて、しばし、憩う。

 

 

 

 

2009.01.04 実感

 

最近の実感より、

 

歩足歩

書手書

 

(つまり・・)

歩くのは、足。

同じことで、書くのは、手が、書く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009.01.04

呻吟語より一節を紹介する。

 

見前面之千里

不若見背後之一寸

故達観非難而

反観為難

見見非難而見不見為難

此挙世之所迷

智者之独覚也

 

(意訳)

前であれば千里先まで見ることができる。しかし、後ろは、一寸といっても、見ることができない。

故に、広く見渡すことは難しいことではないが、反対側を見ることは難しい。

見ることができるところを見るのはやさしく、見えないところを見るのはむずかしい。

これは、世の人の迷うところであるが、智者というのは、そのことを、独り、肝に徹している。

 

 

2009.01.03 ひらがな

曼殊院本古今集の臨書を行った。といっても、ほとんど手本(てもと)は見ずに、手本(てほん)を見て、手の感覚で書いたものである。

なお、右の方は、ここで紹介している古典書法を、強調して使い、書いている。

 

先日紹介した寸松庵色紙もそうだが、藤原道長あたりの時代のものであろう。筆使いはたとえどうであったとしても、なんというのか、目というよりも、手を信頼して書いている。そして、研ぎ澄ませた手の感覚と、なによりも、高い練度を感じる。文化が高い時代と思える。

 

話は少し変わるが、右の方は、こうしてみると、仮名といっても、男手の仮名であり、漢字的である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

臨書

曼殊院本古今集

 

2009.01.03

心の気を養う方法を考えていた。たとえば、書はと考えると、養うのと使うのと両面をもっている。いうなれば、陰と陽の世界である。

しっかりと眠ること。これは、間違くこころの気を養う。

清掃、綺麗になった場というのは、気持ちが良いし、なによりも、準備完了という気になる。。

散歩はどうだろう。歩きなれていること、散歩する場所がそのようなものであることなど、いくつかの条件を満たすことが必要である。

思うに、意識的に、心の気を養おうとするとなると、すぐでき効果があるものと、ひとつひとつ行いを積み重ねて、始めて効果がでるものなど、いろいろである。

 

さて、今日も、呻吟語から、紹介する。

 

世界雖大容得千万人忍譲

容不得一両箇縦横

 

(意訳)

世界は、忍耐と謙譲なら、いくらでも、入るが、

かってきままは、一つ二つといえども、容れる余地がない。

 

 

 

 

 

2009.01.02

指先が、気ままにしていることであるが、筆者の最近の書は、中国の書を基礎としてはいるが、日本的である。それに、右の書を見ていただくと、このホームページになじみのある方は、なんとなく理解できると思うが、相変わらず、空海の風信帖の周りで、渦旋している。

 

中国の古典である呻吟語から一節を紹介する。

 

士君子要養心気

心気一衰天下万物

分毫做不得

冉有只是箇心気不足

 

(意訳)

志のある人は、心に気を養う必要がある。

心気が、一たび、衰えるならば、世の中の、

いかなることもな(做)し得ない。

孔子の弟子である冉有(さいゆう)は、

ただこの心気不足である。

 

 

 

 

 

2009.01.01

明けましておめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り致します。

さて、今朝は、おせちを食べたが、おせちは、歯ごたえがおもしろい。ほっておくと、いつまでも、咬むことを楽しんで、箸が忙しい。餅ですら、歯ごたえが楽しい。

今年は、

書では、行為を積み重ねてゆくこと

日常では、清掃を心がけること

ということで、進んでみる。

 

休暇中は、書斎にこもり、書に取り組もうと考えていたが、最近、散歩がおろそかになっているせいか体調によろしくない変化がある。

ということで、お参りを兼ねて、清滝の渓流沿いへ、散歩にでかけた。

日暮れまで、1時間程である。清滝渓流沿いのいつもの場所へ、急いだ。渓流の水をすくい口に含む。書は水が大切である。それから、その昔は、山の民が、水への祈りを捧げた場所へ寄り道をした。巨大な開きかけたいわとで、女性を象徴している。

無心で手を合わせ、しばしそのままでいた。

時雨ている。清滝では、時折、雪となる。茶店では、抹茶で一服し、嵐山へ向かう。黄昏が近い。急ぐ。ブレザーの下に着ているセーターを脱ぎ、シャツの襟のボタンと外す。

多少の雨であれば、傘をたたむ。襟元からそしてシャツを通して入ってくる冷気が心地よい。亀山公園で、黄昏れた。枯れた梢を通して、三日月を見る。時折、霞む。空気が澄みだしてきている。転々と灯っている電灯、雨でしめった路面に、光がにじむ。亀山公園、そして、渡月橋までの桂川沿いと、筆者を除いて人影がない。なにか、このあたりを、所有した気分である。

しばらく、このあたりは、観光客であふれ帰っていたが、落ち着きを取り戻した。

渡月橋が近い、浮き世へ戻る時間である。歩をゆるめ、場を楽しむ。少し冷えてきた。セーターを着て、襟のボタンをかける。

どうやら雨もあがった。空気が透明感をました。しっとりと灯る明かりの中で、躰の中の気も水と戻り、静かに落ち着きだした。この感じはなんとも言えない。これが、筆者の贅沢である。さて、一年が、始まる。

 

 

 

 

2008.12.31 枯れた青磁

人が作ったもので、もっとも文化が高いと感じるものは、朝鮮半島の枯れた青磁である。

軽く柔らかな手触り、形そして色合いが微妙に揺らぐ。艶があるところは、しっとりとしていて、水のようだ。水でぬらすと、色合いが変化する。作為が見えない。水、土、そして火へ祈り、自然を崇拝することから、生まれるものである。

手元に枯れた青磁の梅瓶と茶碗があるる。別々なところから手元にやってきてくれたものであるが、同じ人が生み出したもののように、艶、色合いなど、質感が酷似している。

茶碗は、夏茶碗という風情で、浅めである。内側は、まるで、川底のようだ。抹茶碗として、使うことができるが、筆者の勘であるが、この手の枯れた青磁は、水を祭るものである。

梅瓶は、墨をするための水を、ためておくものとして、使用している。ここから、小さな入れ物に、注ぎ入れて、この小さな入れ物から、硯に、水を移す。

蓋に、なにか良い物がないかと、気にしていた。

井戸茶碗の謎という本を、読んでいたところ、祭器とする茶碗には、蓋があったとのことである。この茶碗はやや浅い、夏茶碗の部類である。もしかしたらと思い、梅瓶に被せてみた。

なんとも、びったりと一致する。そして、茶碗を被せた梅瓶は、なにか、生きて、祈っているようだ。水は、この中で、特別なものへと変わる。

この茶碗は、薄い。外側はろくろ目があるのだが、内側は、ろくろ目がない。井戸茶碗は肉が厚いが、ろくろ目は、この茶碗と同じである。

枯れた青磁とともに、井戸茶碗は、同じところから、生まれてきたもの。井戸茶碗は、その中でも、王様然としている。

書をするという行いは、祭り事なのであろう。書斎の特別な焼き物たちが、はっきりと、教えてくれている。

 

 

 

2008.12.30 かな

先日、かなを臨書していて、指先が気づいたところを、強調して、

「秋はくるらん」を書くと右のような感じになる。

 

こういった方法が、あらゆるところで使えるわけではないにしても、快調である。

今年、最後の、更新になるかどうか微妙であるが、今日から、冬期休暇で、草書に、取り組む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2008.12.28  天欲

あまり有名ではないが、熱心に読み継がれてきた中国の古典の一つ呻吟語を読んでいたところ、良い言葉を見つけた。

 

有天欲 有人欲 吟風弄月

傍花随柳 此天欲也 声色貸利 

此人欲也 天欲不可無 無則禅 

人欲不可有 有則穢 天欲則好底人欲

人欲即不好底天欲

 

(意訳)

欲には天のものと人のものがある。風と歌い、月と遊び、

花を傍らに、柳に随う、これは天の欲である。

名声、色、利子を貪るのは、人の欲である。

天の欲は持つべきであり、持たないならば、禅となってしまう。

一方、人の欲は、持つべきでない。持てば、穢れる。

天の欲は、人が持つべきものであり、

人の欲は、天の欲ではない。

 

ということで、休みの日になると、清滝の渓流沿いへ、散歩に行くが、これは、天の欲ということになり、書をする時間との兼ね合いであるが、思うに任せて、出かけても差し支えなさそうだ。

 

 

2008.12.27  見つけた

草書に取り組んでいるので、同じことと思い、今日は、寸松庵色紙で、ひらがなの臨書をしていたところ、なんとなくであるが、指先が、感づいた。

まだ、内緒であるが、さっそく、王羲子の草書を臨書して、確認してみたところ、これは、使えそうだ。

しばらく、試してみるが、うまくゆけば、自分自身で、自分の書を、楽しむことができるように、書が、かわってゆくはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

2008.12.27  天目茶碗

12/23に紹介した天目茶碗の写真を掲載する。

写真ではわかりにくいが、金属に近い光沢で、もう少し、明るい茶色である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2008.12.23 継続は力

12.21は弘法さんへいってきた。天目の侘び寂びた茶碗を連れ帰ってきた。茶系で一瞬、天目とわからなかった。岩石、岩穴など、自然と思い浮かぶ類のものだ。

長治郎の楽茶碗に、似たような雰囲気のものあるが、これは中国のものなので、その当時に、この茶碗の兄弟が、長治郎の先生となっていたのであろう。

この骨董屋さんとは相性がよい。高価にしているものは、好むものでないし、良い物とも感じない。適当に、宋時代のものと言っているようであるが、筆者は、そのとおりでよいのではと思いながら見ていた。

連れ帰ってきた他のものと比べてみているが、力強く、いかにも本物然としている。一般的な中国のものとは違う。どちらかと言うと、朝鮮や日本で好まれる雰囲気だ。

このようなものがあるということは、侘び寂びも中国が先生ということになる。

骨董の方は、茶碗に至り、なんというか、ものになってきたような気がしている。もちろん、好みを追求したところでの話であるが、満足している。もちろん、今は無理もしていない。

書の方は、引き続き草書に取り組んでいる。おもしろさも、さらに、増してきている。なんというか、日常、書いている文字と接点ができそうだ。2、3年このまま続けることができたとしたら、それなりのところへ、進むのではないだろうか。

行いを積み重ねるということは、なんと大切なことかと、折りにふれては、実感している。

 

 

 

2008.12.06 散歩

今日は、日が暮れてから、嵐山、渡月橋にたどりついた。

来週から、ライトアップをする予定とは知っていたが、今日、どうやら試運転らしいが、対岸から、岩田山をライトで照らしていた。水面に映る岩田山は、幻想的である。久しぶりに、6時少し前であるが、この当たり、人通りが、非常に少なく、落ち着いて、雰囲気を楽しんだ。

水面に映る岩田山は、昨年度も見ている。このホームページのどこかで、写真を掲載したような気がするので、探してみたが、見あたらない。

よし、探して、掲載することにする。

 

ということで、探し出したのが、右の写真である。昨年の今頃の写真であるが、今年も、こんな感じだ。

 

 

 

 

 

 

2008.11.30 散歩

あの人なつっこい沢ガニが、同じところにいてくれないかな と思いながら、今日も、清滝の渓流沿いを散歩した。昨日と、同じところの岩場に立ち、沢ガニを探したが、残念ながら今日は、いない。

かわりといっては何である。岩場の足下すぐのところが川であるが、その底で、50、60cmはあろうかと思われる魚が、やってきて、泳いでいた。

その当たり、4匹、大きな魚が、泳いでいたが、他は、向う川の岸近くへ、避けて泳いでいるのだが、その一匹だけは、避けようとしない。野生の魚であるはずなのに、どうしたのだろう。

昨日の沢ガニといい今日の魚といい、なんとなく、友達のような気持ちである。

16:00少し前に、いつものお気に入りの場所に到着した。遅い時間であり、薄暗く、人通りもほとんどない。少し前まで、時雨れていたこともあり、しっとりとしている。森の緑も、すこし離れたところに見える、赤や黄色に色づいた木々も、なんとも、渋い。

頭上のそれは、青く澄んでいるが、いま立っているところは、谷間であり、なにか、黄昏近くのような雰囲気だ。だんだんと体を感じなくなってくる。そして、気が、静まる。体の中の水が、波紋一つたてずに、落ち着いてゆく。

そうかよく分かった。黄昏を、楽しむことができるということか。これは、大きな発見である。

さて、足下が見えなくなると、困るので、帰るとする。昨日は、やはり、体が疲れていたようだ。今日は、快調である。重力に任せて、歩を、進めるようにできる。道が下っていれば、それなりの、速さとなってしまうが、息は通常の散歩と変わらない程度の範囲での速さである。下着を一枚、その上に、綿のシャツであるが、腕まくりをして、ちょうど良い。空気が、心地よい冷たさである。コートやジャンパーを着ている人の間を縫って進む。

なにか、体と心が、準備完了したような、感覚がある。不思議な感じだ。その昔であれば、人生を終える頃になって、これから始まる感覚である。

よし、黄昏を楽しみつつ、進んでみる。

 

 

 

 

 

2008.11.29 散歩

嵐山、嵯峨野は、今日が、紅葉の見頃だ。それにしても、大変な人出だ。

嵐山、嵯峨野、清滝、落合、清滝、嵯峨野、嵐山と、散歩してきた。清滝川沿いで、沢ガニを見かけた。人なつっこい沢ガニで、手を近づけても、軽く後ずさりする程度だ。指で触っても、はさもうともしない。なんとなく、日本的な感じがする。

途中で、時雨てきたため、早めに散歩を切り上げ、帰ってきた。

黄昏時を待たずに、嵐山を後にしたためか、なんとも、物足りないし、疲れを持ち帰ってきてしまった感がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祇王寺

 

清滝川 人懐っこい沢ガニ 

 

嵐山

 

2008.11.23 散歩

書と散歩は、リンクしている。

今日は、嵐山、嵯峨野、清滝、愛宕山と往復してきた。

最近、歩を進めるのは、別人格のような感覚がある。特に、意識しなくとも、歩が自動的に進んでゆく感じだ。

努力するところは、目的とする場所へ、急ぐ、心を、抑える事くらいだ。歩を進めることに、喜びを感じつつ、景色など楽しむことができる。

古典書法への取り組みとほぼ時期を同じくして、朝、一駅前にで下りて、会社へ、歩く。1時間弱歩いて、通勤している。雨、雪など降っても、これは続けている。

それに、車も止めた。ちょうど、一年になるが、清滝渓流沿いの散歩も、週に一度のペースであるが、続いている。

散歩は、書くこと自体を楽しむことができるようになっている書と同じだ。

紅葉は、一斉に、ということではなく、ある木は紅葉しているが、他の木は、まだ緑である。散っているものもある。来週が見頃なのか、このまま、まばらに、紅葉して終わるのかは分からない。

それにしても朝9時にもかかわらず、人出が多い。見てきた中で、最高だ。嵐山嵯峨野はにぎわっている。

ゆったりと、歩を進め、清滝に、入る。

いつものお気に入りの場所で、清滝の渓流沿いで、ボーッと、魚を見ていた。清滝渓流沿いも、人が多い。見える範囲のところに、人がいる。

 

しかし、世の中の人というのは、断言する。

ボーッと、見ていた大きな魚は、あるときは岩、そして、ある時は鯉(コイ)、そうそう、鱒(マス)にもなった。天然の鯉(コイ)は、天然の鮒(フナ)と同じように、細くなるものとなったりと、非常によく、変わってゆく。さすがに、岩はひどいので、魚ですよと、教えた。残念ながら、どれが本当かは分からない。

 

水でもそう。ここの水は、夏でも冷たい、今時分はとても冷たくて入れたものでないらしい。

しかし、川に手を入れてみれば、ここの水は、夏ちょうど良く、今時分でも、もしかしたら、入れるのでは、と思う程度の冷たさである。

まあ、惑わされないことである。経済でもそう、新聞は、なにをどの方向に、もっていきたがっているのか、確認する程度で読む。世の中の基本とする流れは、ほとんど、情報源としては、一つ二つで事足りると感じている。一般のニュースでは株価の上がり下がりの理由を断言調で、一言書くが、これはさすがに、意味があるとは思えない。

もの作りには役立たない害のある方法であるが、おこっている現象からではなく、ある意図から、発言を組み立てる人も少なくない。政治経済に関する報道を良く似ている。会社で、言えば、技術系を除くところが、こうなのかもしれない。最近は、技術部門へもこういった風潮が入りこみ出している。困ったものである。

これとて、お客様からの支持以外に、結論はあり得ない。盲目的に従うというものではない。微妙なさじ加減がある。こういったところでの努力を除いたものは、無理そして無駄と考えるようにしている。

技術に根をおく限り、不自然なものは、顕わにになり、崩れてゆくだけの話である。無理は長続きしない。

今の、バブル崩壊中の米そして欧と、同じ。

 

そうそう、今日は、散歩の途中で、思いつき、滝にも打たれてきた。

仕事のことであるが、スタイルが変わりつつある。丸くおさまるので、悪意ある発言も、なんとなく、聞き流し、仕事をしてきた。いろいろ弊害が起こってきた。まあ、態度を変えるにしても、魔が差さないようにと思い、滝に打たれた。前回は、浮かんできたものは「参った」であるが、今回は、「信じなさい」であった。

思うように、行動してみる。所詮、落ちるところは「参った」である。魔は差していないと思う。心を静かにして、進む。技術とお客を信じて。

打たれた滝は、空海や空也上人も打たれた滝らしい。どうにも、縁が深い。

帰りは下りだ。踏ん張ると、膝に負担がかかる。なるべく、重力に任せると、歩が、どんどん早く進む。年を考えると、危ないとは思うのだが、楽しい。普段、走ることはない。膝への負担が気になるが、オレ、アソンデイル状態だ。清滝で、道のない、木々が、生い茂る急な坂を、一年前に、駆け下りたことがあるが、そこまではいかないまでも、それに近いものがある。楽しい。

嵐山に、歩いて向かうのであるが、普段、のっしのっしと歩くのと違い。歩が勝手に、早まる。目的とする場所へ、急いでいる訳ではない。早く歩くことを楽しんでいる。

あそこで、お茶を飲んでと、楽しみにしていたところは、満員で入ることができなかったのが、誤算である。

少し、疲れた。

好きな時間帯である黄昏時には、渡月橋付近にいた。まだ、この時間帯でも、新京極を超える人出だ。気が静まる時間帯であるが、なんとなく騒がしい。

歩き過ぎもあるだろう、自慢の足が、なんとなく、重い。まあ、遊び過ぎたのだろう。

 

とにかく、十分に、遊んだ。童心に返ったようだ。充実した気持ちがする。なにか、子供の頃を、思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祇王寺

 

祇王寺

 

清滝

 

清滝

 

大堰川

 

 

2008.11.09 散歩

清滝、嵐山界隈は、紅葉が、2、3分色づいた。例年より、少し早い感じがする。しかし、今年は、暖かい。散歩していても、適度に、寒気を含んだ空気が、心地よい。

そうそう、清滝川では、春夏と、見ることができなくなった20〜30cm程度の、大きな魚が、再び、姿を現した。近づくと、遠ざかるのだが、今日は、遠ざからない。、近くで、川底に口をつけ、ぱくぱくと、おそらくえさを探していのだろうが、そういう魚もいた。時折、砂埃をあげ、吸い込んでは、エラから、そのまま出している。

別にえづけをしたわけではないが、何匹か、遠ざかりもせずに、近くで泳いでいた。

よく、行っているので、覚えてくれたということにしておこう。

 

さて、今日も、渡月橋付近で、黄昏を迎えた。かかとからつま先の方へ、移動する重心を感じながら、右、左と、足が、ゆっくりと動く。

疲れたも、体の重さもなく、ただ、重心が、かかとからつま先へと移動する。右の足で、左の足で、右の足で、左の足でと、のっしのっしとした感じで、歩が進む。

靴は、20年近く前に、購入したチロリアンである。かなり重い靴であるが、今は、重さも気にならない。作りが頑丈であり、靴底はビブラムソールである。舗装していない渓流沿いの道を歩くのに、重宝している。

はき慣れるのに、苦労した覚えがあるが、今では、足の一部のようなもの。

しかし、歩くというにしては、不思議な感覚である。目的地が、自然と近づいてくる感じである。

目的地へ近づくことも、どうやら目的ではない。冷たいが心地よいその場の空気を楽しみ、気や躰が整い静かになってゆく。重心が足裏で移動する。

まだ、去り難い。渡月橋近くで、引き返し、大堰川を上流の方へ向かう。黄昏が過ぎ、暗闇へ、ゆっくりと変わってゆく。なんとも、贅沢な時間である。

普段、気になるところから離れられず、ぐるぐると考えごとをしがちであるが、あまりとらわれずに、考えが止む。右、左、・・、躰を感じない。目的とする方向へ、歩が自然と進むのは、なぜだろう。

 

 

 

 

2008.11.01 草書

書の方は、草書の臨書を中心に取り組んでいる。

筆先から反る力を利用するというよりも、自分の意志を持って、力を入れるということではなく、しっかり指先使って、書き進む。みぞおちあたりに湧いてくる気を、滝そして渓流のように、呼吸で流しながら、書き進む。ある種の快感がともなう。

なんとかえびせんのように、やめられずとまれず、いま、お気に入りだ。

 

 

 

 

 

 

 

2008.10.28

土、形、釉薬など、時代の特徴をもっているのは、もとより、このレベルで焼き物を作ることができる人は、そういないだろう。

もし、いたら、時代はどうあれ、それは、それで本物で差し支えない。ということで、前回、紹介した白磁の茶碗の時代を言い切った。

 

ものその物に、純粋に、向かい合うとき、特別な作り手を通してのみ現れる天の意志が垣間見える。そういった人がいた場所を、筆者は、世界の文化の最先端の地と見る。

そこに、確かに存在した人たちのDNAが、どうか、我身にも、組み込まれていますようにと、祈る。

 

 

 

2008.10.26 白磁茶碗

 

李朝初期の白磁の茶碗が、やってきた。一カ所ニュウがあるが、許容範囲だ。ない方がもちろんよいが、かろうじて景色になってくれている。お茶用としては、白磁もよいものである。

自然な形、変化に富んだ白。しっくりと手に収まる。少し肉厚で、重みも適度にあり、持つと、みぞおちあたりに、すっと気が入り込む。なんとなく、楽しげな風情もやはり朝鮮半島の焼き物である。

眺めたり、手に取ったり、眺めたり、土味を確かめたり、お茶を飲んだり、・・・

口径15cm程度であるが、この位の大きさの茶碗が、どうも好みである。一服のお茶に対しては、やや大きめであるが、見た目も、手取り具合も、良い。

今は、井戸と同じくらい良いものと、感じている。

こんな風にして、これでまた、しばらく、楽しむことになる。なんとも、こころ楽しい。

天意とどれほど手慣れなければならないのか想像すらできないようなところで、作られている焼き物に親しんでいるので、自分で作ろうという気が起こらず、純粋に楽しむことができる。

朝鮮半島の焼きものの良いものは、形、そして色合いもそうであるが、そのものも、微妙な変化も、自然が生み出したような自然さである。作為がなく、あるように、そこにある。そして、なんの気負いもなく、それが自然と茶碗を全うする。

 

 

2008.10.25 隷書

少し、前に書いた隷書を掲載する。

       隷書(寒山詩)

隷書は、楷書に近い線質であるが、草書に近い行書のスピードで書くことができる。感覚的にも、草書に近い行書である。

隷書は、篆書と違って、筆の特性を感覚的に知り、筆と指先が共になって、線を表す。このあたりで、既に、高度で無理のない筆法が確立されている。筆の弾力を利用し、自然に書くという点では、隷書が頂点だ。

これに比べると、楷書は、難しく複雑なところへ入り込んだ感がある。指先の感覚としても、隷書から行書、あるいは草書へ、それから、楷書へたどり着くという感じがする。

時代を経ると、必ずしも、進歩する訳ではない。善きものを置き忘れてくる場合もある。

 

 

 

 

2008.10.19 高麗青磁

ひびがあり、水が滲み出るように漏れるが、高麗青磁の水盆が、手元にやってきた。

水漏れを、目立たないように、樹脂で止めて、今朝から、水を入れられるようにした。古びたようになるように手直し、底の方を、汚れた感じとしているところがあるのが、やや残念だ。

筆者の感覚で言えば、これは、水、あるいは水がはぐくんだものを祭る器である。自然が作った良きものを、上回る。歴史と伝統の中で、自然と、生まれたものである。

 

形にしろ、釉薬の状態にしろ、ゆがみにしろ、作為を感じない。人が創る以上のもので、次元が違う。青磁の祭器は、梅瓶など、いくつか、預かっている。

高麗のある種の青磁を祭器と感じるのは、筆者だけとは思わない。

市場性がないのか、とにかく、一般的ではないのだろう。なによりも、高級なものと感じるものを、手元におくことができる縁に感謝する。

朝鮮半島のどこで作られたものなのか、これは、機会を見て、調べる必要がある。

 

しかし、想像が膨らむ。清滝によく似た渓流があり、山の民が住み、禅寺があり、今でも、窯があり、何十年に一つ程度の割合で、なんとも言えない、井戸茶碗が、祭器とできる青磁が生まれている。

本人は、いつからか、それよりも、なぜここにいるのかも、わからない。とにかく、焼き物を作り続ける。ただ、作る。いや、身についたところで、手が、体が、自然と動く。それだけの話、それ以上でも、それ以下でもない。

冷気が、気となり、流れている。星が綺麗いだ。どこからか、水の音、水か、水を含んだ土、水の化身、指先が、水と戯れ、形が現れる。

・・・・・・・・・・・

惹かれ、どうにもやめられなかった理由(わけ)が、今、よくわかる。水と戯(あそ)ぶ。書もそう。

水が姿を変えて、水を祭る。道具であるとともに、手本(めざすところ)でもある。

 

 

 

 

 

2008.10.13 黄昏(たそがれ)

今日は、暑くもなく寒くもなく、さわやかな秋晴れである。昼頃から、清滝散歩に出かけてきた。

水も澄み、木々の緑にも、黄緑色が混ざりはじめ、すがすがしい。11月の後半には、目にも鮮やかに紅葉する。椿も早いものはつぼみをつけかけている。

 

バスで清滝に入り、清滝の渓流沿いを散歩し、茶店で一服し、清滝から嵐山へは、徒歩である。そして、嵐山の亀山公園で、休む。黄昏近くに、大堰川沿いに降り、渡月橋へ向かう。

体と心が、なんとも言えない感じ、んーー、まさに、たそがれどきが近づくように、落ち着き、静まる。風が止み、波立っていた湖面が、鏡のようになるのと同じような感じである。足は動いてはいるが、体が軽い、というか、体をあまり感じない。気も、静まり、落ちついている。

歩が、進む。東の方、渡月橋の上に、黄昏近くの白い月がかかっている。満月である。

なんとも、贅沢な時間の過ごし方である。この感じを忘れないようにしよう。書をする際の感覚にプラスできれば、書の方は、どうも、静まるというよりも、踊り動く。

 

 

 

 

2008.10.13 草書

子の草書の臨書を掲載する。

パソコンの再設定途中であり、慣れ親しんだ手順を踏んでいないので、画像の掲載は手間がかかる。久しく、書を掲載していないので、なんとか試みた。

草書とは言え、多くの筆法は、楷書あるいは行書と共通している。これまで、楷書そして行書を手習いしてきたので、草書は、文字の形を指先に覚え込ませるのが、主となりそうだ。

日常、ほとんど使用しない漢字まで、草書として、覚える必要はないと考えている。早書きできるので、物を考えるのに使えそうだ。この延長にひらがながあるのか、それともひらがなは、日本式の筆法で取り組むことになるのかは、まだ、分からない。しばらくといっても数年、草書に取り組んだ後に、指先に決めてもらうことになる。

おもしろいものである。ここでも、清滝の渓流沿いの散歩とつながっている。昨年の11月の後半、紅葉の時期から、清滝を訪れるようになっているので、清滝散歩の習慣がついてから、もうすぐ、一年である。あっという間の一年でもあり、訪れ始めたのが遙か昔のようでもある。ただ、ここ一年、線の質は、明らかに変化した。技術も意識していない。意図したつもりもない。指先を通して、惹かれたところが線となって現れているのだろう。

 

 

 

 

 

2008.10.12 隷書

ここしばらくは、草書を中心に取り組んでいる。

なるほど、これなら、このまま何年間か続けると、指先が、形を覚え、階行草が、入り交じった高峰顕日の遊高雄山誌あるいは空海の風信帖のような書を、自然と書くことになる。

 

草書の合間に、隷書を書いて見た。隷書は実用的だ。草書に近い行書のスピードで書くことができる。

横画は、基本的には波磔(はたく)を使う。基本的には、一カ所は明らかに波磔とするが、ほかは、基本的な筆使いは波磔であるが、見かけは波磔を押さえるようにして書く。

横画は、リズミカルに、運筆でき、爽快だ。八分とも言われる隷書に取り組んでいるのだが、「八」は両画とも、見栄をはる感じで、丹田に気を蓄積するようにして書く。

早く書くことができる割には、書かれたものは、楷書的だ。前漢の時代頃に発生した漢字である。

筆者の場合、隷書は、特に習った訳ではないため、古典書法を学ぶ課程で、自然に現れてきている。もちろん、隷書という書体があることは知ってはいた。

楷書や行書とは、画の終え方に、大きな違いがある。隷書に比べると、楷書あるいは行書の画の終え方は「飾り」終える感がある。

横画であるが、逆筆で打ち込みたわんだ筆先の力を利用して、自動的に、横に運筆できる。おそらく、筆者の好きな竹で作った竹簡、あるいは木目が縦に入った木簡に、書き込む中で、自然に編み出された筆法なのではないだろうか。

今に何らかの形で残り紹介されている隷書のすべてがそうだとはいわないが、この筆先から帰る力を利用する隷書としては、たとえば、乙瑛碑、史晨碑などが、おそらくその類のものである。

とにかく、隷書は、自分なり、追求してみることにするが、

波磔など、見た目は、飾るための筆法で、書くのに時間がかかりそうで、、不自然であるような、印象を持っていたが、古典書法を応用して、隷書に近づいてみたところ、見た目の印象とは逆になりつつある。偉いことである。

 

 

 

 

2008.10.04 影

互いに補い合い、進んできたつもり。しかし、陰側は、影をつもらせた。陽と陰、一方の長所は一方の短所、今、分離し、立場を変え、常識の逸脱し始めた。積年の努力をもって得た長所で、短所を攻める。型のない実と型の中の実。遊と勤、頓智と改善。これまでは、まだ、始まり。

小さな渦旋で「参った」したことが救い。

どこにどう行き着くのか、守、羅針。澄んだ感覚とともにわき起こるキモチ。

隷書は自運としてであるが、手習いの方は、今、草書に進んだ。

渦旋が渇筆とともに、現れ、流れとなり、現実とシンクロする。さて、墨跡のように、キモチを行為に落とし、進む。

ありえるはずのなかった現実の中、見た目は、楽しそうとなるはず。自運の隷書。積み重ねたものが姿を現す時。

 

 

 

2008.09.30 隷書

掲載したい書もあるのだが、パソコンの調子が悪く、まだ、手こずっている。必要なソフトのインストールも済んでいない。いろいろな場所で関係しているパソコンが、そろって調子が悪くなった。そういう訳にはいかないにしても、思わずパソコンと縁を切りたいと思ってしまう。それはさて置いて、

最近、取り組んでいることを、簡単に紹介しておく。

禅宗である臨済宗では、寒山誌が教典のような扱いを受けて読まれている。書くべき言葉を探していたのであるが、なんとなく、寒山誌は、共感できるところが多い。勉強も兼ねて、はじめは、楷書で、寒山誌を、書いていたのであるが、いつとはなしに、一年少し前に紹介した隷書(八分)延長で楽しんでいる。

清滝を散歩したり、朝鮮半島の焼き物にも、井戸茶碗で、一区切りとすることができた。書以外の生活の部分で、陰陽が極端な形で現れて、渦旋している。影の部分を原因とした渦旋であり、確かに、参っている。

まあ、そういったことも含めて、ここ一年間、見たもの聞いたもの、経験したところが、線となって現れているはずである。清滝の渓流の影響が大きいことはよく見て取れる。

しかしながら、影で渦旋している割には、なんとも、隷書風に書いた寒山誌は、ユーモラスで楽しげだ。深刻そうなところがなく、寒山拾得図を、書にしたような?雰囲気である。

それにしても、どんどん書くことができる。楽で書いているときも楽しい。草書に近い行書のような楽に書いて、楷書的な文字が現れる。

楷書のように、隅々まで、筆を制御して、書くのではなく、あるとこでは、筆先の弾力に任せて、書き進み、偶然の変化を楽しむ。細部をよく見ると、そういった偶然の変化に富んでいて、しばし見ていることができる。

中国の漢の時代の隷書を主に臨書をしたが、渦旋する筆使いは、秦や漢の時代に発達した隷書にも、含まれている。なるほど、漢代に盛んとなった文字ということで、漢字とは隷書のことかもしれない・・・・

本来は、竹簡など、縦筋の入った木に、書くために、発達した書き方なのでろう。筆者は、紙に書いているのであるが、紙は、筆運びの抵抗となる縦筋がないため、横画は自動的に、筆が動く感じで書き進むことができる。

楷書を隷書の筆使いでというのは、古典書法が世に広まりさえすれば、漢字の一つのジャンルとなり得るものである。

これもまた、口ではなんとでも言える。書斎で使用しているパソコンの再設定が済み次第、寒山誌を書で紹介する。

 

 

 

2008.08.31 久しぶり

パソコンの具合が悪く、ご無沙汰していた。

この間、書を含めて、いろいろなことがあった。そして、現在進行形である。陰陽が極端な形で現れ、渦線している。

書の方は、清滝の散歩に重点を置いていたため、取り組む時間は少なくなっていたが、線質に変化が現れだしている。空海についても新たな発見があった。

朝鮮半島の焼き物も、一区切りとすることができた。まあ、焼き物の一区切りになるだろう。長かった。

茶碗も井戸茶碗で、善いものが手もとに来てくれた。水を祭る青磁など、朝鮮半島の焼き物には、教えられることが多く、心が満たされる。

用途、形など、違うにしても、この井戸茶碗が、焼き物というか、人の作るものの、上限の一つじゃないだろうか。

文房具の方も、水を祭り、すった墨を、崇めるものとなった。

少し、涼しくなるとともに、ここ一年間に経験したものが、書となって、現れているような気持ちがする。稲が実るように、この時期はそういう時期なのかもしれない。書以外の部分が、忙しい割には、書に対する集中力も増して、残しておこうと思う程度のものが、案外容易に現れる。

もっとも、手習いの方は、たぶん、基本の8割程度が、済んだ段階である。まだまだこれからでもある。

決して、良いことばかりが現れているわけではなく、参った出来事も多々ある。水が高いところから低いところに流れるようにと、筆を使うように、日々起こることを、流し、書きつづっている。良いの悪いのかは分からないが、これが、こういった書に関わりを持つことの意味でもあると、感じている。

 

 

 

2008.05.06 日本刀

鎌倉時代頃の日本刀、根側約15cm程度をいただいた。日本刀の根本の方は、昔から竹を割る刃物として良く使用されてきたとのことである。

いただいたものは、刀が、両刃から片刃に移行して、あまり時代が経っていない頃のもので、身は薄く、反りは控えめた。

 

錆や傷が全面にあった。日本刀を研ぐための砥石は分からないが、小刀など、刃物用の砥石は、幾種類か持っている。ここ3日ばかり、研ぎに精出していた。古の日本刀である。もちろん、玉鋼だ。日本刀である。打ちのばしてはたたんでを、何度か繰り返してつくっている。落ち着いた質感をしている。

残念ながら、日本刃を研ぐ技術がない。綺麗には光らない。何度か、やり直したのであるができない。見る角度で、傷が目立って見えたり、ほとんど見えなかったりという感じである。

もともと面が複雑に波打っていた。まあ、この程度まで、磨けば、良いと思える程度までは、何とか磨いてみた。このような善いものを研ぐのことは苦にならない。というか、どうにも止まらない。今回は研ぎである。なおさら止まらない。

 

竹を試しにいろいろと削っていた。引きながら、切ると、妖しい。手が感じるところがある。切れ味がそれなりに着いたところで、研いだ面の方は、あまり気にならなくなってきた。

すこし柔らかめの木を、引きながら切ってみた。そして、日本刀の本質を、理解できた気になった。日本刀の打ち出しそして研ぎは神事であるというのもうなづける。

これは、茶杓をつくるのに具合がよさそうだ。

水を使わずに、火のみで、竹を曲げることができるようになれたとしたら、茶杓を作ってみたい。

 

 

 

 

 

2008.05.04 九成宮醴泉銘の臨書

なにが変わったこうだああだと言っているが、

おそらく、一番変わったのは、集中力である。これは、体調による。おそらく、渓流の地の散歩の効果である。

体調が良ければ、、自ずと、書に取り組む時間も増える。さすがに、春先は眠りが浅めになる。冬に比べると、夜の時間の集中力は劣ってはいるが、それでも、良好だ。

さて、久しぶりに、書を掲載する。「九成宮醴泉銘

 

 

 

2008.05.02  九成宮醴泉銘の臨書

i約1年と4ヶ月前に比べ、2〜3倍の早さで書き進むことができる。快適だ。

思ったとおりこの硯は、使い易い。

墨をするのはどうしても、書くことよりも、手指に負担になる。こまめに墨をすったほうが、負担がかからない。なによりも、墨の調子を一定に保ちやすい。墨使いは、案外難しいものだが、この硯であれば、苦労はない。

墨をするところが微妙にカーブしている円面硯であるが、墨をすった後は、硯自体を傾けて、硯内部の端の方に墨をためて、使用している。墨の調子が悪ければ、すり直す。

半紙六文字で臨書しているので、大量に墨を使用する。調子が上がってくれば、書き続けたい場合も多々あるが、一呼吸置くような感じで墨をする。

具合の良いリズムを見つけることができそうだ。

この硯、清滝の土入り、神具になりそうな乳白色、筆者の墨擦りを想像して創られたものという具合で、縁のものである。感謝。

 

興味を持って、良い法に従い、続けるということの持つ、なんと言えばよいのか、力、効果、うーん、とにかく、なにかというのは、なんとも、なんともである。

こんな風に、書き進めるようになるとは、前回、約1年と4ヶ月前に、九成宮醴泉銘の臨書に集中した時には、思いもしなかった。

渓流の地の散歩そして筆使いの変化

創っていただいた硯

茶の湯

自然にであるが、丹田あたりに、力が入りやすい姿勢になりつつある

竹で作ってみた水滴。直感的に水の量を加減でき、これも快適である。

 

と、こんなところが、変化している。

線質が変わったことから、今、九成宮醴泉銘を臨書しておかないと、似せようとおもっても似せることができなくなると考えたが、これは、違った。

九成宮醴泉銘は、石に彫られたものであるため、彫りの影響が出ている。今の筆者の臨書であれば、彫ったようなところに影響されずに、筆で書いたような線になってきている。

また、九成宮醴泉銘だけではないが、これまで臨書してきたもろもろの書が、頭の中にしっかり刻み込まれ、素直に、手指の運動となって現れている感覚もある。

 

道具が気になり、書をしているのか道具を探しているのか分からなくなり続けてきたが、そこにたどり着くことができれば落ち着くことも良く分かった。書よりもエネルギーを使ってきたような気がする。落ち着いて始めて分かるが、とにかく膨大である。今このエネルギーは抹茶用の茶碗に向いている。早回しのコマ送りのように、茶碗が手元に集まってきているところである。今後、さらに加速させることも可能である・・・困ったものである。まあ、自分の好みに忠実であることが唯一の救いではあるが・・

ちなみに、集まってきたものを見ていて気付いたのであるが、大なり小なり、龍が空に上るカーブを持つ茶碗ばかりである。楽茶碗でよく目にするような、内側に反ったのとは、反対に、外側に空に上るようなカーブの茶碗に無意識に引かれては連れ帰ってきている。天目茶碗もこのカーブの一種である。はてさてどこで落ち着くかである。・・・・しようがない・・・

 

まあ、書を見る限り、進んできた方向に誤りはない。なによりも現在進行形であるが、九成宮醴泉銘の臨書の進み方に関しては、満足しているし、楽しみである。そして、なんとも言えない感じで、微かであるが、奥深くのほうから、力強く湧いてくるものがある。とにかく今日も一日中書をしていた。幸せである。

 

 

 

2008.04.19 九成宮醴泉銘の臨書

筆者の師は、現在、山水画の研究も進めている。先日、山を描いているところを見せていただいた。

書の筆使いの応用である。現そうとしたイメージと、墨の使い方、そして、筆の動かし方が、渾然一体としている。中国の岩山はこう、日本の山はこんな感じと、あっという間に、現れる。

歴史、伝統、そして教えを元に、工夫された結果であるが、筆者は、こういったものを最先端と感じる。

貴重なものであり人に自慢したいため、さっと書いて見せてくれたものを、いただいてきてしまった。

さて、筆者のことであるが、

楷書に沈潜といってから、2年たっている。ずいぶん前に言ったような気もするし、つい先日のことのようにも感じる。書に関係する時間はずいぶんゆっくり過ぎると感じてきたが、この間は、やはりさほででもない。楽に書くことができるようになって来たことと、散歩の方に、費やす時間が長くなっていることに関係しているのかもしれない。

それはそうと、2年前の九成宮醴泉銘の臨書と、今日の臨書を比べている。

皮膚は年季が入ってきてはいるが、皮膚の中に、骨格と筋肉が入り込んでくれた模様である。清滝を散歩するようになって早いもので五ヶ月経つが、この影響をきっかけとした変化であろう。散歩に時間を使ったため、書の時間は少なくなっているが、書の時間を増やして得られるのとは違う線質の変化を見ることができる。好んで見ている物、これまで学んできたものが、複合して、線質に現れている。

 

臨書なので極力似せるように書いてはいる。まあ、しかし、多少の違いは諦めて、書き直しをせずに、書き進んでいる。また、九成宮醴泉銘は石碑で、彫りの影響を免れ得ないが、そこは、墨跡らしく角が丸みを帯びるように注意している。

5月の連休が近づいている。ここらで、書に集中する準備を行う。散歩を減らして、書の練習量を増やした状態で、連休に突入してみる。連続した休暇は貴重である。休暇4、5日目頃から、指先が良く動くようになる。

 

 

 

 

2008.04.07 散歩

2008.04.05(土)

嵯峨野からトンネルを通り清滝に入る。トンネルの少し前からであるが、清滝は愛宕神社の境内でもある。この辺りを境として、熊、鹿、猪などは嵯峨野の方へ行かない。猟師が出没する。

かっては、天狗もくらす、山の民の住むところ。清滝川沿いをいつものように散歩する。平地の民が住むところは、今桜が満開である。清滝は、椿が、にぎやかに花を付けている。

椿は12月ころから少しずつ花を付けだしていた。桜と時期を同じくして、一斉に花開いた。

この辺りは、常緑樹が多い。冬と景色はさほど変わらない。空海ゆかりの神護寺も近い。境界近くの山の民の住むところに、寺、書そして空海が現れるのは人の世の自然でもある。

山中五峰といわれるこの辺りには、唐の五台山に模して、朝日峰白雲寺、大鷲峰月輪寺、高雄山神護寺、竜上山日輪寺、鎌倉山伝法寺の五寺が設けられ、平安の世を迎えた。

楷書の極則といわれる欧陽詢の九成宮醴泉銘が書かれたのは唐時代である。

一波三節として、押さえて引いて押さえてというように横画を書く方法と説明されている。もちろんそういった方法で書かれている場合が多いのだろう。

ただし、このような書き方は、唐時代に完成された九成宮醴泉銘のような書とは無縁である。ここで古典書法というのは、九成宮醴泉銘のような書についてである。

行書の理想として示されたた王羲之の集字聖教序も唐代である。

清滝を散歩するようになったのは、九成宮醴泉銘そして集字聖教序を臨書していて、渓流の地、森を感じたことをきっかけとしている。

 

書は、渓流の地、神事や仏事に縁が深い。神事と言えば、、神棚で使用するような白い焼き物の道具は、雪の渓流の地を思い出させる。冷たく澄んだ空気、渓流そして木々のほのかな温もり、そこでは、自然の神は身近だ。日本的な焼き物はこれかもしれない。

 

川で泳ぐ魚をぼんやりとながめては時間をすごす。水と木々が生み出す気を感じながら、ゆっくりと歩き、立ち止まる。

最近は、空也の滝へ向かい、清滝から高雄に行く別れ道よりさらに空也の滝の方へすこし行ったところで、湧き水を汲んで帰る。立っているおいしいと評判の水である。他の水と飲みくらべると良く分かるが、冷たく感じる。この場所の近くで汲んだ別な湧き水と並べておけば、結局この水の方に手が伸びる。適度に甘く、固く、冷たい。書にも使用しているがさすがに、皮膚感覚としてはこの堅さ甘さを感じることはできていない。4、5日連続して休むことができる際に、集中して書に取り組めばひょっとしたら感じることができるかもしれない。

そうそう、結局のところ、今は、楷書に沈潜中である。渓流の地を散歩するようになり、書法も、変わりつつある。より書きやすい筆運びを自然とするようになりつつある。

そっくり真似するように臨書しているのであるが、欧陽詢の書法と違ってきているのだろう、なんとなく感じが違う。これ以上進むと、九成宮醴泉銘の臨書は難しい。ゴールデンウィーク中にでも、半紙6文字で、九成宮醴泉銘の臨書に集中してみる。この辺りが、九成宮醴泉銘を臨書する最後のチャンスである。

年齢と、その時に身につけて自然に現れるようになった書法により、できることとできないことが出てくる。昨年レベルの九成宮醴泉銘の臨書をしようとしても、できないところがある。

これをもって、楷書の区切り、となって欲しい、気がしないでもない。これも、意図してどうとなるものでもない。

さて、愛宕山の麓にある茶店で食事をする。最近のお気にいりは、お寺のごちそうであるぶっかけうどんである。食後に抹茶をいただく。おそらく水もこの地の水を使っているのか、とてもおいしい。今日は定食で食べたのでお腹がいっぱいだ。疲れもとれたが、こうなると、散歩をするというよりは、ごろごろしたい。

さて、平地へ戻ることにする。今、桜が満開で、京都は観光客で混雑している。バスも時刻どおり来そうにないので、トンネルをくぐり、嵯峨天皇ゆかりの大覚寺に隣接している大沢の池に歩いて向かう。

池の周りを、適度な間隔で桜が取り巻いている。少しつかれたので横になる。日差しがきついくらいである。ぽかぽかだ。ときおり吹く風はさわやかである。池の向こう側は、嵯峨野の山並み、人家は見えない。水、桜、ぽかぽか陽気、すがすがしい風。しばしまどろむ。

世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし

どうも、しっくりこない。ただいまである、そう、唯今、桜の花が満開である。自然とこころが楽しんでいる。思い惑うのはなぜ、在原業平は平城天皇の孫である。伊勢物語などは、嵯峨天皇側が・・  まあ、やめておこう。ここは、嵯峨天皇ゆかりの地だ。

なにか気持ちが良い、なかなか起き上がることができない。もうしばらく横になっていよう。

さて、もう少し横になっていたいが、すこしがんばって、起きる。名古曽という看板がある。ここは名古曽の地と呼ばれたのか。勿来であれば来るなということか。その近くに立て札があり、嵯峨天皇の詠が紹介されている。

道俗相分経数年 今秋語晤亦良縁
香茶酌罷日云暮 稽首傷離望雲烟

空海と別れて数年経ったが、今は秋、また語りあうことができた喜び。

そして、離れなければならないことを傷み雲煙を望むといういうような詠である。

空海を道、自らを俗そして空海に対して稽首(けいしゅ)し、離れることを傷む。嵯峨天皇の空海・・・

嵯峨野の嵯峨(さが)は、境(さかい)。道と俗、山と平地、そして獣と人間を分けるところである。

広沢の池にも足を伸ばした。ここは、朝日が昇る時分に何度か訪れた。朝靄(もや)と朝焼けが運良くかさなると、神秘的な景色になる。畑が広がり、人家が少ない。平安時代も、似たようなものであったのだろう。

今日は、嵐山付近で車が渋滞している。バスはあてにならない。そのまま歩いて、渡月橋に向かう。渡月橋の近くには、後嵯峨天皇陵のある天竜寺がある。渡月橋から大堰川を上流の方へ向かうと、松籟庵という近衛文麿の別邸を使った料亭がある。コーヒーを飲みにときどき立ち寄る。4時半頃までには間に合わない。営業時間を過ぎてしまうので、今日はあきらめよう。ここでは不思議なほど疲れがいやされる。近衛文麿は、名字からすると、皇后を生み出してきた藤原家の嫡流だ。藤原道長とも血がつながっている。しかるべきところに別邸を持っていたことになる。後嵯峨天皇陵にも近い。

 

2008.04.06(日)

骨董市がある。朝から、これまた空海ゆかりの東寺に向かう。今日は、15世紀ものの李朝時代の天目の花瓶と13世紀ものの高麗時代の青磁水差しをつれて帰ることになった。ちょっと見には、連れ帰ることに気が進まない。しかし、これらは、今の世では作ろうとしても作ることができない善いものである。

朝鮮半島のこの頃に焼き物は魅力的なものが多い。まるで自然が作り出したようなものがある。人が創る自然である。

鶏龍山の焼き物は有名であるが、おそらくここも渓流の地、唐の五台山を模したお寺が、その昔はあったのではなかろうか。今日連れ帰った焼き物も、やはり自然の豊かな渓流の地を感じる。朝鮮半島の人々は、自然を作ることができた。

ところで、日本らしさの現れたものとして、自然の神を敬うのにふさわしい焼き物がある。清滝麓の茶店の主人に、作っていただいた、白い焼き物の硯、花瓶などもそうである。今、使用しているが、書事が森を敬うこころつまり森の神事につながってゆく。特に、硯は、これである。何年も探してきたがそれに出会うことができた。筆者の手の動きを想像してつくられた道具である。清滝の土も入っている。

この道具は、書に善い影響を与え続けることになる。道具とはそういうものである。いまだに、書をしているのか道具を探しているのか分からないところがある。数寄というのだろうか、どうすることもできない。清滝ではかって硯が作られていたので、空海も、この地の硯石で書をしていたのだろう。

抹茶を飲むようになって日は浅いが、茶碗はお気に入りの物がいくつか手元に舞い込んできてくれた。宋代の天目茶碗、高麗青磁、李朝初期白磁、李朝中期の青みのある白磁、・・ それに、愛宕山麓清滝の茶店の主人につくっていただいた李朝初期白磁の写し、これは神事につかえる白さを持つ。

それにしても、近頃は、好みにあうものが、自然に押しかけてきてくれる。この不可思議な縁はなんなのだろう。古いものである、まあ、同じものは手に入らない。

最近は、好意に甘えいただいたり、物物交換が多いので助かっている。

さて、嵐山に向かう。今日も、嵐山は相当な人出だ。バスは当てにならない。昨日相当に歩いているので、今日はのんびりしたい。あまり、そこかしこに向かわずに、亀山公園近辺を散歩することにする。

松籟庵を予約し、天竜寺の庭を久しぶりにみる。後嵯峨天皇陵が近くにあるため感慨が深い。高峰顕日の書が思い出される。禅宗を通して、南宋から元にかけては中国とさかんに交流している。宋代の天目茶碗、高麗青磁茶碗もこの頃のものである。

竹林を通り、亀山公園に向かう。まず、展望台から保津川を眺める。中国風の景色が広がる。そして、少し下の方へ降り、ベンチで横になり、休む。

桜、そしてあたたかな日差し、今日も、唯今である。

少し昼も遅い時間であるが、食事にする。保津川を見下ろし、岩田山の桜を眺めながらであるが、テラスで食べる。場の持つ気のせいか、身体が楽になる。さて、

大堰川沿いを渡月橋へゆっくりと向かう。人で混雑しているにもかかわらず、ゆっくりと時間が流れる。昨日、今日のことが思い出される。桜が綺麗だ。

そろそろ戻る時間。なんとも名残惜しい。 それにしても、ここ何年もの間に、行ってきたことが、びっくりするような形でつながってゆく。おそらく、手元に来てくれたものから判断すると、朝鮮半島とは、なんらかの形で、さらに深い縁をもつことになりそうだ。

古典書法は毎日のことである。焼き物も、手に取っては使用する。手が判断するに、古典書法は中国文化の神髄、焼きものは朝鮮半島文化の神髄である。日本の文化の神髄は、手探りしているのか、あまりに身近で気づくことができないのか、思いあたるところはあるのだが、自信が持てない。おかしな話である。

・・・ 

黄昏が迫りつつある。黄金の時間、踊っていた気持ちが、不思議な落ち着きを持ち出す。細胞の一つ一つの中にある水が、無風の湖面よろしく鏡のように静まる感じである。

 

名残惜しいが、さて、戻るとするか・・・。

 

 

 

 

 

2008.04.04

世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし

在原業平の歌であるが、業平は、空海と最澄で言えば、最澄側である平城天皇の孫にあたる。

世の中に絶えて桜がなかったならば、暖かくなり、桜の咲く、春は、心がどんなにかのどかなことだろう。

とも読めるようにという感じであろうか。

花の次は、緑の葉そして秋ともなれば、様々に葉が色づいて楽しませてくれる。葉を落としては、花を思い、芽ぶいてはもうそろそろとこころが踊り出す。

今、京都は桜が満開である。風に舞う花びらも見られ出した。明日は、出かけるつもりだ。

空海側の嵯峨天皇に縁が深い大覚寺の近くにある広沢の池あたりを含めて、桜を見ながらのんびりと散歩してみることにする。

 

 

 

 

 

2008.03.22 日本の書に現れた古典書法

今日は、粘葉本和漢朗詠集を臨書していた。

粘葉本は、漢詩と和歌が混在しているが、漢詩の漢字は、楷行書、行書そして草書がそれぞれ使い分けられて、混在している。さらに、和歌の仮名も、草仮名と平仮名とが使われている。漢詩と和歌、漢字と仮名、さらには、楷書、行書、草書、草仮名、平仮名と、種々の書体が、調和し一体となっている。

文字の形は、中国の古典に学んでいる。

ただ、筆使いのほうは、やはり、中国の古典書法とは、違う。

筆を指先で固定して握り、筆先で軽く書いてゆくと、真似しやすい。中国の古典書法的に筆を使うと、漢字と仮名が調和しない。

筆の渦旋が伴っているのではないかと、いろいろ試してみたが、結局これが結論である。

見ただけではわからなかったが、これで納得できた。しかし、この書き方は、中国の古典書法に比べると疲れる。あまり長時間取り組むことができない。肩も凝る。

ひらがなに取り組むことができる糸口が欲しいものであるが、仕方がない。

漢字を、粘葉本式と中国の古典書法式を切り替えながら交互に書いてみた。古典書法の特徴が良くわかり、興味深いものがあった。

書として、つまり粘葉本は、11世紀の中頃のものと推定されているが、和漢朗詠集は、藤原公任(955−1041)が編纂したとされている。これは、藤原道長(966−1027)の世に重なっている。

筆先のききと間の取り方を工夫することで、中国の古典書法と区別がつきにくいところまで真似をしている。見ただけでは違いがあるのかどうか確信がもてないほどである。

この筆使いであるがゆえに、漢字と仮名は調和する。漢字から仮名をつくり、漢字と仮名を調和させていった努力の後が見える。

粘葉本を生み出した頃の文化の高さが、実感できたとともに、切り捨てたものもよく理解できる。

 

 

 

2008.03.06 日本的な焼き物

黄櫨染(こうろぜん)という光の種類によって色を変える染めものがある。

茶色をした渋い布地が、後ろから光りで照らすと、真っ赤に燃えるような色に変わる。

嵯峨天皇が天皇の色と定めてから、天皇の正装にのみ使用されてきたとのこと。たき火を背にした姿は、太陽のようで赤く燃え、目にした人々は驚いたに違いないと説明されていた。同感である。嵐山の祐斎亭というところで見せていただいた。

なんとも不思議なものがある。

 

ところで、机の上の文房具は、高雄の神護寺など、近くに渓流のある山寺で使用したら似合いそうなものばかりである。

筆洗、水滴、水差しなど焼き物は、中国あるいは朝鮮半島の天目、李朝初期の灰青色、それに高麗青磁である。特に、高麗青磁は、人がというよりはまるで自然が生み出したもののようだ。自然と調和するというよりは、自然そのものを作りだしている。

焼き物以外は、例えば筆置きは、筆者が10年程前に作った竹製。とにかく、

自然と調和するあるいは自然なものが集ってくれた。

そして、硯はというと、黒っぽい石であった。最近までは。

 

今、使用しているのは、白っぽい陶磁製の硯である。必要最小限の材料で、墨を擦るという機能だけが存在しているかのような円形のきわめてシンプルなものだ。

清滝の土も混じっている。不思議なことに、筆者の墨の擦り方に合わせて作られている。

乳白色というか白っぽい焼き物であるが、これを、清滝の渓流沿いの景色を凝縮したような目の前にある小石と並べて、眺めているとあることに気づいた。

この焼き物は、悠久の時をとどめた岩を祭る神の器。墨、緑の葉そして水を敬う。

森の民の、岩に対し抱く気持ちの現れである。思いもかけず、書と共にできる日本的な焼き物に出会うことができた。

そう思いながら、かって作った竹の花入れを眺めていると、これも、岩を祭ることができる。

ここでも螺旋状であるが、渦旋して、竹に唯今。

昨日は、水を祭ることができる水滴を竹で考えて、試みに作ってみた。今使用しているが、これで善さそうだ。竹のことであるが、持っているもの、身につけたことが、そのまま活用できる。のこを少しさび付かせてしまったが、まあ、なんとかなるだろう。

焼き物は、筆者がつくるのではないので、なんとも言えないが、必然であれば、渦旋する。いままでのが、仏具の法具とするならば、進む先は神具。

 

 

 

 

2008.02.22 ただいま

渓流の地を訪れるようになってからであるが、

行書の筆使いで、楷書を書くように変わりつつある。書くスピードも上がってきた。

線も全般的に、渓流の地の影響が見ることができる。古典書法を始めた頃に、漠然と思い画いた方向とは違う。

善い自然が与える影響というのは、強く深いということであろう。古典書法は、何年もかけて少しずつ変化し進むものという印象があったが、善き渓流の地の影響というのはそういうものではない。

目標、計画あるいは管理とは、無縁の世界がある。

ただ、法を求め、研究し自分なりに工夫し試す。師の筆使いを見て学ぶ。善きものをみる。興味が持続することを祈り、実践する。

書法は、仏法を求めるのとは違い、墨跡という現実が常につきまとう。近づけば遠ざかり、遠ざかっては近づいてくる。しかるべき時がくるまでは進むこともなく、同じところを、ぐるぐると渦旋する。あるかないか分からない。それすらも分からないなにものが、指先を通り、筆先から墨と共に紙面で渦旋しては、この世に存在したかすかな跡を残す。

このようなものを知り得たことの喜びと・・。一度存在に心を動かしたが最後、渦旋が止むことはない。同じところを回っているようで、帰ってきては、今の後ろに、過去が透けてみえる。どうやら、螺旋状に、進んでいる。どこにたどり着くのかなどは、大部前に、気にすることもない。いつしか、自分自身が指先から現れるものを楽しみしている。

見聞きし感じたものが、抽象化されては現れる。そう、今、現れた墨跡が全てである。唯、今である。

 

(楷書は今筆使いが変化しているので、行書であるが、久しぶりに書を掲載する。)

 

 

 

 

 

 

2008.02.17 茶と湯

頭上は、やや高いところで木々に覆われている。向こう岸側の岩と木々を、遮るように、雪のカーテンが、ゆらゆらと揺れながら、、眼下の渓流に向かい落ちてゆく。ゆるゆると、細かな雪が、舞い出した。こんなにゆっくり降りてくるものなのか。これは、舞い降りるだ。粒が大きくなってゆくに従い、スピードが上がる。木々の緑の葉が雪に覆われてゆく。

際限なく、雪のカーテンが、渓流に沿って、降りてゆく。顔に当たる空気は、冷たいながら、なにか、やさしい。渓流を流れる水の暖かさ。そう言えば、生きている木は、発熱しているらしい。渓流の森の温もりの中にあっての雪。心と体が洗われ、具合のよくない気がどこかに消え失せてゆく。

清滝川の、お気に入りの場所で、ちょうどうまい具合に雪が降り出した。ここのところ週に一度は訪れているが、これはこれで格別である。

冬とは言え、緑の葉は多い。ツバキの葉など、つやつやとした緑には、特別な力を感じることができる。例えば、ツバキの葉を抹茶のようにして飲んだら、なにか特別な力が得られるような気がする。森の民が、太古、お茶の葉にたどり着くのは、さほど時間を要しなかったような気がする。

少し前に、自分で点てて飲み始めた抹茶は、今も続いている。グレードとしては、中ほどのものを求めたが、苦みの中で感じる甘みがお気に入りだ。このお茶で、特に気になるところがない。点て方も、色々試している。体調によっても味が変わる。なにはともあれ、おいしいと感じることができるので、これは、続きそうだ。

鉄瓶の薬罐で湯を沸かしているが、電磁調理器を使っている。そうそう、中国のお茶の道具である竹の茶盤は具合がよい。箱型で、蓋がすのこ状になっている。ここにお茶碗を置き、そして、湯を流す。お茶碗にお湯をかけて、埃を洗い流したり、暖めたりする。そう、お湯遊びである。

茶碗、鉄瓶、電磁調理器、茶筅、茶杓、ふきんそして茶盤、これで、手軽に書斎で、抹茶を楽しむことができる。

なにか習わないと、お茶を点てることができないようなイメージでいたが、個人的に楽しむのであれば、なにも、難しいことがない。

茶碗を大事にする心、緑の葉に対する思い入れはある。茶碗を使いたくて、お茶を点てることもある。持ち方も、茶碗とどう触れたいのかで決めた。そして、手の動きに合わせて、呼吸が決まるので、お茶をすするまでの、所作は自ずとそうなる。

薬罐からお湯を注ぐよりも、なにか柄杓ですくった方がよいとおもったため、柄杓を作りかけている。茶杓に作りも試みたが、これは、曲げるところで失敗した。始めに形を作り、火であぶり、曲げようとしたが、これは、×である。

失敗してから調べたところでは、一般的には、、形にするまえに、水につけて、・・・ということであるが、竹を、水につけるところが、生にあわない。どうやら、秘伝の方法を使えば、火を使いながら綺麗に曲げることができるらしいが、知りようがない。

お茶を飲んだ後に、少したつと、どうも、白湯が飲みたくなる。

茶碗は、天目の駒形のお茶碗に落ち着いた。釉薬が厚く。小振りながらずっしりしている。お湯が冷めにくい。油滴であるが、なにか鉄瓶に似た雰囲気で渋い。抹茶の緑が映える。書もそうであるが、肝心なもので、日常使うものはどうも中国の物になってしまう。

白湯は、高麗青磁の茶碗がよい。渓流の水底を眺めながら、白湯を飲んでいる気分になる。

お茶はこんな感じだ。筆者の場合は、茶の湯というよりは、茶と湯である。