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日々雑感

   研賜

2008.01.31 明日で

明日で、古典書法6年目の区切りである。

半年程前と、最近のことであるが、書で遊び、残した物がある。掲載しておけば、後ほど、自分自身の参考にすることも容易であるが、散歩を優先しているため、なかなか掲載できない。

形としては、小楷書が、6年目の成果であろう。筆使いの方は、多用する筆法が大きく変わっている。

かって、黄庭堅の書は、黒々とした墨使いで、大きく惹かれたものの、その墨使いを真似するができなかった。しかし、今の筆使いなら、真似も不可能ではない。

あまり使わなくなった筆法も、修得したことは決して無駄ではない。時々刻々変化する筆先の調子に合わせ、思うような線を書くために、どうしても使わざるを得ないものがある。無駄と言うよりも必要なものである。

朝鮮半島の焼き物、水遊びの道具、渓流の地、緑の葉、山、悠久の時をとどめる岩、茶の湯、水遊びとしての書と、興味と実践が拡散しているようで、結局、同じところをぐるぐる回っている。それに、書は、茶の湯からの類推で、墨の水とでもいったほうがよさそうだ。

ただ、自然と書くことができるようになった書を見る限り、停滞はしていない。さて、7年目はなにが現れるのか、現れないのか、楽しみだ。

 

 

 

2008.01.28

肉厚の艶のある緑色した葉っぱというのは、ある種のエネルギーをもつ。いにしえにおいてはカミが宿っていた。そんな葉っぱを、枯れた青磁の器に、投げ入れてあるが、渓流の地が思い出される。

最近、渓流沿いの道など、雰囲気の良いところを一日中、散歩していると、夕方頃に、身も心も、すっとすることを、何度も経験している。疲れなどはどこかに消え失せる。

渓流沿いというところもあるが、これは、一休み、あるいは食後に、いただいている抹茶のおかげでもある。

艶のある緑の葉っぱを粉末にして、飲むというのは、葉に宿ったカミを我が身に取り込むことになる。これは、やはり神聖な行為である。

人一倍寒がりであったのが、今年は、あまり寒さがこたえないし、散歩には、コートを必要としない。

思い当たるところは、コーヒーを、良く飲むようになったことである。こういっては、雰囲気がなくなるが、おそらくカフェインが主たる要因である。抹茶も、同じなのだろう。しかし、緑の葉が醸し出す風情を見ていると、抹茶にはそれ以上のものがある。

 

茶の湯というか、抹茶に自然に気がいったため、早速、茶碗を集めた。枯れた高麗青磁、李朝初期の枯れた青白磁、それに中国の古い湯滴天目の茶碗の、三つが、手元に早速やってきてくれた。

枯れた青白磁は、割れたのを好意でいただき、自分で綺麗に直した。高麗青磁と天目は物物交換である。

まだ、この集めた茶碗で、抹茶を飲んではいないが、青白磁は引き締り、高麗青磁はほっと落ち着くのではないかと感じる。

天目は中国のもので、独楽型、形としては、しっくりはこない。先の朝鮮半島ものは、自分でもなぜそう感じるのかよくわからないが、物の中に入り込みたいほど感性にしっくり来る。まあ、天目なので、これも抹茶の緑に合うはずだ。

しかし、抹茶に興味がなかったこともあり、朝鮮半島の天目の茶碗は、2度ほど、見送っている。それぞれ、まったく雰囲気が違うが、いまでも、未練があり、その形、色艶など思いだす。こんなことになるのであれば、あのときがんばっておけばよかった。が、アトノマツリ。

なにはともあれ、集まってくれた茶碗を休みの日に、使うのが楽しみだ。

茶筅と茶杓それに抹茶は、少し前に、購入した。茶杓は作ろうと思えば自分で作ることができる。樋竹も持っている。一番安価なものを求めたにしても、なにかなさけない気持ちになり、購入することを躊躇した。お茶の点て方は、お茶屋さんに聞いた。とりあえず、抹茶を楽しむ準備は完了した。

エネルギーそしてなになにというよりも、抹茶のうまさが理解できれば、長続きすることになる。おそらく、甘みよりは苦みの方に、より惹かれるような気がしている。何種類か、試してみることになるだろう。

 

 

 

2008.01.18 積み木崩し

趙孟ふの千字文を臨書していたのであるが、どうも、お気に入りの渓流沿い景色に比べると、力強さが足りず、変化も乏しい。筆使いに無理があるようだ。

より自然な筆使いを求めて、再び、筆使いを整理している。「一」でも、何通りかの方法で書くことができるが、それをどこの画で、使用するのかを、九成宮醴泉銘などで調べている。この画は、ここの形からすると、おそらくこの書き方であろうと試し、イメージと無理のなさから、筆使いを決めてゆく。

さて、一年前に、書いた九成宮醴泉銘の臨書と比較である。10ヶ月ほど、書はほとんど、この臨書のみで、最終的に書いて残した書である。

自然な筆使いが増えているが、一回では、この当時と比較できるレベルで書くことができない。当時の臨書は、ときどき見ていたが、徐々に、気になるところが増えてきていた。ただ、いざ、今、臨書しみると、当時のレベルに行くのはなかなか容易でない。細かいところはさておいて、全体的に通して言えば、気力が充実している。

普段、書の練習は、師の書き方を見、自分でいろいろ試し、工夫をして、また、師の書き方を見ることの繰り返しである。最近になってようやく、見えてきたことがある。筆者が言う見えてきたというのは、意図して似たような筆使いで書くことができることをいうだが、

幸いなことに、どちらかというと、見るよりも手指の方が進んでいる。それと思える書き方は多用しているのであるが、気づいていないため、使い分けに甘いところが多々ある。今回、意識できたところがあるので、整理が進みそうだ。あとは、自然に手指が動くように、続けてゆけばよい。

とにかく、楷書の臨書は、無理のない自然な指使いで、手本に似せてすっと書くことができた場合は、心と身体がそれこそすっとする。

再び、楷書に沈潜しても良いのだが、今は、自然特に渓流の地を散歩することが優先であり、気楽に、いろいろと試し、遊びながら書を続けてみる。

 

 

 

 

 

2008.01.04 遠い記憶

今回の冬期休暇は、趙孟ふの千字文の楷書を、臨書している。

清滝川沿いに、行くきっかけになった書である。豊かな森を感じだ。漢字を創り出した民族は、森の民。

まだ、政治、宗教、軍事など、混沌と一体であった頃、自然のカミに、祈り、誓い、伺うために、限られた人のみが、密かに使用し得た。

そして、筆使いに、遠い記憶を呼び起こす仕掛けを組み込んだ。文字を書く所作が、情報でもある。

清々しい水、雄々しい岩、肉厚の艶のある緑の葉、凛とした竹、そして人の創ったものであっても、森の気を感じ森につながるように生み出したものに、引きつけられる。古典書法はそのような感覚を増幅する。そして、今日、ついに火に気が向いた。市販のろうそくは匂いが気になる。おそらく、感性にしっくりくる炎があるはずである。焼き物は、作り手の手の感覚の他に、炎の力を感じていた。

書の道具により、水に感謝する。艶のある緑から柔らかな気を、悠久の時をとどめた石からは雄々しい気を、墨として筆に受ける。

水が、現したがっているものを、妨げることなく筆が動くように、書に取り組む。遠い先のことであるが、自分の手になったと感じる日はくるはずである。

墨は、水を濁すものであるが、それと同時に、水を集合させる。流れをとどめ、紙に水の神髄を残す。

岩、水の流れ、草、木、赤い実、花、苔、石、雨、冷気そして冬の日差し、霧、浅瀬、淵、魚、鳥のさえずり、気が静まるように暮れる、風、深山ではなく、人里、そして近く・・・・・・

遠い記憶の中にあるものが、呼び覚まされては消える。心が動いては、静まる。個の感覚というよりは、悠久の時の流れの中、無数の人が感じ、作り上げてきた感覚を共有している。通り過ぎるのではなく、その場に、少しでもとどまろうとする。今が連続して、流れ、とどまる。

 

参考「文房四宝

 

 

 

 

 

 

 

2008.01.01 

新年あけましておめでとうございます。

皆様の、ご多幸を、お祈り致します。

 

 

 

2007.12.28

清滝の智楽窯でいろいろお話を聞いたり、作られたものを見たりしていると、これは、現代でも、相当のものが、作れると感じることができる。もちろん、智楽窯のご当主のことである。要は、それを、求める人がいるかどうかだけの話である。

筆者の好きな枯れた高麗の青磁など、朝鮮半島の古の焼き物も、その時代に、それを求めた人がいたということになる。

紅葉が終わるとともに、清滝付近の渓流沿いの道は、ほとんど人が通らないようになった。落ち着いて散策できるので、筆者に取っては好都合である。

どうも、渓流があると、源流までさかのぼりたくなる。今週の月曜は祭日であったが、2回目の源流尋ねをした。一般的な人道から離れると、道がなくなるわけではない。無いように見えても、かすかにであるが、人の手が入った形跡が残っているところがある。そこをたどり、上ってゆく。

渓流沿いの道を離れると、植相が単調になってくる。里山そして渓流沿いの道に、人と自然の善き関わりかたの手本があるなどと思いながら、上る。ここ何年も、運動らしいことをせずに、歩くことは歩くのだが、特に、右手は、荷物さえ持たないようにして負荷をかけないようにしている割には、特別な人以外に踏み込まないであろうところをあまり苦にならずに、手足を使って、上ってゆける。

途中、ひいらぎがあった。鰯の頭とともに魔除けにしていたことを思い出す。肉厚の艶のある緑の葉というのは、なんとも力がある。この渓流沿い、注意してみると、椿が案外多い。ここは、自然のカミが遊びにくるところなのだろう。

さて、下りである。どこから上ってきたか分からなくなった。まあ、この方向に降りれば、上ってきたところ付近には、たどりつけるはずである。とびとびにある木をめがけて、点、点と伝ってゆく。土が柔らかにので、膝にショックをほとんど感じることがない。これが、地面が固ければ、膝を痛める年頃でもある。

んー、低いながらも崖か。ここは、足を踏み外せば、怪我をするな。ただ、ここも、人の手が入った形跡がある。植林のための通り道か。猟師か。

低い山であり、たいしたことはないにしても、血が騒ぐ。子供の頃、山で遊んだことを身体が思い出しているのか。それとも、もっと奥深くの感覚なのか。

心と体が、この場を楽しんでいる。こんな感じ、最近は知らない。オレ、アソンデイル・・・ 

・・・・・

どうやら、いつも歩いている渓流沿いの、あの場所に、たどり着けそうだ。下りは、あっという間だ。

 

水があるところでは、まむしに注意する必要があるそうだ。しかし、それにしても、今日は、金曜日であるが、明日も、行きたい。明日から冬期休暇である。長い休暇は、書のために書斎に籠もるべきか。そう4日目くらいから指が良く動いてくれる。

 

書き始め、筆先を整えるために、集字聖教序を臨書しているが、なんとなく、どこがどうかということは説明できないのであるが、喪乱帖の感じが入ってきている。これも渓流沿いを散策した影響なのだろう。

まだ、書は、自分の手になっている感じではない。ただ、この調子で、10年程か、続いてゆくのなら、なんとかなってくるような気はする。書に取り組む時間軸からすると遙か彼方であるが、日常の時間軸からすると10年は間もなくである。

おもしろいもので、趣味と仕事の時間の進み方が乖離している。そして、仕事の自分が、趣味の自分の庇護者である。趣味は、誰に気兼ねすることもなく、自分がしたいようにすることができている。求めるままに、今、この時を大事にしている。

いつか来るかもしれない日のための準備というよりも、今に意味があるのだろう。

 

 

 

2007.12.26 清滝

悠久の時を感じさせる岩場を流れる渓流の地に引き寄せられるように、週末になると、清滝に出かける。

天目山そして鶏龍山の天目の焼き物と、もしかしたら関連があるのではということも関係して、高雄、清滝を散歩し始めた。

清滝の地付近には、かって嵯峨焼きといわれる黒い焼き物が存在したらしいが、それはさておいて、愛宕山の登り口に、智楽という焼き物の窯元がある。古清水の再現に力を入れてる。茶店もされていて、お抹茶を頼むと、使用の茶碗は、窯元が焼いた黒天目の茶碗である。

今家にある朝鮮の天目の焼き物と、釉薬の艶あるいは手触りが似てる。日本的な完成度に加え、適度な手作りであることがわかる揺らぎがあり、筆者にとっては、違和感がない。なにか、安心している。窯元の主人の努力と力量によるのであるが、日本でもこのように茶の緑と調和する自然な焼き物が作れるのかという感じである。

天目で、中国と朝鮮と日本がつながるとともに、天目山そして鶏龍山ともに行ったことはないが自然の綺麗な渓流の地が与える影響の共通性なのかなとも思えたりする。

氏が力を入れている古清水は、乳白色の焼き物であり、今のものにはない落ち着きがある。土は、江戸時代において、仁清が使用していた土と同じものを探し、使用しているとのことであり、確かに、土の感じは同じものである。

茶店に顔を出されると、お話があまりにも興味深いため、ついつい長居をしてしまう。今良く考えれば考えるほど、焼き物に使うべき時間を、筆者の趣味に付き合わせてしまったようで、なんも年甲斐のない鈍感さかなと、反省している。窯元のお母さんも店を手伝われているが、この方のお話もやはり興味深いために長居をしてしまっている。やはり今考えると、度を超している。反省である。

筆者の鈍感さはひとまず置いておくことにして、この窯元の真摯な努力はいつか大きく花開き実を結ぶことになると楽しみである。

 

 

 

2007.12.110 進んでいる。

渋い、枯れた天目、青磁などに、花を入れては楽しんでいる。書斎に調和してくれるし、草花も映える。しかし、嬉しいことに、竹篭の花入れも、書斎と草花と調和するではないか。

蔓ものもいれたかったため、虎竹の長宗全に決めた。さっと見た範囲、調べた範囲では、竹篭は、長宗全を含めた宗全型が良い。ただし、宗全型は大きいものしかない。・・・

白竹は青磁、煤竹は天目に相当する。煤竹はおそらく入手できない。染めた物は飽きがくるので避ける。んーー、虎竹はどちらかと言うと素朴な感じだ。花を入れて見ると、李朝のなにか絵柄が入った焼き物のように、ほっと一息つくことができる。

竹寸胴であれば、煤竹でも作ることができる。草花に合わせて、長さも自由だ。ただし、しばらく道具を使っていないので作れるという確たる自信はない。

白竹の寸胴は、ある種の緊張感があり、祭器とすることができそうだ。そう、切り口が命だ。

竹に対しては勘が働くので花入れとしてであってもそれほど試すことにはならないだろう。草花、置く場所、そして目的に合わせて、天目、青磁、宗全篭、竹寸胴などから、選んで使えば良い。

自然、それも里山に目を向け、散歩する場所は嵐山、嵯峨野、そして愛宕山の麓、さらに竹寸胴・竹篭の花入れ、里山の草花というように、日本それもごく身近なものへも気が向いている。おそらく吸い込んでゆく雰囲気はいずれ指先を通して抽象的に現れる。

好んだものの意味が分かってくる。まるで、なにか最近、準備を急いでいるかのようだ。いままで、おこなってきたものが、つながってゆく。思いもかけないタイミングで、それと気づく。こうも、連続しつながり、そして進んでゆくと、なにかが起こりそうな気にさえなってくる。

竹から始まってはいる。そして、次は、焼き物。どうやら、ものは、書に関係する祭器を探していたようだ。

欲を言えば、筆硯は、さほど大きくなく、なにか、悠久の時を感じせせるものがあればと思う。小筆に使用する。これもそのうち、ひょっこりと現れるのであろう。そんなものである。

 

 

 

 

2007.12.09 水

やはりというか、この枯れた青磁の梅瓶は、水を祭ったもの。水をしっとりと吸い込み肌合いを変化させる。水以外につかえば、よごれ穢れる。

 

阪急嵐山の駅を下りて、渡月橋の方へ、桂川沿いを歩いてゆく。晩秋、朝、晴れ、空気が冷たい。清滝の方を眺めると、山間に靄が見える。運がよい。・・・・・

愛宕山の麓、渓流の地を歩く。苔、草、木、岩など、しっとりとして、生き生きとする。冷気も、しっとりと、優しい。細胞の一つ一つが、しっとりとした冷気で刺激されて目覚めてゆく。気が満ちてゆくようだ。水か・・・

まだ、木々が少し、紅葉しているものがある。苔がみずみずしい。やぶこうじ、一両、苔に密着している小さな蔓草など、赤い実を、見かける。緑に赤、鮮やかだ。渓流の音、澄んだ水が、流れてる。小さな魚が、泳ぐ、まれに、見かける大きな魚は、ゆったりとしている。中ぐらいの魚を見かけることができないのはなぜだろう。

舗装していない山道、そこかしこに目を奪われながら、ゆっくりと歩く。渓流沿い、山道、歩きやすいし、疲れにくい。歩けば歩くほど、疲れがとれてゆく感じがする。楽しい、遊んでいるのか。歩く歩く、車の運転を止めて、良かった。古典書法に取り組み初めてから、よく歩くようになった。

水、草、木、岩はなぜ存在するのか、科学が答えることがない問いが頭に浮かんでくる。神の事・・・

生きるための糧を得るために、狩りをするとしたら、自分自身が狩られることがあるとしたら、神や仏が、必要になる。切実でもある。愛宕山は、唐の五台山を模したもの。仏教の聖地にしようとしたところでもある。

神事、仏事、山、川、・・・森、一つのもの。

天目山と鶏龍山が、天目の焼き物でつながり、趙孟穎の書からは森を感じた。そんなことを、きっかけの一つとして、愛宕山の麓を訪れるようになった。

秋は、野山にでかけたくなるのだが、今年は、紅葉が始まってから、休みの日にはここにいる。

皮肉なものである。書は文字にして情報を伝えるものである。それよりも、その書法に、つきつめれば、指先の動きに、なんというか情報が詰め込まれている。

動きに遺伝子が埋め込まれている。そのような動きをすれば、導かれる。ある行為をするように、ある物に気が向くように仕組まれている。隠されているものに、指先で歩き近づいては、気づく。

山寺に、書と空海が現れるのは、人の心の自然であり、仏の事である。

そして、王羲之が、集字聖教序で仏のことを書くのも、人の心に、自然に現れるもの。

みずみずしい、人と調和した自然の地を、歩くのは、神の事でもある。

山間民族。漢字を生みだした漢民族の始まりの姿。文字は、神への祈り、誓いを記す。

そして、悠久の時の流れのなかで、書法そのものに、書いても伝わらないものを悟る手がかりとして残した。なんとも人を人としてなりたたせているところの英知そのものである。

・・・・・

 

ん、ここは。

 

ここの空気は、梅瓶と同じ。

巨大な岩。眼前にも、巨大な岩が切り立つ。足もとには、渓流。この場は、すこし深い。水がゆったりと流れる。小さな魚が泳ぐ。頭上には木立、木立の間を、空が川のように流れる。左右少し離れたところは浅い渓流、水音が左右から聞こえる。

背中と左右は、ところどころ苔生した岩。巨大な岩は、時を止める。千年程度では、なにも変わりそうもない。悠久の時。足下は、澄んだ水。時が流れる。木々。森の中に、入り込んだようだ。居心地がよい。森の胎児・・・、特別な場だ。今、晩秋、水は空気よりも少し暖かい、数分であれば、泳いでも、大丈夫そうだ。禊ぎ。

古典書法も、水と遊ぶ。しかも、命の糧を得るための殺生と同じように、水を墨で穢す。そういえば、日本の墨は粘りけがきつく、墨は、水とはまったく別物になる。中国の墨に、よいものがある。にじまないように、濃く下ろしても、さらりとしていて、水の本質を失わせることがない。

いろいなものを、そのときそのとき、気になり集めたが、結局、目の前に残りつつあるのは、水を祭るために使用したもの。そして、水を墨で汚すことに詫びつつも、使わざるをえないもの。

これは、作法が必要である。枯れた青磁は、神事に、天目は、仏事に。祭り終えた水、梅瓶から、枯れた青磁の水注へ移し、天目の水滴へ注ぎ入れる。水滴から、黒い硯へ、墨を擦り、筆硯の墨池へ、移す。筆は、天目の筆洗で、洗い清めた後に、墨を含ませる。なんのために、ただ、続けている。そして、竹から作った毛辺紙へ向かう。

・・・

 

夕闇が迫る。お茶、食事の時、特別な岩場を除き、5、6時間歩いただろうか。歩けば歩くほど、疲れがとれてゆくような不思議な感覚のなか、闇とともに、踊っていた気が、すっと、水となって、細胞の中で、静まりかえる。体と心が落ち着いてゆく。そういえば、古典書法も、親指と残りの指を交互に歩くように動かして、文字を書く。同じくらいの時間、書に取り組むと、似たような、心地よさが訪れてくる。手の散歩・・

 

今、渡月橋近くで、大堰川そして岩田山を、見ている。ライトアップされた岩田山が、大堰川に映り微妙に揺らぐ。幻想的だ。水は流れているが、我が体の中の水は、鏡のように静かだ。さて、しばし離れていた浮き世にもどらなければならない。

 

 

 

 

2007.12.03 歩く

この秋は、休日は、嵐山、清滝、高雄など、渓流沿いの山道を、主に、歩いている。

清滝界隈の渓流沿いの山道を歩いていて感じるのであるが、この界隈は、人と自然の共同作業によって、結果として、自然が豊かになっている。

おそらく、草木の一部は、その場にふさわしいものを植えたのであろう。

しかし、基本的には、杉が多い。渓流沿いも、杉がある。渓流を離れるとなおさらである。こんな山の上の方、こんな傾斜のところまでと思うところにも、杉が植えてある。古の山の姿はどうであったのだろうか。

杉でないところは、比較的若い広葉樹、あるいは常緑樹で、もう晩秋であるため、雑草は少ない。

渓流沿いは、苔をそこかしこで見ることができる。小さな草というか木の葉に近い固めの質感の葉をしたさまざまな植物が、苔と共存している。森の中に森があるようだ。

清滝と落合間の渓流沿いの道付近は、規模の大きな手入れの行き届いた庭とも言える。草木の種類も豊富で、煩雑でない。

見所が多い。水もきれい。岩も面白い。形といい配置といい、絶妙である。京都の庭は、この界隈を手本にしている。倣えているほど、洗練された感じになる。京福嵐山駅、道路を挟んで向かい側にある清滝行きのバスも止まるバス停近くにある豆腐屋さん、天竜寺に行くのに、庭を通り抜けしても良いが、清滝付近、渓流沿いに良く倣っている。

なんとなく、自然にであるが、庭を見る基準というか、好みが出来上がってしまった。

清滝・落合間は、約1.5km程度の山道であるが、往復で、2時間程度かけて、いろいろ眺めながら、ぶらぶらと歩く。時間の過ぎるのが早い。

次の休みの日にも訪れようと思う。通常秋は、こうして出歩くことが多い。今までは、嵐山から嵯峨野までであったが、今回は、清滝、高雄、愛宕山まで、歩いている。

もちろん、食事や、お茶で休憩を取るが、一日中歩いている。しかし、疲れを翌日に持ち越さない。休日明けも、さわやかな気持ちで、一日が始まる。うーん、なにか不思議である。

そうそう、渓流をずっとさかのぼり、水がどのように湧き出しているのかも確認してきた。

谷になりかかりのところで腐葉土が湿っている。また、大きな岩のした、むき出しになった木の根のところから、ちょろちょろと水が染み出している。ある場合、それは再び腐葉土に吸収されて流れが途絶える。なるほど、雨量によって、水が染み出す位置は、上へ、下へだ。

水溜り、そして、何箇所のちょろちょろとした水の流れが集まり、ひとつの持続的な水の流れとなる。徐々に、はっきりとした水の流れとなる。そうした流れが集まり、大きな流れになってゆく。護岸工事をしてコンクリートで固めていない限り、水は、そこかしこから、湧き出し、染み込んでいることになる。当たり前であるが、よく実感できた。

 

 

 

2007.12.02 点と線

天目の焼き物を通して、中国の天目山と韓国の鶏龍山がつながった。

天目が日本に生来されたのは、後嵯峨天皇時の頃である。後嵯峨天皇と言えば、高峰顕日の遊高雄山詩である。(「空海」の後ろの方に関連記事掲載)

ということで、天龍寺近くの渡月橋から高雄界隈、ついでに、空海に関係の深い嵯峨天皇の離宮であった大覚寺そして嵯峨天皇陵などと、嵐山、嵯峨野、清滝そして高雄を、11月23、24、25そして12月1、2日と散歩してみた。

さらに、清滝が登山口である愛宕山には、中国唐時代の、仏教に関係の深い五台山にならって、作られた寺が、あったという話を聞いた。

古典書法から感じることができる豊かな自然、朝鮮半島、高麗時代の枯れた青磁、そして天目の焼き物から感じることができるこれまた豊かな自然。

今回の散歩した地は、古典書法に関係が深い唐、そして南宋に関係が深いところである。唐は、嵯峨天皇を通して、南宋は後嵯峨天皇。

嵐山、清滝、そして高雄は、渓流沿いが、特に善い。これまで、見過ごして来たが、苔が目にとまる。そして、小さな草木。森の中に、森がある。

清らかな水の流れ、赤や黄色など色づいた木々、様々な草木、花、清き流れに、魚が泳ぎ、鳥が鳴く。竹が風に揺れ、葉が触れ合い、水の流れのような音を出す。

おそらく、中国の五台山、天目山、朝鮮半島の鶏龍山には、清滝付近の景色と同じものがあるはずである。渓流、草木、寺、政治、そして書。

緑の葉も、鮮やかに色を変え、そして散り落ちては、養分となり、草木を育む。虫、魚、動物、そして人間が互いに、関連し合い、共に生きては枯れる。

豊かな自然、そして森深く入り込むと、自然と感じる気持ち。森、山岳信仰、仏教、政治、そして書。

分断されてバラバラであったものが、筆者の中で、一体に成りつつある。

気の向くままに、歩いて来た。何度も、同じところに足を運ぶことも気に任せた。

焼き物もなぜ止められないのか不思議であるが、最近、人が作る焼き物としては最高のものと感じることができる焼き物を手に入れた。枯れた青磁の梅瓶であるが、これはどう見てもこれは祭器で水を入れたものである。

高麗時代のものなので、祭りごと、仏事であり、自然の綺麗なところにある寺で使われたはず。

筆者は、筆洗へ入れる水入れとして使っている。筆者の場合は、古典書法に使用するので、法事に使用している。

気の向くままに歩いている。気になると何度も同じところを歩く。そして、そのような場所が複数ある。そして、気に止めた複数の場所が実はつながっていることが分かった。

分断されていることが当たり前になっているため、近い所にいながら、気づくことができないでいただけである。

その昔、森、森に入ったときに抱く気持ち、宗教、政治、そして書は、一体のものであったということを、極自然なことと思えている。

(乱筆乱文、願容赦)

 

 

 

 

2007.11.19 黒

約1年半ほど前、朝鮮半島の焼き物に本格的に気が向きつつある頃であるが、この頃は、腑に落ちる黒い焼き物を探していた。

結局、黒天目あるいは黒高麗と言われる焼き物に落ち着いた。黒天目は、色艶も宋であるが、それとともに、手積みで作られており、書に通じる感度を感じることができる。もちろん全ての黒天目がそういったものではなく、黒天目で手積みの善いものに強く惹かれるということである。

完璧」で紹介している水滴は、黒を探している中で、出会ったものであり、このころは、朝鮮半島ものとは思ったが、よく分からなかった。

その後、韓国旅行をしたときに、似たようなものを見かけたことから、朝鮮半島ものと思い込んでいた。

色は、黒までいかなく、宋天目といわれる赤みのある黒よりもさらに色が薄い。いろいろなものを手にとって来た結果として、理解できるのであるが、これは、天目釉の一種である。そして、高台が無いことから言えば、中国のものである可能性が高い。

高台の件は、最近、朝鮮半島ものを扱っている骨董屋さんから得た情報である。

しかしというかなんというか、この件は筆者にとっては衝撃である。朝鮮半島のものよりも、朝鮮半島のものらしいこの水滴が中国のものである。

天目という名は、鎌倉時代に禅宗のお坊さんが、天目山にあるお寺で修行し、お寺で使われていた”天目釉”の茶碗を持ちかえったことに、由来を持つというのが通説である。

この水滴は、ユーモラスでなにかほのぼのとしたものがあるが、造形は厳しく、フリーハンドの手仕事としては、完璧であり、草花とも善く調和する。森、山、川、草木など豊かな自然の中にあるお寺でお坊さんが使っていたとすると腑に落ちる。

一般的には、中国の宋代以降のものは、精緻であるが人工的な感じがする焼き物が、本や美術館でおなじみである。いわゆる、豊かな自然の中にあるお寺で使われたという感じがまったくしない物ばかりである。

そういったことを考えると、世に紹介されている中国など焼き物の歴史は、古典書法などとは無縁の人が、形作っていっている面がある。

自然と調和が必要なこの時代にこそ、有る意味、そういった物の見方は大事になってくると思われる。

 

 

 

2007.11.18 遊天目山詩

今日は、祇王寺に行ってきた。次の土日くらいが、紅葉の見頃になりそうな雰囲気であったがなにか妙である。高いところの一部で紅葉が済んでいて、それ以外はまだ紅葉していない。紅葉し終わった葉が、茶色になり縮まった状態で散り落ちてきていた。去年は、焼き物に気を取られていて訪れていないが、通常は、毎年、秋になると何度か祇王寺を訪れる。

今日は、嵯峨鳥居本辺りの山も散策した。道ばたの苔や小さな草木を見ていて気づいたのであるが、苔庭、紅葉、竹、草庵、庭のちょっとした草木など、祇王寺はこの界隈の善いところを、えもいわれぬほど具合善く凝縮したようなところがある。

祇王寺は、開門時間である9時に入り、人が多くなるまでの間、約1時間ほど楽しんで、引き上げた。このようなところで書や画に取り組むことができたら具合が良さそうだ。

 

ところで話は変わるが、どうやら筆者は、日本で言えば鎌倉時代の中期頃になるのだろうか、宋代の中国の天目山を散歩して、楽しんでいるようだ。

おそらく嵐山嵯峨の散策イコール宋代の天目山の散策でもある。

森、山、水、草木、仏教、嵐山嵯峨野、竹、王羲之、趙孟ふ、・・古典書法、茶、藤原家、後嵯峨天皇の遊高雄山誌、中国そして朝鮮半島の焼き物、天目山、鶏龍山などが、互いに結びついてきている。

そのうちに、しっかりと調べてみるつもりだ。今は、ファーストインプレッションでものを書いておく。

焼き物の方へ向いていた気が、少しずつであるが、戻りつつある。まだくすぶってはいるが、徐々に、落ち着きを取り戻しつつあるようだ。

 

 

 

2007.11.12 天目

中国の天目と朝鮮半島の天目に気づき、それらを生み出した土地に思いをはせた結果として、王羲之の集字聖教序、そしてなにより墨跡の残っている趙孟ふ書の後ろに、本人の見た森、山、水、草木などが見えてきている。豊かな自然が、書に大きな影響を与え、影響を与えたものの善さが、ひっそりと書に現れている。

右は、5年ほど前に、書いた文であるが、「川を良く知れば、川の流れのように、思い行うことも可能となる。」ことの意味をかみしめている。

高麗青磁のうち、釉薬が粉っぽい状態になった緑色したものがある。粉青沙器、日本での呼び方としては三島の生地である。鶏龍山の焼き物も同じ生地である。

天目、黒高麗と共に、筆者が文化的に深みを感じる焼き物の一つである。

天目、黒高麗、素文三島は、一輪挿しに使用してみると、花と良く調和する。一輪挿しとしないまでも、そのままその辺においておいても、見飽きることがない。形も自然で、手慣れた法を感じることができるものが多い。

高麗の焼き物は、ガラス質の青磁が高名であるも、こちらは、どちらかといえば工業製品に近いと感じてしまう。

 

中国において、書法は、豊かな自然の中で、自然を書き写すうちに、なにより自然の生気を写し取るために発達して、より抽象的な書に、昇華していったのであろう。

趙孟ふなど自然によりよくふれあい書いたものに近づくためには、書法を学ぶとともに、善き自然と楽しみながら触れ合う必要がある。

そうすれば、森を見れば森のような、川を見れば川のような、草木を見れば草木のような文字を書くことになる。

と確信できる。

 

摂理(善き動きに内包されている深淵な意味)

強靱な意志は、極限まで生理的欲求を抑え、容易に自分の身を痛めることができる。

逆に薄弱な意志は容易に生理的欲求に従いこれも自分の身を痛める。

いずれも大切な自分を痛める悪い行いである。心と体が調和していない。

善き文化を成立させる動きを修得することはとても重要である。

深遠な文化を創り得た動きの中には、人の英知の真髄が静かに隠れ済む。人ひとりがその一生の中で試行錯誤したのでは決して到達し得ない物が存在する。

その動きを習い、繰り返し繰り返し練習し、微妙で繊細なところまで修得する過程において筋肉に、神経に、脳細胞にその真髄がしみこむ。

歴史の中でその善き物を作り出した人々の、維持継承した人々の、発展させた人々の息遣い、姿勢が、物の考え方が、この身に移る。

歴史が長く多くの人々に影響を与えてきた動きであるほどに、それを駆使できた人は、高い次元で心と体が調和する。

自然は、水が高いところから低いところへ流れるように、宇宙の摂理に従い、存在するもの相互に関連し無理無駄がない。

人の行いも本質は同じである。

自然の摂理が身の動きとして現れるように筋肉に、神経に、脳細胞に覚え込ませる。川を良く知れば、川の流れのように、思い行うことも可能となる。

 

 

 

 

 

2007.11.5 天目

天目が気になって、調べている。

朝鮮半島の焼きものに、少し茶色が入った黒の天目釉の表面に、本当の金を塗り、焼いた焼きものがある。金箔を貼ったのようではなく、天目釉の中に、変化に富んだ状態でとけ込み、金ぴかということではなく、落ち着いた色合いで、侘び寂びを感じさせる。書き物によれば、金は、ある温度以上になると、土の中にとけ込んでしまい、どうやって作ったものか分かっていない。

そうして考えると、朝鮮半島ものとしては、天目は特別な焼き物であったように思われる。まさか、金を使って飾るくらいのもである。天目釉と金とでなんとも魅力的な様子となる。金を雑器には使用しないはずである。

 

・天目とは、鎌倉時代、禅宗の教えを学ぶために、中国の浙江省の天目山で修行した僧侶が持ち帰った茶碗に、名の由来を持つ。

浙江省は、自然に恵まれた山水の地である。森と湖、筆者の好きな竹も豊富。

・中国の天目の焼きものは、侘び寂びそのものである。

・朝鮮半島では、中国の天目を真似て、自分のものとしている。

・日本でも、楽茶碗など、真似た形跡があるが・・・

・書画の面でも、重要なところ、王羲之を始め、ぐ世南、ちょ遂良、呉鎮、趙孟穎などを輩出。

・焼きもの、茶の葉、製紙業も特色あり、中国文化と東方美学の粋が集まっている。

 

そうか、森と泉に囲まれてか、中国の古典書法から感じるものの「一」は自然である。韓国の焼きものをとおり、やっと、書のルーツとなった地を実感できる。

朝鮮半島の焼きものへ向いていた気が、もう少し静まり、落ち着いて来た頃に、浙江省へ行ってみようと思う。

筆者は、嵐山嵯峨が、好きで、良く行くが、ここしばらく、朝鮮半島の焼きものに気を取られ、ご無沙汰していた。しばらくぶりにいったところ、良い食事の場所を見つけた。

松籟庵(しょうらいあん)というところである。食事時ではなかったため、コーヒーを飲んで帰ってきたが、森と川、何ともよい気が漂っていた。地から言えば、一番と思う。

おそらく、浙江省のしかるべきところに、筆者にとって、書を生み出した地、貴重で得難いと感じることができる場所が、存在しているはずである。比べるものではないのかもしれないが、その地では、嵐山嵯峨で感じるものと類似したものを感じるはずである。それもルーツとして。

筆使いよろしく、趣味の時間において、気の向くまましていることは、渦旋し、進んでは、元のところに戻ってくる。進んでいるとは思うのだが、元に戻る。

このような状態で前に進むことができるかどうかは、書から言えば、善い身の動かし方をしているかどうかかかっている。筆者の場合、その判断は、書くことができる書からすることになる。

 

 

 

2007.11.3 振り出しに戻る

見飽きることがないものの共通点を探っていたが、どれも、花入れとして使って、花を良く生かすことに気がついた。

10月31日に手元に来たのは、天目の耳付きの小振りの瓶である。高麗ものと思っていた。手慣れた手積みのような感じ、釉肌も天目であるが、自然のものであるように、複雑である。

もっているものの中で花入れとして使用して一番具合が良さそうでである。

のは、よいとして、今日、知り合いの朝鮮半島ものを中心に扱っている骨董屋さんにこれを見せたところ、高台から言うと中国のもので、醤油入れのような日常雑器であると、意見された。

朝鮮物にしては、薄作りで土の感じになにか微妙な違和感があることはあったのだが、柔らかな釉肌、好きな天目色、そして形の自然なゆらぎなどから、まさか中国ものだとは思いもしなかった。

なにか、一周回って、もとのところに戻ってしまったような気がする。中国ものに最近は反応したことがなく、まさか、侘び寂びそのもののようなこの焼き物が中国ものだとは思いもしなかった。

もうしばらく使ってみるが、なんなのだろう。

十五年ほど前から、始まった、工芸品への興味、日本のもの、次は中国のもの、そして韓国ものへと、興味が移り、結論みたいなものとして手元にきたものが、まさかの中国ものということになる。

日本そして中国の良いといわれているものへの、イメージは、固く、手業というよりは工業製品に近い感じであるが、これはまったく違う。

まあ、これ以上は調べようもないので、これは中国ものとしよう。

筆者が好きな竹は自然のものである。信楽焼きも一時興味を持ったが、手業というよりは、火業で、自然の力を利用したものである。朝鮮半島のものに、手業のそして、意図しない自然さの追求を見たが、中国の雑器にも似たようなようのがかっては存在したようだ。これは、古典書法に通じるものでもある。

 

なにか、区切りがついたような気がする。古い、新しい、安い、高い、どこで作られたか、誰がつくったかなどとは、無関係なところで、ものと関わることができそうだ。

それよりも、おそらく、なにか作られたものを求めるというよりは、生み出す方へ、比重が移ってゆくのではないだろうか。

走馬燈のように、過去のさまざまなことが、浮かんでは消えてゆく。がんばってということではないのだが、なにか達成感みたいなものを、今感じている。

 

 

 

 

2007.10.31 腑に落ちたような気がする。

一週間ほど前に、青花であるが、色合いの良い白磁を手に入れた。そして、なにか腑に落ちた。ジグソーパズルの最後のピースがはまった感じである。

飽きることなく使うことができるものがなにかを理解できたような気がしている。

そして、今日、好むところの線上にあると思われる焼き物が手元にやってきた。しばらく、使用してみる。

もし飽きることがなければ、書に集中する心静かな日々が多くなるはずである。

 

 

 

 

 

 

 

2007.10.27

古い、新しい、偽物、本物、好み、好みでない、善い、悪いに関わらず、朝鮮半島のものが流れてゆく。

物差しが形作られて、好みが姿を現してくる。見飽きないものを残して、いったんは受け止めたものを、静かに流す。少しずつではあるが、身の回りのものが好みのものへと変わってゆく。

購入、プレゼントとしてギブアンドテイクあるいは物物交換。一つのものが複数個になり、複数個のものが一つになる。好むところにおいて、妥協する必要もなく、流れるものは流れ、残るものは残る。とにかく、多くのものが流れてゆく。

書も似ている。さまざまなものを指先に通してみる。そして、大事なところを守っている限り、少しずつ、古典的な書法が指先に残る。

残ったものをみては、書くことができる書のレベルを推し量る。書いた書を見ては、残ったもののレベルを推し量る。そしてなにより、ものを見ては、示された道を思う。なにか、必然的なものを感じる。

好みのものに囲まれ、書斎は豊かである。書に、なにかがしかの影響を与えてくれているはずである。

 

手習いしている文人画の技法に共通するものをもって書かれた絵柄をもつ焼き物も、いくつか集まっている。画材とできるが、画に興味がいくのかどうかわからない。とにかく、楽しんでいる。書に割く時間をもう少し画の方に回せば、書に比べてだいぶとわかりやすく、古典的な書法の特徴を伝えられると思うのだが、しかしながら、これは思うだけである。

どうも、ものの方に気が行きがちで、書の取り組む時間を少なくしている。気が散っている状態で、本末転倒と思うこともあるが、根本的なところに対する善い影響を期待して、気持ちに任せて進む。

 

 

 

2007.10.05 神采

書法用語として、神采という言葉がある。生きて動く書に使う言葉である。基本的に、これは、筆を使い書くことによって、現れるものと考えていた。

朝鮮半島の焼き物にも現れているが、これは、柔らかい土をこねていることから、筆使いと通じるところがあるためと思っていた。

最近、朝鮮半島に木彫りものがいくつか集まってきた。それをみていると、彫った線、そして形に、神采が宿っている。

彫りは筆で書くことよりも力を必要とするが、やはり素材から返る力を感じながら、筆を使うように、彫刻刀やノミを使いこなしているのであろう。

今、木彫りの水鳥を見ているが、写実から遠く離れた、簡素な形そして彫りであるにも関わらず、まるで生きているように見える。蝋人形のように、細密に写したものは、、死臭が漂う。西洋は論外として、中国そして日本のものは、細密であっても、生きているいないとは無縁のものに見える。木彫りの水鳥はそれらのものと対極にある。生気とは無縁の精密なものは、工業製品をつくることと共通点が多々あることから、日本そして今後は中国が、工業的なもの作りの主役であるということは納得がゆく。

しかし、今後は、工業製品を含め人の作るものがどこに進もうとも、未踏のところに進んでいくときに、書やここにある木彫りの水鳥に神采を与えることができるものと共通する感覚をもって、多くの人が進んでゆく世界を見てみたい。環境問題といっても、自然との折り合いの付け方である。そう言った意味で、神采を付与するところのものは、これからの世の中にこそ必要なものと感じられる。

 

 

 

 

2007.09.14 自運の楷書の始まり

例えば「言」であれば、2画目の書き方を変えた結果、自運は楷書のリズムに近づいてきた。そして、大筆と小筆の使い方が似通ってきた。

今は、自運で洛神賦を区切ることは一休みとして、台湾で購入してきた本である趙孟ふの楷行書千字文を手本として、臨書をしたり、自運をしたりと、小筆で楷行書の練習をしている。残念ながら、この千字文は縮尺がわからない。かなり小さいので、おそらく1/3程度かと思われる。日本で、市販され本になっているのかいないのかは分からないが、部分的に焼け残った行書蘭亭十三跋に近く、手本にする意図があったためか、さらに、精度が上がっている。

趙孟ふの書は、角に丸みを持たせ、穏やかな雰囲気であるが、これは、筆力を線の中に内在させることによる。しっかりとした骨格に、綺麗な皮膚に覆われたしなやかで柔軟な筋肉を備えている。

王羲之の行書は、拓本でしか見ることができない。趙孟ふは、墨跡で見ることができる王羲之の行書そして唐代の楷書でもある。古典書法そのものである。

李先生から師へ引き継がれた古典書法も、目指すところは、趙孟ふが目指したところにある。

 

今年の一月末に、半紙六文字で、欧陽詢の九成宮醴泉銘を臨書することに一区切りつけて以来、自運として、行書のリズムで、楷行書に取り組んできた。

書く文字に比べ、大きめの筆を使用して書いている。趙孟ふの書の臨書であれば、もう一回り小さい筆を使用したほうが、真似しやすいのだが、どうも、書く文字に比べると、太めの筆を使用して書くのでないと、飽きが来てしまい、そのまま続けてきた。

どうやら自運としてではあるが、楷書へ戻ってゆくようだ。

素直に考えれば、半紙六文字の九成宮醴泉銘の次に、本来取り組むべきところへ、寄り道をしながら戻ったようだ。しかし、寄り道といっても、このおかげで、小筆を、大筆を使う場合と、感覚的として同じようなところで扱うことができるようになってきている。この感覚は、錐画沙(すいかくさ)や屋漏痕(おくろうこん)として伝えられている感覚でもある。砂に錐(きり)で画くように、天井の雨漏りの染み跡のようにという意味であるが、これは、筆先あるいは意識としての筆先を通すところは、画の中心として、紙と墨の境界は、砂が盛り上がるように、あるいは墨が染み出すようにして、自然と墨跡となって残るという感じである。角に丸みを帯びるのが特徴である。印印泥も同じ系統の書法用語である。つまり、印で印泥を押すと、印の回りで印泥が盛り上がるように、書くということである。

しかし、このリズムであれば、洛神賦を通して書くのに、丸1日いや2日以上はかかりそうだ。

とりあえず、自運の楷書の始まりである。しかし、自運の楷書である。書く文字に比べ筆は大きすぎるなど、試みる必要があるところが、いくつかある。相変わらず、先が見えないが、それもまたどうということでもない。古典書法は、続けていると、進んでいくため、自分の意志でしていることではあるが、どうなってゆくのか、どのように変化してゆくのかと冒険をしているような気持ちになる。

今回は、新しい感覚をつかんだので、筆を、さらに小さな筆としても、楽しんで書くことができると思われる。楽しみだ。

しかし、このようにして書を続けていると、書の見方も少しずつ変わってくる。趙孟ふの書は、徐々にというよりは、急激に高く見えだしてきている。

 

 

 

 

 

2007.09.05 パソコンの具合が悪く・・

パソコンの具合が悪かったため、8月7日以来の更新である。書のペースを落としたということではない。この間、自運で洛神賦に集中して取り組んできた。また、自運の隷書を多少進めた。

 

さて、行書の横画、すべてではなく、ある場合、例えば「言」であれば、2画目に使う技法であるが、書き方を変えてみている。

大筆を使う時の感触に近い状態で、小筆で書くことができる。しかし、なんというか、この書き方だと、行書のリズムで書きたいのであるが、楷書のリズムになってしまう。

思案はしているものの、しばらくは、楷書のリズムで、続けてみることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2007.08.17 福如雲

今日で夏期休暇7日目である。

洛神賦を、日曜日から、6日間集中して書いてきた。半紙を半分にした紙に、書いているが、日に日に、文字の大きさが小さくなってきていた。今朝は、この筆では、これ以上、小さく書くと、鉛筆で書いたのと変わりなく見えてしまうと思うのだが、まだまだ小さくなろうとしている。

明日からは用事がある。ペースダウンせざるを得ない。洛神賦を区切るには、もうしばらくかかる。

このような状態だが、洛神賦は、2年前にも同じ時期に集中して取り組んだ。比較してみて思うことだが、このまま興味が持続してさえくれれば、あって欲しい望ましい方向へ、自然と変わってゆくようである。

今回は、午後の時間は、散歩に出かけて、出先で、午前中に書いたものを眺めることにした。午前中も、肩が凝らない程度にペースを作り、書に取り組んだ。それでも、日曜日からこの6日間は、洛神賦を、一日、一回、一通りは書いてきた。

始めの頃の方が、のびのびと書くことができている。それに、今日の小さい文字は細部に粗が目立つ。文字の大きさが小さくなって、むずかしいところに入っているのだろうが、これでは、進んでいるのか戻っているのか、分からない。ただし、書を中心とした生活をしばらく送ったためか、やはり達成感なのか、不思議なことに、今晩は、どこからともなく、静かではあるが幸せな気持ちが訪れてきてくれた。

 

参考:洛神賦

 

 

2007.08.07 あくまでも私的な感想

中国の官用の陶磁器は、手技というよりは、型、治具あるいは工具の技と感じてしまう。また、絵柄も、古典書法と共通する線質を持つものは写真も含めて見かけたことがない。

しかしながら、例えば筆、筆者は師をとおして手にいれるのだが、その質に歴史と伝統、作り手の優れた技、そしてなによりも古典書法の理解が感じられる。日本の筆にはこの質感を望むことができないが、使用している材料と大きさが似通っている日本の筆と比べて、一桁以上、安い価格である。

紙、墨そして硯も、筆と同様で、古典書法用と筆者が感じるものは、普及品である。ものによっては練習用として扱われている。

古典書法自体は、なかなかに見かけることができないが、文房四宝に関しては、古典書法用は、普及品でもある。筆は、作り手が限られているのかもしれないが、古典書法に使用して最適なものを作ることができる人が存続してゆける環境が続いてきたようだ。

筆者にとっては最高品質のものが、低価格で入手可能ということになる。冒頭の官用の陶磁器は、正反対のものである。

この点から類推すれば、中国は生活に必要で、最高品質のものが、安価であるということになる。

古典書法用の文房四宝から感じる中国は、見かけはそこそこにしたとしても、本質を追求し、歴史と伝統を大事に守り伝えてゆく奥の深い国である。「銭進」の歌で象徴されるところのものと、正反対である。

 

 

 

2007.08.07 ご参考

飲み物で、生活のリズムを整えることができることが分かってきた。

朝食、昼食後にコーヒーを、夕食後には砂糖入りのホットミルクを飲む。

朝食後のコーヒーは眠気に良く効く。朝は、途中、3分ほど電車に乗るが、会社に着くまでに、延べで1時間10分ほど歩いている。それでも、コーヒーを飲むようになってから、午前中快適である。夕食後にホットミルクを飲むと、晩に1から2時間集中力して書に取り組むことができやすくなる。晩は、牛乳以外、例えばコーヒーは効かない。今までは、身体をしばらく横たえて、休むことで、書に集中できる時間を確保することが多かった。昼食後のコーヒーは念のために飲んでいる。

ただし、誤解のないように、コーヒーはブラックで味を楽しんでいる。砂糖入りのホットミルクは好物でもある。気持ちも落ち着く。

飲みたいあるいは食べたいと思わないものは避ける。サプリは苦手だ。

ほとんどの場合、三食ともご飯で、規則正しく食べている。バランスもとれているのではないかと思う。

 

 

 

 

2007.07.29 絶対善感

先日手に入れた実用的な硯は、朝鮮半島のものと思ったが、どうも、竹をかたどった取っ手を見ていると、中国のもののように思えてきた。文房四宝、つまり書の道具の本質中の本質はやはり中国、やっぱりかという感じである。

 

さて、自運の隷書をいつくか掲載する。裏打ちができていないため、掲載したのは書いた物の一部である。先日予告している。そんなところまで注目し、ご覧になっている方は、おられないとは思うが、約束を守るという感じで取り急ぎ掲載する。

隷書は、気楽に書くことができ、形を取りやすい。自由度が高く、完成された書体であると感じた。ただし、気楽に書くことができるのは、右払いつまり波磔の筆法を横画にも応用して、だいぶと筆使いを簡略化したためもある。自運は、一つ一つの文字の形を、工夫しないといけない。書き慣れるためには、それなりの期間が必要である。

 

古典の隷書としては、 史晨前碑を参考にした。手元の資料を、さっと眺めた範囲では、隷書の「欧陽詢九成宮醴泉銘」という感じがしたので選んだ。

隷書であれば今のところ史晨前碑、楷書であれば九成宮醴泉銘、行書であれば王羲之集字聖教序が、筆者の好みということになる。このあたりであれば、好む人も多いのではないだろうか。

これは朝鮮半島の焼き物にも共通しているのであるが、なんというか、相対的というよりは、絶対的に善いというものがあると感じている。

 

 

 

 

2007.07.23 隷書

洛神賦を書いていたはずであるが、今は、隷書を自分なりに工夫して書き試している。

 

行書並の気遣いで書くことができる筆使いを見つけ出した。楷書程、気を使わずに、より落ち着いた感じに書き上げることができそうだ。波磔を多用するのだが、波磔を線の中に内在させる場合と、明らかに外に表す場合を使いわける。波磔らしく見える波磔は、極力一文字につき一つに抑えて、どんどん書き進むようにしている。

 

実は、洛神賦を書いていると、書きにくい文字がいくつかあるのだが、そういった文字は、今の活字であり、古の楷書と文字の形が違っている。そのため、活字体と楷書の違いを調べていた。

筆使いの自然さを求めていることになるのだが、そうこうしていたところ、右払いや左払いの筆使いの自然さに気がゆき、結果として、気がつくと隷書に近い形で文字を書き始めていた。急ぐ旅ではないということで、洛神賦は一時休むことにして、隷書を調べることにしたという次第である。

隷書を八分と言うのは、言い得て妙である。左払いは王羲之の行書、右払いは、楷書の筆法を使う。そして、横画に右払いの筆法を応用する。縦画以外は、左払いあるいは右払いの筆法を応用できそうだ。

これであれば、気楽に書き進むことができる。書き慣れたら、楷書より早く、しかも長時間集中して書くことができる。意外にも、行書並に実用的な書体である。もちろん筆で書く場合である。

本当は、ここで、書いた隷書を掲載すべきなのだろう。そうしないと反省することができにくいため、だんだんと自信が満々となり、言い表し方が断定調になってくる。思いと実際の違いは、書に端的に表れる。そして、その時に気づくことができなくても、時間が経てば、自ずと見えてくる。しかしながら、赤面ものもあるが、よくがんばっているなと思えることもある。この辺りが、我流の書との違いである。努力というか集中して取り組めば、それに見合う物を返してくれる。

書いた隷書の掲載は、次の日曜日にでも行うことにする。

 

 

 

2007.07.22 硯

昨日の弘法さんで、古い硯を手に入れた。蓋つきで六角柱状の硯であるが、形が微妙にゆらいでいる。朝鮮半島ものを主に扱っている店で手に入れていることからも、朝鮮半島で作られたものと思われる。

硯として筆者が必要としている機能を全て満たしている。墨のおりも、砥石に素直に反応して、好みのところに調整できる。まずは、綺麗に洗ったので、外観は、さすがに、古びているところが目立ってはいるが、これは、使い込むうちに、適度に落ち着いてくる。

今使用している硯の気になるところはこの硯によって大部解消される。もう少し、使わないとはっきりしたところは分からないが、現時点で、おそらく、これ以上のものは望めない気がしている。

文房四宝の一つが、中国のもの以外になりそうだ。筆者にとっては大きな事件である。

 

この硯は、中国の硯への尊敬と理解そして朝鮮半島らしい改善を加えたところが認められて、大いに共感するところがある。

この辺りは、書においても共通している。朝鮮半島では、日本で言えば江戸期辺りでも、古典書法への尊敬と理解と修得が認められる書を、見かけることができる。

日本の書は、書法という意味においては、お気楽である。遠く、小野道風までさかのぼらないと、古典書法の尊敬と理解と日本的な修得を感じることができる書にたどり着くことができない。特に、江戸あるいは明治辺り以降の書家が、古典書法のことを言わんとしている場合は、実際に書き試すこととそして試したものと古典との違いを見ることというところがなんとも疎かとしか言いようがない。見た目の印象を、感情を交えてひたすら言い表している。

そう言えば、日本の硯は、古典書法と縁がありそうな形をしているものを見たことがない。やはりというか当然と言えば当然であるが、道具と書こうとしている書とは密接に関連するものである。

 

 

 

2007.07.11 字体と人体

今 午後21時頃、今日は、書のことであるが、調子が良い。ただし、洛神賦を通して書く程、この調子で、集中力が持続するとは思われない。やはり、平日の晩は、限界がある。

なんとなく、字体と人体について書きたいところがあるので、こちらの方に今日は時間を割いてみる。

 

4、5年前に臨書で、偶然に書くことができ、その後、自運としてはもちろんのこと、臨書であってもそのように書くことができないという経験をしている。ふと気づいてみると、4、5年前に、このように書きたいと思ったものに近い状態で、今は自運として書くことができるようになっている。もちろん、この間に発見した好むところのものを付け加えてはいる。

基本的に、偶然書くことができた好むところのものはおいておくとしても、4、5年前の良くできた臨書と自運のレベルが同じようなところにあると思うことができるようになったのも最近のことである。4、5年である。とにかく、自運は、臨書と比べると別次元の難しさがある。なにに、4、5年も要したかということであるが、

教えによれば、字体は、人体と同じであり、バランスのとれた骨格と肉、そして綺麗な肌を兼ね備えるべきである。

例えば、筆者の独学期間の行書は、この教えから遠いところある書である。骨格が感じられない、肉も、ゆるんでいたり、皮だけのようなところばかりである。紙と墨の境界のことであるが肌も、綺麗とかそうでないを論ずる以前のものである。

次に4年目のところで紹介している洛神賦は、筆先から返る力を利用して運筆し始めている書であるが、この時点でも独学期間の書の名残が見られる。肌に関しては、かなり改善はされている。骨格と肉は備わりかけているが、バランスの悪いところが多々見える。

そして、6年目つまりここ最近の書である。骨格・肉ともに芯が入り始めた感じである。肌はそれなりに健康的に見える。

というところが自己評価である。

見比べていただけると、なんとなく、字体の人体の意味が見えてくるのではないかと思うが、結局、字体を人体に例えて言えるところにたどりつくまでに、教えを受けてから5年程要したことになる。

 

歴史の中を眺めてみても、字体に人体を感じられる書というものはそう多くはない。そして、そういった書を、古典書法と言うことにしている。

言い過ぎているのかもしれないが、もちろん、筆者が言うことは、筆者が時々書いて紹介している書以下でも以上でもない。

 

 

 

 

07.07.07 手

韓国のテレビドラマ「チャングムの誓い」で、なんとも魅力的な手で、手際良く、料理しているシーンが流れる。いかにも、料理はおいしそうである。必要最小限の力で、材料の質感を感じながら、テンポよく、どんどん料理を進めてゆく。書とは分野が違うが、こういった善いものは、大いに書に参考にできるので、頭の中に映像としてしっかり記憶してある。

常思うことであるが、「美」という言葉を使用する状況というのはほとんどない。あえて使うとすれば、景色のことを書き言葉としてほめる場合であろうか。

まあ、近いと思われるところでも「綺麗」である。それも、綺麗ということばは、掃除を行き届かせた空間あるいは良い肌合いのものを見たときに自然に思い浮かんでくる言葉である。肌合いの方で言えば、赤ちゃんの肌がその最たるものだ。その他に陶磁器の釉肌についても使用する。書でも同じで、書において肌の部分とは、紙と墨の境界を言う。この部分が、中鋒で書きすっとしている場合に綺麗と自然に思うことができる。筆先を乱雑にして書いたものは、皮膚が破れているように感じ、痛々しく思え、苦手である。

美(うつくしい)とは、比較的新しい概念なのではないだろうか。筆者の中では、どうもしっくりこないなにか異質な世界の言葉である。

 

美はさておいて、なにか、善さというところで、チャングムの手のように、最近、世界が違った様相を帯びて現れてはじめるている気がしないでもない。もちろん筆者のものの見方の変化によるものである。

 

できないことで思ってもしようがないことであるが、このような感じ方をもって、30年程前にもどることができたら、おもしろいと思う。

 

 

 

2007.07.06 眠気

お茶は、禅宗において、眠気を防ぐために、必要とされたものという話を聞いたことがある。

どうも、何年も前からの悩みであるが、ほとんど理想的と思われるほど、規則正しく、生活をしても、昼間に、強烈な眠気が襲ってくることがある。

そのような場合は、コーヒーあるいはお茶を飲んでも、どうもならない。

しかし、古典書法に取り組んでからの生活の仕方を考えると、意識してできるところでは、もう改善できるところはあまりないと思われた。そこで、試しに、胃に合わないこともあって、控えていたのだが、コーヒーをいろいろな飲み方で試してみた。結果として、朝食後すぐに、濃いものを、飲むことにより、午前中に関しては、眠気がかなり改善できた。

試してから、一ヶ月ほどたつが、効かなくなるということもなく、調子がよい。生来である凝り性が出始めている。コーヒーも、ブラックで、それも味わって飲んでいる。苦みがきついものを飲むことが楽しみにさえなってきている。お腹が空かなくなったりしていたが、今は胃も慣れてきた。始めの頃は、薬として試すような感じであったが、結果として、食として楽しむことができている。

朝ほどは効かないが、昼食後すぐに飲んでも、昼からの具合がよい。ただし、夕飯後は、夜の眠りが浅くなるので、これは止めである。

眠気に効くのは、コーヒーに含まれているカフェインということになるが、ちなみに、カフェインをインターネットで調べたところ、個人差はあるにしても、摂取してから、30分後程度から効き始め、3時間後にピークとなり、5〜7時間後に効果がなくなるとのことである。個人的には、食後すぐに飲まないと効かない理由が分からないが、感覚としてはあっている。

 

分かってしまえばなんということもないことで、ちょっとしたことではあるが、劇的に近いほど変化することが、未だに見つかる。どちらかというと、自分の体調の変化に対して、なにかを試して改善を図るこという意識がなかったのかもしれない。指先の感覚がどうのこうのと言う割には、鈍感といえば鈍感である。結果が良いのと、今後は注意するということで、良しとしたい。

何人かの人に、コーヒーと眠気のことについて尋ねてみたが、筆者と同じような感じをもっている人が、10人ほど聞いた中に一人いた。

 

 

 

 

2007.07.01 自然

現在の漢字を筆で書いていると、ときどき自然に筆を運びにくいところにゆきあたる。そういった漢字は、唐代の書き方を調べると、ほとんどの場合、形が違う。

筆先から変える力を感じながら書くと理解できるが、唐代の楷書の形は、運筆のしやすさ自然さを考えて成り立っている。

 

話は、変わるが、使い果たしてお寒い状態であるが、好きな物に囲まれて、好きなことをできているので、ときどきしみじみと、なんと豊かなと感慨にふけることがある。

中国の話を聞いていると、平均的に考えて、どうもすでに、中国の方が、日本を、贅沢さで、上回っている。その上回り方も、半端なものとは思えない。

普通のサラリーマンは、5万円程度の収入がある。5万円あれば、1年間3人家族であれば、十分食べることができる。副業も容易である。貯蓄もある。金利もある。投機もする。外食も楽しむ。住も広い。

少し前までは、日本で働けば、中国では金持ちの部類に入れたのに、今は、逆に、貧乏の方にはいってしまう。

株で損をしても、みんなで損をすればさほど気にしない。投機も、一部のお金持ちがするのではなく、普通の人がしている。本業でさほど収入がなくとも、おどろくほどの金額を株に使う人もいる。

聞いた話なので、確たる裏付けはないが、どうも、ニュースなどで、何気なくできているイメージと離れてきている。国民性もあるのだろうが、経済が成長している社会というのはこういうものなのであろう。物価の上昇より、給料の上昇の方が早く、しかも生活必需品がさほと値上がりしない状況らしい。

円だけが、とにかく安い。国外でも購買力がない。国内でも、教育費、生活必需品が高いので、結局、お金を使えない。円は安すぎると思っていたが、なんだろう、可処分所得が減る社会の人から見ると、さらに安い、つまり外国のものは高価になっているではないか。実質的には、国内では、大幅に物価が高くなっているといってもよい。

今の金持ちは知らないが、少し前までは、お金があったとしても家は別にして、個人としては大してお金を使わないらしいではないか。日本人はお金は貯めるもののようだが、貯めることもできなくなってきている。しかし、食ももともと細く、静かなので、さらに切り詰めることもできるてしまうのだろう。

税のほうは、緻密にとる。サラリーマンは副業もままならない。出る杭は、国策する。稲作農耕民族の性分に合っているのでこれが当たり前かも知れないが、もう少しなんとかならないのだろうか。

日本の場合は、いまだにバブルの崩壊を引きずっている。中国の場合は、バブルが弾けたとしても、短期間で、ダイナミックに回復させそうだ。言うに言えないところもあるが、金は天下の回りものを、根の方で、個人個人が心得ているようだ。

5年前に北京を訪れたときの印象で、一番強いのは、車同士がぶつかって、多少傷がついたとしても、30秒程度、大きな声で互いに言い合って、その後なにごともなかったように、そのまま分かれたことである。短い滞在期間に2度も目にしている。食事をするところでも、よく食べ、良く話し、エネルギッシュであった。

古典書法のように真似のしにくいものもあるが、科学技術であれば、書の練習、つまり臨書よろしくどんどん真似をして、吸収してゆくことが可能である。笑ってしまうくらい、知的財産権など無視して、どんどん進んでゆきそうだ。そう言えば、少し前に聞いた話であるが、北京では、前進ならず、銭進の歌が流行っているらしい。

無理な進み方をしていることは分かるのだが、経済の行方を、時期を含めて予想することは困難である。人口が桁外れに多いのでそこかしこで、半回転はするかもしれないが、銭進であれば、いつか止む日がくる。その兆候も見え始めている。

 

骨董品に対して、無理な資の向け方をしてきたが、それとて、集めたものを眺めると、気持ちが豊かになる。悔いもなにもない。なにが幸いするかあるいは災いするかは人知を超えている。良いことがあれば悪いことがあり、悪いことがあれば良いことがあることだけは、はっきりしている。

筆者が思うには、根本的なところを中国にお世話になりつつ、いにしえもそうであったように、韓国と仲良くするのであれば、互いに補い合うため、自然と回り進み、精神的に豊かなところに行き当たる。

 

書の方は、楷書の臨書を一区切りして、今は、筆先から返る力の自然さを判断基準として、自運を楽しんでいる。やはりというか安心するところでもあるが、書は、どうも日本料理的である。

欧陽詢の九成宮醴泉銘の臨書に、いつかまた帰る必要があるような気がしているが、この臨書はある意味、恐ろしい。忠実に臨書すればするほど、個を押さえ、資を使い尽くして、進もうとする。

現実的なところを考えれば、時間の確保、例えば、定年後に、書に専念できる状態にすることが優先順位の一である。

ただし、筆者の場合、書をすることは、意識というようりは、手指が求めていることであり、なにがあろうとなかろうと、筆をとり、その時、手指が書きたがっている状態で書をすることになる。したがって、進むべき方向を決めるのは手指であり、何を欲するかも今は分からない。意識だけではどうしようもなく、しかも、それを受け入れてゆく覚悟をしている。

 

般若心経は、無を材料に、筆使いを楽しみ、半紙半分の大きさで、小作品集という形で区切ることができた。本にでもできたら良いのだが・・

このような小さな作品だけではと気になるので、大きな字を手指が書きたがるかどうかにもよるが、4、5年後にでも、書いてたまってゆく書を、なんらかの形で、展示をと考えるところではあるが、その前に、なにかと出会う必要があるのかもしれない。

今は、洛神賦を書いている。書をする人として、避けられない性を現しているように感じ、惹かれる。書か朝鮮半島の焼き物が洛神ということになる。般若心経のみでは済まない現実がここにある。

 

 

 

 

2007.06.10 久しぶり

 

墨を擦り、筆に墨を含ませる。そして、紙に墨が触れたとたんに、般若心教あるいは禅は、はるか遠くにかすみ去る。思いではいかんともし難い現実が、墨跡となって現れる。

それにしても、楷書の線は特に饒舌である。いろいろ語りかけてくる。それを言葉で言い表そうとするのだが、うまく言い表すことができない。

今、書はプレイヤーモードに入っているためか、こんなところが限界である。

ということで、久しぶりにしては、愛想がないが、ここ・・・・。

 

 

 

 

2007.05.27 手記

 

般若心経を書いている。「無」という文字が頻出するので、練習していたところ、アイデアがあふれてきた。

いろいろ変化させて書いてみているが、どちらかというと指先がリードしている。頭だけではなく手指も一緒になって考えている感じである。指先は、このようなことを考えていて、そして、このような線を書くことができるのかと感心しているところもなきにしもあらずである。自惚れとなるので恥ずかしいことではあるが、案外に楽しむことができる。

どうも、手指は禅を現したがっているようだ。人としては、破綻すれすれであるも、手指に人格があるとすれば、ここはまともという気がしないでもない。

考えごとは頭ですることになっているが、手指の神経も含めて思考が成り立っているのではないだろうか。

裏打ちを失敗なくできるようにと、今、工夫している最中である。これが決まれば、今回遊んで出力した結果は、裏打ちをしてみるつもりだ。手記である。

 

 

 

2007.05.14 中庸は中和

「中」は特別であるし、「和」は本質である。どちらも、古典書法の大事なところを表している。

「中」は中鋒であり、筆使いの基本である。筆先が書いている点線の中心となるように、筆を使う。

「和」というのは、水が高いところから低いところ流れるように、筆先から返る力を感じつつ無理をしないように、運筆することに相当する。筆、墨、紙そして指先と「和」する必要がある。

「大学」と同じように、「中庸」は、中国の古典「礼記」の中の一篇と言われているが、その本文は、筆者が書で紹介している部分と考えることができ、大学よりもさらに短い。

この本文には中庸という言葉はなく、「中和」(ちゅうか)としている。後世の解釈によって、「中和」は「中庸」に変えられている。

教えに相当する法により、「中」とするために、「和」する必要がある。というのは、古典書法に取り組み始めの頃に、筆者が感心したところでもある。たとえば、「摂理」、「神髄」である。

それにしても「和」を変えるにしても、常とか並とかいうことを意味する「庸」というのでは、遠い。中鋒によって、筆者が感じたところは、変わることを意味する「」でもある。

そして、中庸本文の最後に関しては、「幻視」もしている。

日本でも、平安時代の書は、「中和」である。筆先のききを利用して、流れとタイミングで中鋒を保ち、紙、墨そして筆と「和」して書くのが、日本のひらがなである。中国の方は、指先による筆の回転も利用して、「中和」する。紙、墨そして筆と指先が「和」するので、より、動的である。

点画の四隅の形を、意図して作りながら書くことができるかどうかが大きな違いである。例えば、歴史の中で取り上げられている日本の書でもっとも古典書法に近づいたのは小野道風であるが、それでも欧陽詢の楷書には至ることができていない。

平安時代において、「中和」を日本なりに求め、ひらがなを形づくることで、源氏物語などの古典が生み出されていったことも、筆使いとの関係を思うと、納得がゆく。

中庸の本体、つまり書いて紹介した部分こそ、筆を使って文字を書くことを追求したところで現れる思想とも言える。

書から言えば、中国は、ちゅうか(中和)は中華と変わり、中と和は風前の灯火、日本は、中はなく和することからも遠く離れている場合を多く目にする。ある意味極まっている。いつになるかは分からないものの、対極さえあれば、振り戻る時がくるはずである。

 

大学は書き難いと感じたが、中庸の方は書き易い。書く文章の意味内容によって書きやすさの程度が変化することを確認したことになる。

さて、喜怒哀楽の未発からイメージされるものは、混沌である。そして、混沌は般若心経に自然につながる。次は、般若心経に進んでみる。

俗に、般若心経は、綺麗な紙に楷書で書くことになっている。般若心経は、集字聖教序の最後の方に、書かれているが、集字聖教序自体が古典書法における混沌の書であり、般若心経の混沌に自然と連なる。

 

参考:中庸

 

追記

理系の方ならなんとなくおわかりいただけると思うが、筆者は、自分の心と体を使い、古典書法によって実験をしているようなものである。実験の結果として現れたところを紹介していると考えている。

思いが、上がったところで言うことがあるが、長期間実験をし続けていることに免じてご容赦願いたい。

 

 

2007.05.06 「大学」で勉強

 

ここ一月半ほど「大学」に取り組んでいる。大学はやはり勉強するところであった。いろいろな意味で教えられる。

同じ構文の中で、同じ文字が、繰り返し使われるので覚えやすいように思われるかもしれないが、筆者の場合はいまだに、少しでも油断すると、間違える。とにかく、暗記するまでに、集中力を失うことがないように努力して書くことを相当に繰り返した。

例えて言うなら、階段が多いなど、道が整備されている山道を歩いているような感じである。山歩きは、道が、でこぼこしている方が、疲れないし、楽しいものである。

形にすることに関しても、四苦八苦であるが、そのおかげで、筆の大切さなどいくつか再確認できた。卒業できた気がしないので、今後も時に応じて、通う必要がある。

とりあえずとしては、「中庸」に進んでみる。

参考:「大学

 

 

 

2007.05.04 「大学」を、再び書いてみている。

 

画一的な楷書と変化に富む行書あるいは草書の根は同じである。

日によって変化する体調そして手の感覚。もちろん筆先の調子などは、墨の調子とも相まって、一筆毎に変化してゆく。それにも関わらず、画一的に同じ調子で書くことを目ざす楷書。気を抜くことなく、変化しつづける筆先を、わずかに制御することで、同じ調子に整える。

一方、楷書以外はどうかというと、その日の手の感覚、一筆毎の筆先の調子を感じながらも、あるところでは、かすかにではあるが気を緩め、その変化に手の動きをまかせてゆく。気を引き締めているところと緩めているところを同居させながら、書き進む。

変化を感じながら、無理することなく、制御するか、任せるか。形として現れるところは違うが、これは、紙一重の違いというよりは表裏一体である。楷書の練習イコール行書の練習でもある。

り先生が、なぜ、楷書を中心にして書を伝えたのかよく理解できる。

ところで、ここ最近は、「大学」の経一章を書いている。連休中であり、書にかけることができる時間が多いためもあってか、今日は、タッチの軽い線を書くことが容易である。手指が良く動いてくれる。

今書いている書は、点画を、あまり省略しないので、形としては、楷書に近い楷行書であるが、筆使いは、楷書に比べると、大部と、簡略化され、かつ 瞬間的である。

 

 

 

 

 

2007.05.01 こころとからだ

教えによれば、文字も人と同じように、骨と肉と皮からなる。心がけるところは、人と同じ、バランスのとれたしっかりした骨格としなやかに鍛えられた筋肉と綺麗な皮膚を備えることである。

線が細いあるいは太いに関わらず、骨だけ、あるいは肉だけの感じにならないように注意する。皮膚は、紙と墨の境界のことであり、破れた痛々しい感じや荒れた感じになることを避ける。

 

ところで、自然が生み出したもので、一番綺麗なものは、人の中にあると思う。

先日、青森の大間に行った際に、昼に寿司屋に入った。三女とのことであるが、高校生くらいの娘さんが、お手伝いをしていた。にこにこしながら働いていたが、その笑顔が、とても印象に残った。なにか、あんなに人の気持ちを明るくする純粋な笑顔を最近見た覚えがない。そう言えば、道を歩いていた小学生が、これまた、すれ違った時に、笑顔で、手を振っていた。こちらは、車に乗り徐行運転していた時のことである。土地柄もあるのだろうか。

文字も人と同じものであるならば、笑顔その心根を、文字その形の中に吹き込みたいものである。

 

 

 

2007.04.30

 

最近、骨董品の話をしないが、止めてしまったのかというと、その逆である。今、堀進んでいる。とにかく、諦めた、納得がいくところまで続けてみる。もちろん、捜し物は、朝鮮半島の焼き物である。古典書法が立体物となったようなものが好きである。書と違い、焼き物は、自分ではしないので、なおさら、惹かれてしまうところがあるのだろう。

昨日、師が出展している展覧会を見にいってきた。お手本を書いていただいているので、見慣れていると言えば見慣れているのだが、やはり見飽きることがないし、見ていると、気持ちが落ち着く。

写真を写したりもして、しばらく、場を楽しみ、この気持ちが持続するように、帰る際は、下を向いて、他の人の作品を見ないようにして、美術館の外に出た。(申し訳ない。しかし、どうしようもない。)

筆使いの基本は、きわめてシンプルであるが、さまざまに姿を変えて現れる。長い歴史の中で、育まれて、今に引き継がれてきた善き技術。習得するためには、毎日、そして、長期間の練習など、どうも今の世に、流行りそうもない、言葉が列ぶ。それに、自分から、能動的に求めてゆく必要もある。

焼き物もそうであるが、こういったものを知り得て、関わりを持つことができていることを幸せに思う。

 

 

 

2007.04.21

昨年までは、どうにも、自運は形にすることができなかった。

今はどういう感じかというか、霧の中から、徐々に、なにかが姿を現す感じのもとで書を楽しんでいる。

繰り返し書くこと、イコール、霧を吹き払うことに相当する。

書くことを繰り返すことによって、歴史に倣っていない、無理のある癖が、徐々に消えてゆき、楷書の臨書によって指先に記憶された動きが残った結果として現れる。

なかなか、形になってくれない文章もあるが、九成宮醴泉銘の臨書を、ひと区切りすることができたことが、指先への信頼の源である。

その内、形が現れることを信じることができる。

おそらく、このまま続けることによって、試行錯誤の回数が徐々に減り、すっと書くことができるようになってゆくのであろうが、遠い先のことである。

 

まもなく、師が出展する展覧会が開催される。筆者は、仕事の都合上、29日(日)つまり最終日に、見にゆく予定にしている。

http://www.kogire-kai.co.jp/suminotikara.htm

 

古典書法は、運も手伝い、なにかが起こらなければ、消えてしまう運命にあるのであろう。師の作品は、古典書法が、かすかに蜘蛛の糸状で残っていることの証である。

 

 

 

2007.04.07 お知らせ

筆者の師が、

京都市美術館で、2007年4月24日(火)〜29日(日)に開かれる

「墨の力 日中・墨人交流展」

に出品。

記事: http://www.kogire-kai.co.jp/suminotikara.htm

に、り先生のことも書かれているので、ぜひご覧いただきたい。

 

 

 


2007.03.26 行書

自運はなかなかであるが、古典書法5年目で、楷書に集中し、ある程度区切るところまで、取り組んだことは、とても有意義であった。

自身過剰になってはいけないが、自分が楽しむことができる書が現れるはず、という意識が働く。

気に入らなければ、筆の大きさ、ちょっとした間の取り方など、おまり大きくないところを変えることで、そうなることを期待することができる。

もちろん、一度でということではなく、開経偈そして懺悔文などはそうであったが、繰り返し書いて、文章が暗記できたころに、しばらくは楽しむことができるものが現れる。

掲載すること恥ずかしいが、その時点ではどうしようもなかった書を、今、書き直している。

 

 

 


2007.03.07 懺悔文

今回も、お経の一つである「懺悔文」を掲載する。

今、ここ数年間の行いを、反省する必要性を感じている。

 

 

 

 


2007.03.04 開書偈

開経偈といって、お経を開く前に唱えるお経がある。

宗教が関係すると、筆者はそうであるが、現実みが薄れてきてしまう。ただ、如来をどのように思うかということだけで、この経からは、とても深い意味が現れてくる。

筆者の感想は、「開経偈」へ

 

 

 


2007.02.23 今

2月に入ってからは、行書を中心にして書に取り組んでいる。

1月までの八ヶ月間は、もっぱら、同じ筆を使用して、半紙六文字の楷書、九成宮醴泉銘の臨書に取り組んできた。

案の定というのか不思議なこととというのか、今、なにか、例えば、筆を違えれば、筆の違いがよく分かる。頭の中にあるイメージを表現する上での筆の限界など、比較的短時間で理解することができる。

さらには、行書、それもかなり小さな文字であっても、書くこと容易である。

筆先のききを利用して中鋒をとって書く方法、例えば、平安時代の和漢朗詠集などは、漢字もそうだがひらがなであっても臨書すること、これもまた楽である。

自運はままならないところがあるにしても、意識よりは指先の方が進んでいる。書いたものは、それなりに、しはらくは楽しむことができる。こういった感じは独学で書に取り組んでいた時には起こらなかった。

話は変わるが、中国では、書家は自分で裏打ちをするそうである。ということで筆者も真似をして、毛辺紙に書いたものを裏打ちしてみている。作業は楽しいのだが、うまくいかない。道具にしろ方法にしろ工夫のし甲斐が多々ある。竹の完璧な切断方法を探っていた頃を思いだす。探ることも楽しみである。